いくつもの扉が浮かぶ空間に、一匹の黒猫が座っている。
月のように輝く目をした猫は、扉の先から現れた存在を見て尻尾を一振りした。
「やあ満月。最近はよく会うね」
満月と呼んだ猫の隣に腰掛けると、
「ここに繋がることが増えてきた。睦月がわたしに気づく日も近いのかな」
返事の代わりに尻尾を振る満月の頭を優しく撫で、ソレは辺りに浮かぶ扉へ目を向けた。
全ての扉は、未だ閉じられたままになっている。
──ただ一つを除いては。
開きかけた扉を見て、ソレは何かを見通すように呟いた。
「真実とは時にコインのようなもの。君に会える日が楽しみだよ、◇ ◇」
◇ ◇ ◇ ◇
時が止まったかのようだった。
失ったはずの満月が、目の前にいる。
そんな夢みたいな光景に、硬まっていた身体が
伸ばした手が満月の姿と重なって、あともう少しで触れられる距離。
けれど、私の手が満月に触れることはなかった。
いきなり夢から覚めるように、伸ばしていた手を引き戻す。
そうだった。
この猫は霜月で、満月はもう──。
頭では分かっているのに、感情がなかなかついて来てくれない。
あの日の記憶は
日差しの中で染まった赤い、あかい光景が──。
「睦月」
両頬に何かが触れた。
それと同時に、優しく顔を持ち上げられる。
触れた部分から冷んやりした温度が伝わり、煮え立っていた思考がじわじわと溶けていく。
心配そうに見つめる霜月の目は、月のように輝く金色だ。
「様子がおかしかったから。いきなりごめん」
「私の方こそごめんね。もう大丈夫だから」
もう平気。もう大丈夫。
安心させようと返した言葉に、霜月はどこか
引き結ばれた唇と、少し寄せられた
頬に当てられた手から
「霜月、あのね。ちょっと手を……離してくれたりしないかな」
頬をちょいちょいと指で差すと、霜月は
「ごめん、痛かった?」
「そんなことないよ。ただ、ちょっと目が……」
死にそうで。
不思議そうに首を
顔面が眩しくて目が死にかけました、なんて言おうものなら、今度は霜月の顔色が死にかけるかもしれない。
少しずつ慣れてきたとは思っていたが、流石にあの近さは論外だったようだ。
誰だ、美人は三日で慣れるとか言ったやつ。
「本当に猫でいいのか?」
「うん。本家の敷地にも猫は沢山いるし、その方が色々と便利だと思う」
結果的に、本家では猫の姿を取ってもらうようお願いした。
心配そうにこちらを見る霜月は、さっきのことが気がかりなのだろう。
「前に、猫と暮らしてた事があってね。だからさっきは、その時のことを思い出してた。猫のことは今も好きだよ。すごくね」
「そっか。ならそうする」
霜月はそれ以上何も聞かず、ただ黙って傍に居てくれた。
◆ ◆ ◇ ◇
「そろそろ寝ようかな」
パソコンの電源を切ると、テーブルから立ち上がる。
人目がない場所では、霜月はずっと実体化を取ってくれている。
私は人間として暮らしていることもあり、食事や睡眠は行う必要があった。
「霜月はどうする? 死神は寝なくても平気なんだっけ」
「必須ではないけど、
「そうなんだ」
HPではなく、MPにバフをかけるイメージに近いのかもしれない。
「下位の死神だと、仕事の後に睡眠を取るやつもいる。ただ、上位の死神になるほど、
「なるほどね。でもそれなら、霜月も寝ておいた方が良いんじゃない?」
優秀ゆえに忘れかけることもあるが、霜月はこれでも新人なのだ。
今の話を聞く限り、睡眠は取っておいた方が良いということになる。
「俺は……いや、そうしておく」
何とも言えない顔で頷いた霜月を連れ、寝室らしき部屋へと向かう。
ドアを開けると、大きめのベッドが二つ並んでいるのが見えた。
「霜月が奥のベッドでもいい?」
「えっ、いや、俺は」
「電気は消しても平気?」
「暗くても視界は問題ない。あ、いや、そうじゃなくて──」
「お休み」
問答無用で電気を消すと、布団に潜り込む。
奥でオロオロとしていた霜月だったが、諦めたのか布団に入る音が聞こえてきた。
寝息、うるさくないといいけど。
そんな事を考えながら、私はやってくる眠気に従い瞼を閉じた。
◆ ◇ ◆ ◇
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第二招 Second Voice 真実は裏返る
招来です。