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ep.1 色褪せぬ記憶


 いくつもの扉が浮かぶ空間に、一匹の黒猫が座っている。

 月のように輝く目をした猫は、扉の先から現れた存在を見て尻尾を一振りした。


「やあ満月。最近はよく会うね」


 満月と呼んだ猫の隣に腰掛けると、は機嫌が良さそうに微笑んでいる。


「ここに繋がることが増えてきた。睦月がわたしに気づく日も近いのかな」


 返事の代わりに尻尾を振る満月の頭を優しく撫で、ソレは辺りに浮かぶ扉へ目を向けた。

 全ての扉は、未だ閉じられたままになっている。

 ──ただ一つを除いては。


 開きかけた扉を見て、ソレは何かを見通すように呟いた。


「真実とは時にコインのようなもの。君に会える日が楽しみだよ、◇ ◇」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 時が止まったかのようだった。


 失ったはずの満月が、目の前にいる。

 そんな夢みたいな光景に、硬まっていた身体が徐々じょじょに動き出していく。


 伸ばした手が満月の姿と重なって、あともう少しで触れられる距離。

 けれど、私の手が満月に触れることはなかった。

 いきなり夢から覚めるように、伸ばしていた手を引き戻す。


 そうだった。

 この猫は霜月で、満月はもう──。

 頭では分かっているのに、感情がなかなかついて来てくれない。


 あの日の記憶は色褪いろあせず、脳裏にくっきりと焼き付いている。

 日差しの中で染まった赤い、あかい光景が──。


「睦月」


 両頬に何かが触れた。

 それと同時に、優しく顔を持ち上げられる。

 触れた部分から冷んやりした温度が伝わり、煮え立っていた思考がじわじわと溶けていく。


 心配そうに見つめる霜月の目は、月のように輝く金色だ。


「様子がおかしかったから。いきなりごめん」


「私の方こそごめんね。もう大丈夫だから」


 もう平気。もう大丈夫。

 安心させようと返した言葉に、霜月はどこかこらえるような表情をした。


 引き結ばれた唇と、少し寄せられたまゆ

 頬に当てられた手からわずかに強い圧を感じた辺りで、私の忍耐はとうとう限界を迎えた。


「霜月、あのね。ちょっと手を……離してくれたりしないかな」


 頬をちょいちょいと指で差すと、霜月はあわてた様子で手を引いていく。


「ごめん、痛かった?」


「そんなことないよ。ただ、ちょっと目が……」


 死にそうで。


 不思議そうに首をかしげる霜月に、本当に何でもないと手を振ってごまかす。

 顔面が眩しくて目が死にかけました、なんて言おうものなら、今度は霜月の顔色が死にかけるかもしれない。


 少しずつ慣れてきたとは思っていたが、流石にあの近さは論外だったようだ。


 誰だ、美人は三日で慣れるとか言ったやつ。


「本当に猫でいいのか?」


「うん。本家の敷地にも猫は沢山いるし、その方が色々と便利だと思う」


 結果的に、本家では猫の姿を取ってもらうようお願いした。

 心配そうにこちらを見る霜月は、さっきのことが気がかりなのだろう。


「前に、猫と暮らしてた事があってね。だからさっきは、その時のことを思い出してた。猫のことは今も好きだよ。すごくね」


「そっか。ならそうする」


 霜月はそれ以上何も聞かず、ただ黙って傍に居てくれた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




「そろそろ寝ようかな」


 パソコンの電源を切ると、テーブルから立ち上がる。

 まっていた仕事を片付ける間、霜月は隣に座ってお茶を飲んだり、何かを見たりしていた。


 人目がない場所では、霜月はずっと実体化を取ってくれている。

 私は人間として暮らしていることもあり、食事や睡眠は行う必要があった。


「霜月はどうする? 死神は寝なくても平気なんだっけ」


「必須ではないけど、枯渇こかつした力を睡眠で補うことはできる」


「そうなんだ」


 HPではなく、MPにバフをかけるイメージに近いのかもしれない。 


「下位の死神だと、仕事の後に睡眠を取るやつもいる。ただ、上位の死神になるほど、枯渇こかつする事自体がまず無くなっていくんだ」


「なるほどね。でもそれなら、霜月も寝ておいた方が良いんじゃない?」


 優秀ゆえに忘れかけることもあるが、霜月はこれでも新人なのだ。

 今の話を聞く限り、睡眠は取っておいた方が良いということになる。


「俺は……いや、そうしておく」


 何とも言えない顔で頷いた霜月を連れ、寝室らしき部屋へと向かう。

 ドアを開けると、大きめのベッドが二つ並んでいるのが見えた。


「霜月が奥のベッドでもいい?」


「えっ、いや、俺は」


 戸惑とまどう霜月を部屋へと押し込み、さっさと寝る支度を整えていく。


「電気は消しても平気?」


「暗くても視界は問題ない。あ、いや、そうじゃなくて──」


「お休み」


 問答無用で電気を消すと、布団に潜り込む。

 奥でオロオロとしていた霜月だったが、諦めたのか布団に入る音が聞こえてきた。


 寝息、うるさくないといいけど。


 そんな事を考えながら、私はやってくる眠気に従い瞼を閉じた。




 ◆ ◇ ◆ ◇




      ここから二章へご招待


   第二招 Second Voice 真実は裏返る


         招来です。



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