庭にあるロッキングチェアに座り、一人外を眺めている女性。
あの女性が今回の仕事における対象者であり、保護案件に指定された魂の持ち主だ。
「庭に出たかったんだね」
庭の端にある木陰から見守るように覗いていた睦月は、庭から出る様子のない女性に
「少し
「なら良かった」
隣に立つ霜月が警戒を緩めたことで、睦月の身体からも自然と余分な力が抜けていく。
「そういえば、そのずれってどういう意味なの?」
不思議そうな顔で問いかける睦月を見て、霜月はどこか違和感を覚えたようだった。
「ここに
「うん、来てたよ。対象の現在地が分かるのも、その座標管理課って所が連絡をくれてたからだよね」
「ならそれと同じ位に、情報管理課からも連絡が来てなかったか? ずれっていうのは、ここが前もって知らせる情報と、実際に起きた出来事との間で、何か違いが起きている時に使ったりする」
念の為もう一度画面を見てみるも、そこに表示された名前が上司と座標管理課の二つだけなのを確認すると、睦月は小さく首を振った。
「ずれのことは分かったけど、情報管理課からの連絡は来てないみたい」
──睦月がないと言うのなら、実際そうなのだろう。
でもなぜ、睦月の方だけ……?
「ごめん睦月……。おそらく死局側の不手際だと思う。この件は後で確認しておくから、今回は俺が説明してもいいか?」
「謝ることないよ。霜月の説明は分かりやすいし、むしろ助かるくらい」
本当に気にしてないそぶりで話す睦月に、霜月の拳も緩んでいく。
憤るべきは今ではない。
この仕事を終えてからでも、時間は充分にあるのだ。
睦月の視界から隠すように、霜月は握った手を背中側へと回した。
死局は優秀な死神が多く
依頼を受けた死神の多くは、ここから送られる情報を
実力や位の高い死神たちが
そんな死局が、
人間社会とは訳が違う。
死局があるのは、死界なのだ。
「そう言ってもらえて嬉しい」
睦月に褒められた嬉しさから、霜月の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
背後に隠した拳を
「対象が保護に入るまで、まだ少し時間が残ってる。今のうちにできる限り共有しておこう」
「うん。よろしくお願いします、霜月先輩」
真面目な顔で敬礼をしながら応えた睦月に、思わず気が抜けて吹き出してしまう。
「ふはっ。……うん、任せて」
慌てて口元を手の甲で隠したが、遅かっただろうか。
霜月は照れくさそうな顔をした後、誤魔化すように軽く咳払いをした。
◆ ◆ ◇ ◇
「やっぱりそこに居るのね」
私たちのことは視えていないはずだ。
それならいったい誰に……?
隣では、霜月が警戒した目で女性のことを見つめている。
霜月が教えてくれた情報には、「対象はこのまま一人で亡くなる」「保護開始から回収までの間に訪問者は誰もいない」とあった。
周りを見渡すが、他の人間や悪魔などの気配は感じられない。
そういえば、悪魔の天敵が死神だと聞いた時は驚いた。
死神を苦手とする悪魔たちは、わざわざ保護されている魂を狙うような真似はしないらしい。
もちろん例外はある。
たとえ死神がいようとやってくる悪魔は、貪欲で力の強い悪魔だ。
そして魂の中でも、特に貴重なものを狙って現れる。
ただし、それだけ狙われる魂には高い危険度が付きものであり、度合いに準じた高位の死神しか仕事の依頼を受けることはできない。
保護案件とはいえ、この仕事の危険度はEだ。
上司も難易度は低めにしたと言っていたし、さすがに部下の初仕事で無理難題を押し付けるようなことはしないだろう。
だからと言って、警戒を
あとは回収の時間まで、近くで対象を見守っていく予定だった。
私も霜月も、実体化は解除していない。
本当になぜ──。
「驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね」
女性はもう一度、誰かに話しかけるように声を発している。
「あなた達を見ていたの。夕方くらいまで、そこの川の近くに居たでしょう?」
女性が話している相手は私たちだ。
驚きで言葉を返せずにいると、私を守るように霜月が前へと進み出た。
木陰から姿を見せた霜月に、女性は嬉しそうな笑みを浮かべている。
「そう警戒しないで。ただお話しがしたいだけなの」
「俺たちの声も聞こえてるのか?」
「ええ、聞こえてるわ。素敵な声ね」
彼女はどうやら、私たちが見えるだけでなく、声も聞くことができるらしい。
そっと霜月の背後から身体を覗かせる。
「あの、どうして──」
「まあ! やっぱり遠目に見るより素敵ね。こんなに綺麗な子たちが迎えに来てくれるなんて、私は幸せ者だわ」
この人は知っているのだ。
私たちが自分を迎えに来た
天使と勘違いしている可能性も考えたが、全身を真っ黒なローブで覆った男女の天使。
ちょっと無理がある。
女性が私へと意識を向けたことで、霜月は私を隠すように体をずらした。
「霜月、あの人もしかして……」
小声で話しかけると、霜月も視線は前に向けたまま、同じように小声で返してくれる。
「多分、俺たちが死神だと分かった上で話しかけてるみたいだ」
「やっぱりそうなんだ」
霜月の言葉を聞いて、確信が強まった。
彼女は知っていて、話しかけているのだ。
最後に、私たちと話がしてみたいと。
彼女の元へ足を進める。
霜月は一瞬、私を止めるか迷う素振りをしたが、すぐに手を下ろすと何も言わず後ろをついて来てくれた。
「私のわがままを聞いてくれてありがとう」
女性の数歩前で足を止めると、向き合うように前を向く。
「私も、話してみたくなったんです」
「まあ嬉しい! 私はクリスティーナって言うの。良ければティナって呼んでちょうだい」
短く切り揃えられた焦茶色の髪と、緑の目をした壮年の女性。
クリスティーナはイギリス人の父と日本人の母との間に生まれ、イギリスから日本へ来てからはずっと、このレトロな一軒家で一人暮らしをしている。
この情報は全て、死神のデータベースに載っている内容だ。
新人が読める範囲はそう多くないが、それにしてもかなり便利な
「じゃあ、お言葉に甘えてティナさんと呼びますね。私たちのことは……」
呼び名を知られるだけであれば問題はないはず。
しかし、いかんせんこの状況で教えてもいいものか。
判断に困り、言葉を詰まらせてしまう。
「ああ、良いのよ言わなくて! あなたたちにとって、名前はとても大切なものなんでしょう?」
それは貴女にだって言えるはず。
そんな言葉を
不意に、後ろにいた霜月が私の横に並ぶと、こちらに視線を向けてきた。
霜月の目が、「睦月の好きなようにしていい」と伝えてくれているようで、悩んでた気持ちが嘘のように消えていく。
「私は睦月といいます。隣にいるのは霜月です」
「睦月ちゃんに霜月くんね! 教えてくれてありがとう。名前に月がつくなんて、とても素敵だわ」
目をキラキラさせてはしゃぐクリスティーナを見ていると、とてもこれから亡くなる人には思えない。
「本当は家の中でお茶でもご馳走出来たら良かったのだけど、ごめんなさいね」
「気にしないでください。でもどうして、私たちと話そうと思ったんですか? それに、私たちが見えている理由も気になります」
霜月も気になっていたようで、黙ったままクリスティーナの方を見つめている。
「実はね、私には魔法がかけられているの」