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ep.5 使う者次第


 お腹に巻き付いている腕をそっと叩く。


「私は平気だよ。ちょっと濡れただけだし、何かされたわけでもないから」


 説得しようと見上げると、霜月は安堵あんどと怒りがないまぜになったような表情で私を見ている。


「ごめん睦月。少しだけ冷えると思う」


「え?」


 髪や服を濡らしていた水分が、一瞬で氷の粒へと変わっていく。

 表面に浮き出た氷は、そのままパラパラと身体から落ちていった。


「すごい、乾いてる」


 服に触れてみるも、濡れていた形跡けいせきはどこにも見当たらない。

 振り続ける雨は、いつのまにかほとんどがあられに変わっている。


 身体に触れる前にくだけて散っていく氷の結晶がとても綺麗で、こんな時にも関わらず見惚みとれてしまった。


「……お前、まるで別人だな。誰に対しても氷みたいな態度だったってのに」


「今そんな話は必要ない。俺はどういうつもりか聞いてる」


「はっ、これ見ても分かんねぇの?」


 戸惑いを浮かべていた時雨だったが、霜月の言葉を聞くと、まるで挑発するような態度を取り始める。

 けれど私には、そんな時雨の姿がひど自嘲的じちょうてきで、投げやりなようにも思えた。


「それが答えか」


 霜月の声から色が消えていく。

 無にも近い声と冷え切った目が、時雨の方へと向けられた。

 足元から急速に広がった氷は、床から壁、壁から天井へと侵食している。


 時雨の顔に、初めて恐怖が見えた。

 霜月が本気で自分を害する気だと理解わかったのだろう。


 二人の間に実力の差があるのは一目瞭然いちもくりょうぜんだったが、加えてお互いの能力は水と氷だ。

 どちらが優位かなんて、考えなくても分かる。


「霜月、そこまでする必要はないと思う。本当に少し濡れただけで、他には何も──」


「時雨の能力は、単に雨を降らせることじゃない」


 思わぬ返しに、喉から出かかっていた言葉が引っ込んでいく。


「自分の周囲に雨を降らせ、雨が浸透しんとうした対象をあやつることができる能力なんだ。たとえば、水自体を操る事はできなくても、水に自分の雨を混ぜることで操ることを可能にする。何より、操れる対象は無機物だけじゃない。生物もだ」


「……つまり、もし体内に雨が浸透していたら、私も操られていたってこと?」


 時雨の能力は水を操ることかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。


 好きな場所に雨を降らせ、浸透した対象を操れる。

 使い方次第ではかなり強力な能力だ。

 現世の死神に選ばれたのも、この能力が理由の一つなのかもしれない。


 霜月は時雨の方をちらりと見たが、またすぐに私の方へ視線を戻している。

 周囲をおおうほど凍りついていく現状に、時雨はどうすることも出来ないでいた。


 雨を降らせれば降らせるほど、凍らせる物が余計に増えていくだけ。

 これでは、何かしたくてもできないのだろう。


「身体を操ることもできるし、身体の中に損傷を与えることもできる。そんな能力を、あいつは睦月に使ったんだ。……身の程知らずには、直接教え込んだ方が早い」


 バキバキと音を立て、時雨の方に氷柱つららが伸びていく。

 時雨を囲い込む氷と、そこから突き出すいくつもの氷柱が、まるで氷のアイアンメイデンを彷彿ほうふつとさせた。


 どんどん見えなくなっていく時雨の姿。

 私の視線に気づいたのか、こちらを見た時雨と視線が絡む。

 何かを必死にこらえようとしていた時雨は、私を見た瞬間、ダムが決壊するように感情をあらわにした。


 くしゃりと歪んだ顔が、まるで捨てられた猫のようで。


「霜月ストップ」


 ぺちんと、軽い音が鳴った。


「睦月……?」


 驚いた様子で目をまたたかせる霜月に、頬を挟んでいる手は離すことなく視線を合わせる。


「反省してるみたいだし、もう止めてあげて。私は霜月が守ってくれたから大丈夫だよ」


 感謝を伝え微笑むと、霜月はふわりと表情を柔らかくしていく。


 まるで雪解けの瞬間を見ているかのような美しい表情に、私は安堵あんどの込もった息を小さく吐いていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 時雨の周りから氷が引いていく。

 呆然ぼうぜんとした顔でこちらを見ていた時雨は、何やらモゴモゴと口を動かしている。


「大丈夫? 怪我はない?」


「あ……、うん。平気……です」


 硬い声を発していた時雨は、霜月を見た瞬間、ピャッ!と毛を逆立てる猫のような反応を見せた。

 霜月は冷ややかな目を向けていたが、興味を無くしたのか視線を逸らし、私に微笑んでくる。


「部屋に戻ろう。温かい物でも飲んだ方がいい」


「うん。そうしよっか」


 先ほどとは打って変わって嬉しそうな霜月の様子に、ひとまず機嫌は直ったようで安心した。

 私の周りでは、何故か死神たちのキャットファイトが勃発ぼっぱつしやすいみたいだ。


 まるで、死神保育園の保育士にでもなったような気分。

 でも、不思議とそれも悪くない。

 そんな事を考えている時点で、私もきっと、どうしようもなく手遅れなのだろう。


 時雨の方へと近づくと、びくりと肩が震えた後、恐る恐る視線を向けてくる。


「自分でも悪いことしたとは思ってるんだよね?」


「……はい」


「分かった。それなら罰を与えます」


 何をされるのかとおびえる時雨の手をつかみ、そのままⅢ号室のドアを開く。


「行ってらっしゃい。退治、頑張ってね」


「あっ」


 玄関に押し込むと、ドアを速攻で閉める。

 閉まるドアの隙間から見えた時雨の顔は、絶望に染まり切っていた。


「霜月、固めて」


「分かった」


 意図を汲み取った霜月が、壁ごとドアを凍らせてくれる。


「あけっ、あけてくれ! マジでむり……まじでむりなんだってえええ!」


慈悲じひはない。時雨に残された選択肢は二つ。そいつと仲良く室内にいるか、そいつに勝って外に出るかだ」


 中から聞こえる悲鳴に対し、きっぱりと言い放つ。

 絶望にむせび泣く声を他所よそに、私は霜月と共に部屋へと戻っていった。



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