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ep.6 悪魔の主人


 飛んだ先は、どうやら海に近い倉庫のようだった。


 潮風の匂いがただよい、びたコンテナが積み上げられている。

 コンテナの間を通りながら、どこか隠れられそうな場所を探していく。


 こうして歩いていると迷路のようだ。

 あまり入り組んだところに隠れては、霜月と合流するのが難しくなるかもしれない。

 今は一刻も早く、魂を死界に送らなければならないのだ。


 銀の籠を見下ろすと、中で浮かんでいる魂もどことなく不安そうに見える。

 この籠に入れておけば魂の状態は保っておけるため、ひとまずは心配ないはずだ。


 籠をしっかりと抱え込み、目の前のコンテナに向かって歩を進める。

 青っぽいコンテナは入り口が少し開いており、隠れるにはちょうど良さそうだった。


 コンテナまであと数歩の距離。

 もう一歩を踏み出そうとしたその時、目の前でコンテナが吹き飛んだ。


 ぎ払われるかのように大破したコンテナは、上の部分がごっそりと無くなっている。

 コンテナの残骸ざんがいを見て、驚きで足を止めた。


「ああ、やっぱりここに居た。探したよ」


 コンテナの後ろに男が立っている。


 男は温和そうな笑みを浮かべると、こちらへ近寄って来た。

 一歩、また一歩と近づくたび、男のまとう空気がおよそ人間のそれでは無いと気づかされていく。


 震えそうになる両足を踏ん張りながら、目線はずっと男の方から逸らさないでおいた。


「可愛らしい死神さん。その魂を渡してくれるかい? それは元々、僕が受け取るはずのものなんだ」


「……これは、私たち死神が回収した魂です。渡すことは出来ません」


 こちらに手を差し出した男──否、悪魔から距離を取ろうと後ろへ退がる。


「うーん、困ったね。君はまだ新人だろ? 自分のためにも、ここで渡しておいた方が良いと思うんだけどな」


 私が新人の死神だとバレている。


 違うな、分かって当然だ。

 この悪魔と私では、力の差が歴然れきぜんとし過ぎている。

 死神が悪魔の天敵であるにも関わらず、だ。


「君も分かっているはずだ。僕と君では力の差がありすぎるってことをね。……もう一度だけ言うよ。それを僕に渡せ」


 周りのコンテナに亀裂きれつが入り、ひび割れるような音がそこら中に鳴り響く。

 どこかで、「渡してしまえ」とささやく悪魔の声がする。


 ああ、そうか。

 この悪魔は──私の感情よわさだ。


「渡せません。何があっても、これは絶対に渡したりしない」


「そうか。それは残念だ」


 背後で声が聞こえた。


 それと同時に、体を地面へと叩きつけられる。

 はりつけにされたような状態で、うつ伏せに倒れる私の後頭部に足を乗せた悪魔は、そのまま靴底の角で何度も頭を踏みつけてきた。


 擦り切れた頬がヒリヒリと痛み、耐えきれなかった声が口から漏れ出ていく。

 かろうじて腕で囲うようにして守った魂は、籠に囲われており無事のようだ。


 今の自分の格好が、以前あの子がよくしていたポーズに似ている気がして、こんな時なのに少し笑えてくる。


「まだそんなに余裕があるなんて。新人だからって、あなどりすぎてたみたいだね」


 悪魔はそう言うと、後頭部から足をどけた。

 そして、私の右足首に向かって勢いよく足を振り下ろしてくる。


 バキリ……と、足から鳴ってはいけない音がした。


 直後、あまりの痛みに苦痛の声を上げる。


「ああ、痛かったかい? 僕もこんな事をするつもりはなかったんだよ。でも、君が素直に渡してくれないから仕方なく……ね」


 仕方なくなんて言いながらも、悪魔の顔にはたのしくてたまらないという気持ちが表れている。


「逃げられたら困るからね。悪いけど、もう一つの方も折らせてもらうよ」


 左足からも骨の折れる音が鳴った。


「っ、ゔぅっ……!」


 思わず噛み締めた歯の隙間から、うめき声が抜けていく。

 両足を折られても、どうしても腕の中にある魂を渡す気にだけはなれなかった。


 幸せだと言って死んでいったクリスティーナ。

 それならどうか、そのままでいて。

 幸せなまま、覚めない夢を見続けていてほしい。


