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第五二章 血族

「こんなところにいたのか、キョウスケ」


 若い男の声に呼びとめられて、俺はゆっくりとそちらを振り返る。

 そこに立っていたのは、金髪碧眼のいかにも美丈夫といった端正な面持ちの若者だ。

 人好きのする笑顔を浮かべて駆け寄ってくるその青年は、名をアリオスといった。

 【剣聖】という非常に稀な職業の加護を授かった若き才媛で、同時に俺たちのパーティのリーダーでもある。


 ――その光景が過去のものであることは、もちろん俺にも分かっていた。

 これは夢だ。それも、遠き日の夢……。


「何を見てるんだい?」


 そこは旅糧などを扱う雑貨屋で、アリオスは俺が眺めていた干し肉や煮豆の缶詰の並んだ棚を興味深げに覗き込んでいた。


「タンパク質の豊富そうな食糧があれば、買い込んでおこうと思ってな」


 俺の口が勝手にそう答える。

 この夢がいつごろの記憶の再現なのかは分からないが、おそらく当時の俺はまだ前世におけるボディビルダーとしての生きかたを引きずっていたのだろう。

 ここ最近は腹さえ満たせれば細かいことは気にしないようになったが、当時はまだ筋肉へのこだわりも強く、大きな街に立ち寄っては干し肉や豆類を買い込んでいた。


「タンパクシツ? 相変わらず、キョウスケはよく分からない言葉を知っているね」


 アリオスはハハッと笑って、煮豆の缶詰を手に取った。


「こんなものより、砂糖たっぷりのチョコレートのほうが元気が出ると思うけどなぁ」


 缶詰のラベルに描かれた豆のイラストを見て苦笑しながら、アリオスがぼやく。

 確かに、携帯食料としてチョコレートが優秀なのは事実だ。

 干し肉のように咀嚼の必要もなく、乾パンのように喉の詰まりに苦しむこともなく、何よりも美味しくて栄養価が高いと隙がない。

 ただ、当時の俺にとって精製された糖質というものは悪であり、チョコレートなどという存在は毒以外の何ものでもないという認識だった。


「筋肉を育てるためには、日々の食生活が重要だからな」


 俺はそう答え、アリオスの手から煮豆の缶を取って手提げ籠の中に収めた。

 それから適当な干し肉と堅パンも籠に入れて、カウンターのほうに持っていく。


「ねえ、どうすればキョウスケみたいに逞しい体になれるんだい?」


 アリオスは子犬のように俺のあとについてきて、ニコニコと屈託のない笑みを浮かべながらそんなことを訊いてきた。

 嫌味やおべんちゃらなどではなく、純粋な興味からの質問のようだった。

 俺は会計カウンターに商品の籠をおいて店主に声をかけてから、アリオスのほうに顔だけ向けて言った。


「よく食べて、しっかり筋トレすればいい」

「キントレ? お金のトレーニングってこと? それとも、まさか……」


 どんな想像をしているのか、アリオスの顔が薄紅色に染まっていく。

 この世界ではそもそも職業の加護によってステータスによる身体能力の補正が受けられることもあって、そもそも筋肉を育てるという概念自体が薄かった。

 そのため、当然ながら筋トレという言葉も俺たちの世界ほど浸透していないのだ。


「筋肉を大きくするためのトレーニングだ」


 俺は店主が商品の精算を行っている様子を見守りながら、そう訂正した。


「はー、それで筋トレなわけだ。ねえ、それって僕にもできるかな?」


 精算の終わった商品を手持ちの鞄に詰める俺に、アリオスがさらに訊いてくる。

 その目は好奇の光に満ちていて、俺が気まぐれに手ほどきをすれば、今日からでもすぐに筋トレをはじめてしまいそうな気配すら感じる様子だった。


「やめておけ。筋肉は一朝一夕で育つものではないし、何より疲れるからな。筋トレの疲労のせいでダンジョン攻略中に力尽きでもしたら、元も子もないだろう?」

「そっか……残念だなぁ」


 アリオスはその言葉どおり、心底残念そうに言って溜息をつく。

 俺は雑貨屋の戸口のほうに向けて歩き出しながら、肩をすくめて言った。


「いつか俺たちの旅が終わって、世界が平和になったら一緒に筋トレをしよう。でも、どうして急に筋肉を大きくしたいなんて思ったんだ?」


 トボトボと後ろからついてくるアリオスを肩越しに振り返りながら訊くと、彼はパッと表情を輝かせながら俺のすぐ隣まで駆け寄ってくる。


「本当は、出会ったときからずっとキョウスケの体に憧れてたんだよ。ほら、僕は見てのとおり痩せっぽちだし……それに、実家にあったご先祖さまの肖像画によく似てるんだ」

「ご先祖さま?」


 さらに訊くと、俺が興味を示したことが嬉しかったのか、アリオスがその顔に満面の笑みをたたえながら答えた。


「そうなんだよ! アノール・コンナードという屈強な戦士で、とても逞しい体をしていたらしいんだよね。本当かどうかは分からないけど、三百年か四百年くらい前に魔王を倒した勇者も、実はご先祖さまのお弟子さんだったって噂があってさぁ……」


 アリオスは自慢話でもするかのように、少し得意げな調子でそう語った。


 ――と、そんな彼の言葉も、少しずつ耳に入らなくなってくる。

 視界から色が失われ、その像も少しずつ滲んでいくようにぼやけてくる。

 ひょっとしたら、夢の終わりが近いのかもしれない。


 待ってくれ、まだ目覚めないでくれ……今、何か重要なことを聞いた気がするんだ。

 コンナード――確か、今から四百年前にこの世界に降り立ったという転生者がそんな名前だったはずだ。

 これは本当に俺の記憶なのか? それともただの夢なのか?

