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ep.9 死界へおかえり


 目の前に一匹の猫が座っている。

 黒々とした毛並みと、月をはめ込んだような目がとても綺麗な猫だ。


 猫は私と目が合うと、「にゃあ」と一つ鳴いて、何処かへ向かって歩いていく。

 それがまるで、「ついて来て」と言っているようで、私はそのまま猫の後ろに続くように歩いて行った。


 しばらく進んでいくと、ぽっかりひらけた空間へ出た。

 周りにはいくつもの扉があったが、ほとんどの扉はかすみがかったようになっていて、正確に見ることはできない。


 たまに理解できる文字が覗いたりするのだが、意味までは分からなかった。

 不思議な心地で眺めていると、猫は一つの扉の前で立ち止まり、また「にゃあ」と一声鳴いた。


「ここを開けろってこと?」


 扉の前に立つと、何故かカタカタと振動を始め、思わず伸ばしかけていた手を止める。

 扉に文字が浮き上がり、はっきりと読む事ができた。


 【お還り】


「おかえり……?」


 この扉を開けると、どこかに帰れるのだろうか。


 それにしては違和感を感じる扉だ。

 なかなか扉を開けない私にれたのか、猫は私の足に頭を押しつけてきた。


「ごめんごめん、今開けるから」


 扉に手をかけながら、ふと思う。


 私は前に、このやり取りを何度もしたことがある。


 扉の前で開けてと鳴いては、足に頭を押しつけてきたあの子の姿。

 真っ黒の毛並みがとても綺麗で、目はまるで満ちた月のようにキラキラと輝いていた。


 ──だから私は、あの子にこう名付けたんだ。


「満月……?」


 振り返ると同時に扉が開き、向こう側へと引っ張り込まれるように落ちていく。


 見上げた扉の先で、満月はこちらを見つめながら、「にゃあ」と可愛く鳴いてみせた。




 ◆ ◇ ◇ ◇




「満月っ!」


 急速に浮上した意識と共に飛び起きる。

 同時に、ゴンッと鈍い音が鳴り響き、おでこの辺りに痛みが走った。


「……いたい」


 おでこに手を当てながら、視線だけを動かして確認する。

 どうやら私は、カプセルのような形をしたものに入れられているらしい。


 なぜ例えがカプセルなのかは、以前泊まったカプセルホテルが、これにそっくりの形状をしていたからとでも説明しておこう。


「あ〜、起きたんですね〜」


 すぐ近くで間延びした声が聞こえた。

 私を包んでいた上側の壁がどろりと溶け始め、だんだんと壁の先の光景が見えるようになっていく。


 半カプセル状態になった場所から体を起こそうとすると、いつの間にか隣に立っていた少年が、「無理しちゃダメですよ〜」なんて言いながら手を貸してくれた。


「あの、どちらさまでしょうか」


 私の問いかけに「そうでした〜」と呟いた少年は、こちらに向かってぺこりと頭を下げてくる。


「初めまして睦月さん〜。ボクは死神たちの治療を担当している、つむぎと申します〜」


 紬と名乗った少年は、水色のふわふわした髪を揺らしながら微笑んでいる。

 外見は霜月よりも歳下に思えるのだが、べったりと張り付いた濃い隈が、紬の容姿をアンバランスにしていた。


「死神の治療?」


「そうですよ〜。睦月さんは怪我をしていたので、ここに運ばれてきたんです〜」


 そうだ、たしか悪魔にやられて──。

 記憶がよみがえったことで、少し頭が痛む。


「大変だったんですよ〜。とんでもない剣幕で飛び込んできたと思ったら〜、『今すぐ睦月を治療しろ!』って言われまして〜。そのまま連行されてきました〜」


「えっと、すみません。ご迷惑をおかけしたみたいで」


「いえいえ〜。死神が現世でここまでの怪我をするのは珍しいですからね〜。面白いものを見ることもできましたし〜、まあ結果オーライってことで〜」


 こちらを見て意味あり気に笑う紬に首を傾げていたが、詳しいことを聞く前に、誰かが室内に入ってきた。


「紬、目が覚めたと聞きましたが」


「あ〜、美火ちゃん〜。待ってたよ〜」


 美火びびと呼ばれた少女は私に目を留めると、軽く会釈えしゃくをしてから歩いてくる。


「美火と言います。上司から貴女をお連れするよう言われてきました」


 私の前で止まり、こちらを見ながらはっきりとした口調で話しかけてくる少女。

 橙色だいだいいろの目は猫のようにつり上がっており、黒い髪は顔周りにかかるくらいのボブだ。


 後頭部についている黒色の大きなリボンが印象的で、正面から見ると、リボンの出っ張っている部分が猫耳のように見えてくる。


 思わずじっと眺めていると、美火は視線を逸らし、居心地悪そうに身じろぎした。


不躾ぶしつけでしたよね。ごめんなさい。あまりにも可愛いかったので」


「かわ……っ」


 近くで聞いていた紬が、「睦月さんが美火ちゃんを口説いてる〜」なんて言いながら、ほわほわした笑みを浮かべている。


 茹蛸ゆでだこのように真っ赤になった顔を隠すと、美火は「いいから早く、ついて来てください……」と蚊の鳴くような声で話しかけてきた。


 うん、今すごく口説きたいかもしれない。



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