 もう二度とに会えない、私の分まで──。


「ほら、これで逃げられない。どう? 渡す気に……そう。それなら仕方ないね」


 悪魔は咳払いをすると、私に向けて「右手を上げろ」と命令した。

 強烈な力に引っ張られるかのように、自分の意思とは関係なく、右手が籠から引きがされていく。


 右手が頭の横まで上がったのを確認すると、悪魔はどこからかナイフを取り出した。

 そして、振り上げたナイフで地面とい付けるように、手の甲を勢いよく貫いてきた。


「ぅっ、ゔぁああっ……!」


 両足に右手。

 苦痛の域を超えている。

 飛びそうになる意識を必死で繋ぎ止め、残った左手で籠をしっかりとつかむ。


「ここまでしても駄目なのかい? なかなか面白いね、君。いい玩具おもちゃになりそうだ」


 右手から流れていく赤は、血なのだろうか。

 流れる赤は途中から赤黒く変色すると、最後には黒い霧に変わり、蒸発するように消えてしまった。


「さて、残りは左手だけだね。どうする? 降参でもするかい?」


 ニヤついた顔がさっき出会った悪魔にそっくりで、嫌悪感が込み上げてきた。


 嫌な顔。

 こいつには絶対、渡してなんかやらない。

 それに、どうせ降参したところで、しばらくは玩具にされる未来が待ち受けているだけだ。


 なおさら、降参なんてしたくない。

 意地でも最後まであらがってやる。

 そんな事を思っていても、今の私には少しずつ薄れていく意識を繋ぎ止めることさえ難しいらしい。


 自分の無力さが悔しかった。

 霜月は無事だろうか。

 私に力がないばかりに、あの場に一人残してきてしまった。


 どうにもならない自分の弱さが、ただただ悔しくて……。


 それもこれも全部、上司のせいってことにしてやる。

 聞こえてるか上司。

 初日からこんな目にうなんて、とんでもないことだからな。


 ほんと、上司の……ばか……やろ……ぅ……。




 ◆ ◆ ◆ ◆




 動かなくなった睦月を見下ろし、悪魔は持っていたナイフをくるりと回した。


「おや、気絶してしまったのか。少し残念だけど、まあいいさ。魂を回収したら……いや、もう少し遊んでから帰るのも悪くないかもしれない」


 悪魔は醜悪しゅうあくな笑みを浮かべると、そのまま睦月の方へと手を伸ばした。


 ──はずだった。


「え?」


 伸ばした手が、肘の先から丸っとなくなっている。


「あれ? なんで?」


 自分の手は何処へ行ったのか。

 混乱するままに辺りを見回すも、手は何処にも落ちていない。


 ──まさか死神こいつが?


 所詮しょせんは新人の死神。

 そんなことが出来るはずもない。

 鼻で笑った悪魔は、睦月をはりつけにした場所へと視線を戻した。


「い、いない……!? なぜ……何処に行ったんだ!」


 そこには何も無かった。

 睦月の姿はおろか、悪魔が刺したナイフまでもが忽然こつぜんと姿を消している。


「そんな馬鹿な……。僕から逃げられるはずが──」

「逃げてなんていませんよ」


 突然降ってきた声に、悪魔は空を見上げた。


 コンテナのさらに上。

 空中に浮かぶその男は、左の腕に何かを抱えている。

 ぐったりとした様子で動かないそれは、先ほどまで悪魔が遊んでいたはずの──死神だった。


「随分と好き勝手してくれたようですねぇ。緊急の事態だと言うから駆けつけてみれば、可愛い部下がボロ雑巾ぞうきんのような姿になっているなんて」


 手を顔に当て、およよ……と泣き真似をしてみせる男を、悪魔はただ呆然と見上げている。


「最近は忙しくて、ストレスも溜まり気味だったんですが、ちょうど良いことに発散できそうな玩具を見つけました」


 男の顔から手が外れていく。


 新人だと高をくくっていた。

 非力で、ちっぽけな死神でしかないと。

 それなのに、その新人が連れてきた死神は何もかもがおかしい。


 ──アレはいったい、なんだ……?


 まるで、得体の知れないものに見つめられているかのような感覚。


 部下を腕に抱えたまま、自らを見上げる悪魔へと、常闇はあざけるような笑みを浮かべた。



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