 もしこれが記憶の中の残滓なのだとしたら、アリオスはかつての転生者の――。


     ※


 目を開けたとき、眼前には何故かシンシアの顔があった。


「んん……ん……んぅ……? あれ、起きてもうたん?」


 シンシアが顔を離しながら残念そうに呟き、そのまま体を起こしてぐっと伸びをする。

 いったい何をされていたかについては、今は考えまい……。


 窓から差し込む日差しはまだ低く、おそらくは早朝といったところだろうか。

 ベッドに横になったまま周囲に首を廻らせると、同じベッドにはシンシアの他にシエラとサラとフィーがいて、シエラとフィーは俺の腹の上に頭を乗せたまま寝息を立てている。

 二人が眠りにつく直前まで何をしていたのかは、あまり考えたくない。

 サラはいつぞやと同じように俺の腕を胸に抱きながら眠っており、むにゃむにゃと寝言だかうわ言だか分からない謎の声を漏らしている。


 隣を見やると、そちらではラシェルとアイシャが抱き合うようにして眠っていた。

 背丈だけで言えばアイシャのほうが頭一つくらい大きいのだが、何故か彼女は母親に甘えるかのようにラシェルの胸に顔を埋めたまま眠っており、奇妙なギャップを感じる。


 しかし、なんだってここまで女性陣が勢揃いしているのだろう。

 特にシンシアやフィーやアイシャの三人は、いつからこの家にいるのか……。

 夢の中の記憶は妙に鮮明なのに、何故か昨夜の記憶だけはすっぽりと頭の中から抜け落ちているようだった。

 最近、なんだかこういったことが多い気がする。大丈夫かな、俺……。


「ふぁぁ……キョウスケ、今日からノティラスに行くねやろ?」


 シンシアがあくびをしながらベッドを降りて、そのまま炊事場のほうまで歩いていく。


「ウチも冒険者になろかな……まあ、今さら急になっても邪魔になるだけやろうけど」


 そんなことを呟きながらゆったりとした足取りで歩いていくシンシアの後ろ姿は、日頃から立ち仕事をしていることもあってか、ほどよく引き締まっていて美しい。

 おそらくは水でも飲みに行っただけなのだろうが、俺はその美しいシルエットについつい見入ってしまった。

 形の良いお尻をしてるんだよなぁ……。


「冒険者登録だけして、とりあえず神託だけでも受けてみれば? 案外、後衛職とかの加護が受けられれば即戦力って可能性もあるし」


 ――と、隣のベッドからラシェルの声がする。

 どうやらこちらも目を覚ましたらしい。


 職業の加護を受けるための神託は冒険者ギルドに登録さえ済ませてしまえば誰でも気軽に受けられるし、そのための施設はノティラスにすべて揃っている。

 あまり詳しくは知らないが、職業の加護の中にはラシェルの言うような非戦闘職に類されるものもあるらしいし、試しに神託だけ受けてみるのも良いかもしれないな。


 それに、もともとダンジョンにおもむく前にノティラスに寄るつもりはしていたのだ。


「シエラにも神託を受けさせておく必要があるしね」


