私を連れて別の部屋に移った上司と、向き合う形で腰掛ける。
「怪我はもういいんですか?」
「え?」
開口一番に怪我の心配をされ、戸惑った声が出てしまった。
「大丈夫です。気づいた時には治ってたくらいなので」
「そうですか」
聞いておいてさらりと返事をする上司に、この怪我が治った理由について、何か知ってるのではないかと思えてきた。
不意に、
揺れる視界に、思わず手の甲で額を押さえた。
死界に来てから、私の身体にはおかしな変化が現れ始めている。
一つは視界の変化。
そして、もう一つは───。
「どうして治ったんですか?」
常闇の深い黒と視線を合わせながら、そう聞いた。
「既に治療系統の能力があったとか」
「さあ、どうでしょう。今の段階では何とも言えませんね」
はぐらかすような答えに、常闇の方をじっと見つめる。
「本当は知っているのに、教えられない理由でもあるの? それとも、もしかしてわたしには言えない……とか?」
ぶにょり、と顔を掴まれる感覚。
気づけば、上司の指に頬を挟まれ固定されていた。
突然の
「全く、困ったものですね。いいですか睦月。物事にはすべからく順序ってものがあるんです」
なすがままの私に、上司はもう何度か頬を押すと、指を離していった。
「まずはよく視てみることです。睦月自身で
「……何を、言ってるんですか?」
「ああ、念のため言っておきますが、くれぐれも主導権は渡さないようにしてくださいね」
よく視る──?
いったい何を見ればいいのだろうか。
分からないことばかりだが、少なくともこの視界と何か関係があることは確かだ。
主導権が何のことかはもっと分からないが、上司の呆れた表情を見る限り、そんなに心配することもないだろう。
……たぶん。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
緩んでいた意識を引き締め直す。
おそらくこれは、私にとっても重要な話になるはずだ。
「先日の件についてですが、イレギュラーな事態に死局側も対応に追われている最中です。そして、情報管理課からの連絡が貴女にだけ届いてなかった件ですが、これについては現在調査中となっています」
仕事の報告を淡々と口にする上司を見ていると、どうやら上司もそれなりに忙しかったのだろうと思えてくる。
「今回の
上司は上司で、色々と動いてくれていたらしい。
後ろで
「今回の
「お金は死界にもあるんですね」
「あった方が便利ですからね」
確かに、死界のような世界にはあった方が便利だろう。
「ああそれと、もう一つ伝えておかなければならない事がありました」
上司の手のひらに、銀の籠が現れた。
「それってもしかして……」
「ええ。貴女が仕事で回収した魂ですよ」
声が震える。
守れなかったのだと、そう思っていた。
籠の中でふわふわと浮かんでいる魂の正体は、あの日出会ったクリスティーナのもので間違いない。
差し出されるまま、そっと籠を受け取る。
「譲ってもらったんです。契約も解除させたので、心配はいりませんよ」
「そっ……」
それはちょっと信じ
しかし、ここに魂がある以上、事実なのかもしれない。
あの悪魔が魂を譲るようには思えなかったが、いったいどんな交渉をしたのだろうか。
「今から送るには遅れもありますし、その魂は直接『選別所』へ持っていくことにしましょうか」
「選別所?」
「行ってみたら分かりますよ」
上司は私の手から魂の入った籠を持ち上げ、「いったん預かっておきます」と言いながら籠を消した。
「ありがとう、ございます」
魂を守ってくれたことも。
私が会えるまで、待っててくれたことも。
上手く言葉にならず、お礼を言うのが精一杯の私に、上司はゆるく微笑んだ。
「構いませんよ。今回の仕事、よく頑張りましたね」
ぐっと詰まった息が、言葉を発するのを難しくしている。
落ち着くため深い息を吐き出すと、上司に向けてもう一度、お礼の言葉を口にしようとした。
「まあそのせいで、悪魔に狙われることにもなったわけですがね」
悪魔に狙われる?
ちょっと待て、どういうことだ上司。
「悪魔に狙われるって、私がですか?」
上司の方ならばまだ理解もできよう。
しかし、何故か悪魔が狙っているのは私の方らしい。
理解に苦しむ展開だ。
「悪魔が
色々と
面倒だからといって、説明を省くのは止めて欲しい。
切実に。
「それで、提案なのですが」
そう言って笑う上司の表情には、ひどく見覚えがあった。
嫌な予感がする。
「睦月。貴女しばらく、霜月と暮らしてみませんか?」