目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
ep.8 印の死動


 二人で向かい合ったはいいが、こうしてみると何から話せばいいか迷ってしまう。

 そもそも私には、聞きたいことよりも、知らないことの方が多過ぎるのだ。


「本来なら順を追って話すけど、夜までそんなに時間も残されてない。先に重要事項から説明してもいいか?」


「もちろん」


 とりあえず、今夜の仕事に間に合わせるためにも、ここは霜月に任せておいた方が良いだろう。


「ならまずは印について。睦月、さっきあのく……上司が刻印した位置を確認してみて欲しい」


 いま絶対くそって言いかけたな。

 まあ気持ちは分からなくもないので、ここは聞かなかったことにしておこう。


 印の位置は、心臓の上辺りでお願いしていたはずだ。

 首元の服を手前に引っ張り覗いてみたが、それらしきものは見当たらない。


 目をらしてはみるものの、やはり印があるようには見えず戸惑ってしまう。


「ちょっと見てて」


 言われるままに視線を向けると、霜月は右手を持ち上げ、首の左側──ちょうど頬と首の繋ぎ目くらいの位置に指を当てた。

 そしてそのまま、「死動しどう」と口にする。


 霜月の首から頬にかけて、黒い紋様もんようのようなものが浮かび上がるのが見えた。


「これが死神の印。死神としての権利や特権を使用する際は、この印を起動させておく必要があるんだ」


「印ってけっこう大きいんだね。それに思ってたよりも繊細せんさい……」


 一つの芸術品のようでまじまじ見ていると、霜月が恥ずかしそうに身じろぎした。

 「睦月もやってみて」と促され、同じように手を印のある位置へと当てる。


「『死動』って唱えればいいんだよね?」


「うん。位置さえ合ってれば、当てるのは服の上からでも問題ない」


 なるほど、それは助かる。

 教えられた通り「死動」と唱えると、手を当てた位置から何かがうように広がり、印が浮かび上がってくるのが見えた。


 印は霜月と同じ形まで広がったあと、動きを止めている。

 満足気に微笑んだ霜月は、「次は印の使い方だけど……」と呟きながら、その場に立ち上がった。


「少し外に出よう」


「外?」


 なぜ外に出る必要があるのか分からないが、霜月が意味のないことをさせるとも思えない。

 大人しく座布団から立ち上がり、ベランダに向かった霜月を追うように外へ出た。


「この後の事を考えると、実践じっせんで覚えた方が効率も良いはずだ。念のため装束は着ておこう。睦月、印に対して装束を要求してみてほしい」


 おそらく、霜月の脳内ではこれから行うことへの段取りが出来ているのだろう。

 しかし、残念ながら私の脳内は、混乱の嵐に見舞われまくっている。


 とりあえず、「呼べばこたえてくれる」と言う霜月のやり方通りに実践してみることにした。


「えー……印さん。装束をいただきたいんですが」


 隣で霜月がせた。


「──む、睦月。印には頭の中で話しかけてみて。それと、印はツールのようなものだから、端的たんてきな言葉で構わないし、敬称も特に必要ない」


「それを先に言わんかい」


 霜月の頬をつまみ、横にびよびよと引っ張る。

 「む、むひゅき」と慌てる霜月の頬を、さらに何度かむにむにと摘んでから手を離した。


「ごめん……。睦月がさっきまで人間だった事を失念しつねんしてた俺のミスだ。次からは気をつける」


 しおしおと落ち込んでいく霜月の頬をもう一度だけ軽く摘むと、「これで帳消しにしてあげる」と優しく返しておいた。

 気を取り直して、今度は頭の中で念じるように話しかけてみる。


 ──装束を要求します。


 突然目の前に画面モニターのような物が表れた。

 画面の中央には「確認中」と書かれた文字が浮かんでいる。

 しかしそれらは一瞬で消えると、代わりに機械的な音声が響いた。


《装束の要求を確認しました。権限内のため、今後は自動承認に切り替わります》


 突如、私の周囲に黒い霧が現れた。

 霧は私の身体に巻き付くように広がると、一瞬でローブへと姿を変えていく。


 ぶわりと舞った外装がいそうが、私の体をおおい隠すように落ちてくる。


「睦月は黒もよく似合う」


 満足そうに目を細める霜月を見て、自分でも身体を覆う装束を見てみた。


 ローブは足首までを綺麗に覆っており、かろうじて見える足元には黒いショートブーツが装着されている。

 長めの袖と少し広がった袖口、首元の留め具と首の後ろに付けられたフード。


 見た感じ、作りはほとんど霜月の着ているものと変わらない。

 ただ、気になる点が一つ。


「これ……私の服?」


 ローブをまくった先には、先ほどまで自分が着ていた服がそのまま残っていた。


「人間が実体化した死神を見ても、装束の効果で黒い外観くらいしか見えてないんだ。それもあって、装束の下に着るものは基本自由ってことになってる」


 言われてみれば、最初に出会った時、私には上司や霜月を構成する色がほとんど黒に見えていた。

 装束に付帯している効能には、本来見えているものを変換する能力があるのだろう。


「人からは見えてなくても、霜月や他の死神からは見えてるってことだよね。下に着る服、用意しておこうかな」


「見本品として、いくつか使用可能なものはあるけど……。睦月さえ良ければ、あとで試しに見てみる?」


「そういうのがあるんだ。うん、そうしてみようかな」


 とりあえず、今着ている服なら問題もなさそうだし、このままでも大丈夫だろう。

 それはそうとして、霜月はそもそもベランダで何をするつもりなのだろうか。


「準備も出来たし、そろそろ行こう」


「行くって……どこに?」


 ここはベランダだ。

 さらに言うなら13階の。


「実践ができる所。ここに来る途中、良さそうな場所を見つけたんだ。心配しないで、先導せんどうは俺がするから」


 そう言うと、霜月は私の手を取って自分の方へと引き寄せた。

 そして、ベランダの柵を大きく飛び越えると、あろうことか空中に身を投げ出したのだ。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?