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ep.20 地獄の有様


「地獄……?」


 閻魔の言う地獄とは、選別所ここのことを表しているのだろうか。


 銀の籠を抱えるように持ち直す。

 もし選別所と地獄がイコールで繋がるのだとすれば、クリスティーナの魂は今から──。


「ああ、すまない。ちょっとした洒落しゃれのつもりだったんだ」


 私の様子を見て、閻魔はどこか困った顔をした。


「どうやら、いらぬ誤解を与えてしまったらしい」


 気遣いを込めて見てくる閻魔に、強張っていた身体の力が少しずつ緩んでくる。

 背後を振り向くと、思ったより上司と距離が空いていることに気がついた。


「常闇。ここに連れて来たということは、そういう意味として受け取ってもいいのかな?」


「構いませんよ。閻魔も確かめたかったから、こうして姿を現したのでしょう?」


 常闇からの返事に、閻魔は手の袖で口元を隠すと、小さく笑い声を立てている。


「そうだね。なら、その言葉に甘えるとしよう」


 白くしなやかな手がこちらを指し示す。

 それと同時に、辺りを浮かんでいたぼんぼりが、私の元に向かって一斉に飛んで来るのが見えた。


 丸い形のぼんぼりは、埋め尽くす勢いで私の周りを取り囲んでいく。


「えっ、あの」


 思わず上司の方を見るも、上司は私に向かってにっこりと笑いかけてきた。


「では後ほど」


 あ、こいつらグルだ。


 悟りを得た顔で大人しくなった私を囲み終えると、ぼんぼりはふわりと浮かび上がっていく。

 そしてそのまま、何処かに向かってゆらゆらと飛び立って行った。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 ぼんぼりに乗せられ、ふわふわと宙を浮かんでいる。


 ぼんぼりとは言ったものの、持ち手の部分などは特に付いていない。

 上の部分だけが独立して、宙に浮かんでいる感じ──と言った方が近いだろうか。


 幼い頃、母が鬼灯ほおずきの中に明かりを入れて、私にプレゼントしてくれた事があった。

 ぼんぼりを眺めていたら、随分と懐かしい日の記憶が脳裏に浮かんだ。


「緊張は解けたかな?」


 すぐ傍でかけられた声に、意識が引き戻されていく。

 こちらを見て微笑む閻魔は、中性的な見た目も相まって、神秘的な雰囲気の持ち主だ。


 白い面布には金色で何かの模様が描かれており、服に施された金の刺繍は、死装束にも近い作りを上品に仕上げている。

 腕から垂らしたストールが黒でなければ、死神とは思えない配色ばかりになっていただろう。


 長い髪が揺れて、思わず目を奪われた。


「おや。まだ早かっただろうか」


 返事をしない私に、閻魔は少し慌てたような仕草をしている。


「いえ、違うんです。髪が、綺麗だなと思ってました」


「ああ、これかい?」


 手ですくって見せてくれた髪は、癖一つ見当たらない。

 白と黒の髪色は、それぞれが邪魔し合うことなく、綺麗に存在を主張し合っている。


「ふふ、嬉しいね。髪を褒められたのはいつぶりだろう」


「誰かと会ったりしてないんですか?」


 今までの話を聞く限り、閻魔の元にはあまり来訪者が来ていないように感じていた。

 もしかすると、こうして私と会っている事自体、ここではまれな出来事になるのかもしれない。


「そうだね。基本的に魂は輸送されてくるし、好んでここにやって来る者もいない。それに、私はあまり誰かの前に姿を現すことをしないからね」


「それって、私が上司の……常闇の部下だから、こうして会ってくれているってことですか?」


 閻魔は私の問いに、すぐさま首を振った。


「少なくとも、君が常闇の部下だから会っているのではないよ。私はね、君だから会うことを選んだんだ」


 死界に来てからというもの、理由の分からない好意に触れることが多くあったように思う。

 けれど、その感情は私にとって、どれも悪くないものばかりだった。


 静かな空間を閻魔と二人、何処かに向かって揺られていく。


「寂しかったりはしないんですか?」


 優しく微笑む閻魔の顔に、時折ほんの少しだけにじむ感情がやけに気になって。

 思わず聞いてしまっていた。


「おや、君にはそう見えるのかい? それとも、のかな?」


 閻魔の言葉が、やけに頭の中で絡まっていく。


 そもそも、私はなぜ閻魔の感情が分かっているのだろう。

 嬉しそうな顔も、困ったような表情も、どこか寂しそうな笑みも。

 普通なら全部、分かるはずの無いことだ。


 今だってずっと、閻魔の顔は面布で覆われている。

 かろうじて見える口元も、その部分だけで表情を読み取ることは困難だろう。


 それなら、私はいったい……何を視て──?


「よしよし。落ち着きなさい」


 頭を撫でられる感覚。

 目を押さえ込んでいた手を、ゆっくりと外された。


「恐れることも、焦ることもない。視る力を持つ者は珍しいんだ。きっとこの先、君の大きな助けになる」


 にこりと微笑んだ閻魔は、もう一度私の頭を撫でると立ち上がった。


「さあ、着いたよ。ここが選別所の中枢だ。そして、私が閻魔と呼ばれる所以ゆえんの場所でもある」


 私と閻魔を降ろすと、ぼんぼりは宙に浮かんでいく。


 足下に浮かぶ波紋。


 そこにあったのは、辺り一面に広がる星の海だった。



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