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ep.3 紡がれる絆


 真っ暗な世界から抜け出すように手を伸ばす。

 遥か遠くで、小さく光る金の輝きが見えた。

 星のようにきらめくその光は、だんだんとこちらに向かって近づいてくる。


 近づくごとにはっきりするそれは、星ではなく、荘厳そうごんな月だった。

 月は目の前で動きを止めると、中に何かの映像を映し出している。


 そこに映っているものを見た時、私は形容しがたい感情におそわれた。


 何故ならそれは、この世界の命運を──大切な──の──から。




 ◆ ◇ ◇ ◇




 窓のカーテンから漏れる日差しで、部屋がぼんやりと照らされている。

 いつもと違う布団の感触に、ゆっくりと辺りを見回した。


 隣を見ると、ベッドの上は綺麗きれいに整えられており、霜月の姿は見当たらない。

 寝室のドアを開くと、リビングの方から食器の触れ合う音が聞こえてきた。


「おはよう睦月」


 パンが焼ける匂いと、珈琲コーヒーのほろ苦い香りがただよってくる。

 テーブルの上に並んだ朝食に、思わず目をまたたかせた。


「おはよう。これ、霜月が作ったの?」


「うん。簡単なものだけど」


 さっくりと焼けたパンには綺麗きれいな焦げ目が付いており、彩鮮いろどりあざやかなサラダと、とろみのついたかぼちゃスープまで添えられている。


 見た目にも完璧な朝食に、じわじわと食欲が増していくのを感じた。


「美味しそう。うちにこんな食材あったっけ」


律男りつお……律が用意した物が、冷蔵庫の中に入ってた」


「律さんが? 後でお礼言いに行かないと。確か律さんもこのアパートに住んでるんだよね」


 言い直した霜月を見て、律の名前は触れない方が良いものだと再認識した。

 律にとって本来の名前とは、もはやタブーに近いものなのかもしれない。


 まあそれはそうとして、家具や家電に留まらず、まさか食材まで用意してくれていたとは。

 律の面倒見の良さには驚かされるばかりだ。


「律の部屋は隣のⅠ号室。俺たちの部屋がⅡ号室で、Ⅲ号室は時雨しぐれの部屋になってる」


「それだとつばめくんは2階の奥側だから、Ⅵ号室になるってことだね。残りのⅣ号室とⅤ号室には誰か住んでたりするの?」


 テーブルに座り手を合わせると、まずは珈琲を口に運ぶ。

 ほろ苦い味が口全体に広がり、鼻から抜ける香りにほっと息をつく。


「Ⅳ号室に特定の住人は居ない。他の拠点の死神がきた時、使えるように空けてあるんだ。Ⅴ号室のやつに関しては……その内会えると思う」


 つまり、Ⅳ号室は空き部屋になっていて、Ⅴ号室に関しては特定の住人が居るということになる。

 他の拠点と言うからには、その場所にも人間に紛れて暮らす死神たちが住んでいるのだろう。


 以前は、現世に死神がいるなんて思いもしなかった。

 いや、家のこともあってか、がいるということは、何となくわかっていたように思う。


 ただ、現世で普通に生活しているとは思わなかっただけで。

 日々すれ違っていた人の中にも、もしかしたら死神がいたのかもしれない。


 事実は小説よりも奇なり。

 そんな言葉が頭をぎっていく。


「こっちに座るの?」


 昨日と同じように、隣に座った霜月を見て声をかける。

 四人はゆうに使える大きさのテーブルだ。

 私の向かいも含め、座れる場所には余裕がある。


「ここの方が落ち着くんだ。もし邪魔じゃまだったら──」


「いいえ全くちっとも邪魔じゃないです。ぜひ横に座っていてください」


 霜月の目が不安そうに揺れるのを見た瞬間、先手を打たねばとばかりに早口でまくし立てていた。


 私にも言葉が足りない部分は多いのだろう。

 あまり人と話す方ではなかったし、何故か遠巻きにされることも多かった。


 他人ひとにどう思われようと構わない。

 無関心にも近いその感情に、良いも悪いもなかったのだ。

 まさかそれがあだになるなんて、昔の私は考えてもみなかったことだろう。


 また落ち込ませてしまったかもしれない。

 そんな気持ちで見た霜月の表情は、私が想像していたものと全く違っていた。


「なら良かった」


 機嫌良く微笑んだ霜月は、そのまま何食わぬ顔で珈琲を飲んでいる。


 もしかして私、揶揄からかわれた……?

 呆気に取られる私を見て、霜月はまるで悪戯いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべている。


「睦月には、そうした方が良いと分かったから」


「なるほど」


 霜月のいちじるしい成長に、私の脳はなるほど以外の言葉を生み出せなくなっている。

 真のコミュニケーションとは、相手を学び、知ることから始まるのかもしれない。


 手に取ったパンをかじりながら、私はそんな事を考えていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 けたたましく鳴ったチャイムの音に、パソコンから手を離す。

 霜月の方を見ると、ちょうど上司と連絡中だったこともあり、かなり不機嫌そうな様子をしていた。


 死神は、思念しねんを形にして連絡することが可能だ。

 そのため、チャット形式のものなどは、まるで会話しているかのようなスピードで進んでいく。


 以前、ミントや律と連絡を取っていた時なんかは、まるでグループ通話をしているかのようなスピード感だった。


 ちょっと出てくるねと言うように玄関を指さすと、霜月は少し考えるような顔をした後、静かにうなずいた。

 このアパートは死神達の拠点であり、異物が近づいたらすぐに分かるようになっている。


 霜月が頷いたのを見る限り、おそらくドアの先にいるのはここの住人か、またはその知り合いなのだろう。


「はい、どうしました──」


 ドアを開くと同時に、腕をがっしりとつかまれる。

 顔を上げた先には、けわしい表情でこちらを見る、時雨しぐれの姿があった。



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