 ラシェルが俺の考えを代弁してくれる。

 まさにそのとおりで、件のダンジョン攻略に万全を期すため、昨日の時点で一度シエラに神託を受けさせておこうという話にはなっていたのである。


「んー……いったん、おとうとおかあに相談してもええかな?」


 シンシアが流しでグラスに水を入れながら、少し悩むようにぽつりとそう答えた。

 どうやら単なる思いつきではなく、本心で冒険者に興味があるらしい。

 というより、ここまで来たら自分も一緒に行きたいという思いもあるのだろう。

 俺だって、この先再び魔王退治の旅に出ることになったとき、シンシアだけを村に残して行くというのは少し忍びないと思っていた。


「んぁ……シンシアも一緒に行くの……?」


 ――と、今度はアイシャが起き出してくる。

 手の甲で寝ぼけ眼を擦りながらぼんやりとした表情でシンシアを見やり、それから何故か未だ眠り続けるフィーのほうに視線を向けた。


「いいんじゃない? ラシェルやシエラちゃんがいるだけでも怖いモンなしなのに、今回はフィーちゃんも一緒に来るんでしょ? シンシア一人くらい護ってあげられるよ」


 えっ……フィーも一緒に行くって話になってたんだっけ……!?


「いや、今日はもうお店休むって言ってたじゃない。聞いてなかったの?」


 驚愕する俺に向かって、ラシェルが呆れたようにぼやいた。

 そんな話、聞いたっけなぁ……。


「……んふふ……まだ出せるでしょ、キョウスケ……」

「んんっ……ダメだよ、マスター……もうお腹いっぱい……」


 当のフィーは、シエラとそろって俺の腹の上でモゾモゾと寝言を呟いている。

 なんだか恐ろしいことを言っている気がするのだが、深く考えるのもそれはそれで危険かもしれない。


「そんじゃさ、アタシたちが親父からキョウスケくんの盾とシエラちゃんの剣を受け取ってる間に、シンシアはおじさんたちに話をしてきたら?」


 アイシャがベッドの端に脱ぎ捨てられていた純白のショーツに脚を通しながら、そんな提案をしてきた。

 あまりジロジロ見るのも失礼だと分かってはいるのだが、彼女の暗褐色な肌の色と真っ白な布地のコントラストが目に眩しい。


「そうしよかなァ……なあ、みんなで黙って村を出て行ったりせんやんな?」


 チビチビと水の入ったグラスに口をつけながら、シンシアが不安そうに訊いてくる。

 そんな彼女の表情が面白かったのか、くすっと笑ってラシェルが言った。


「心配しすぎよ。シンシアさんだって、もうあたしたちの立派な仲間なんだから」

「ラシェル……」


 そんなラシェルの言葉に、シンシアが両手で大事そうにグラスを包みながら、伏し目がちにそっと微笑んだ。


「そうだよ! ここまで来て、誰かが仲間外れなんてイヤだもんね!」


 アイシャも同調するようにシンシアに向けて二カッと笑いかけている。

 いろいろ問題もある気はするけど、やっぱりみんな気持ちの良い子たちだよなぁ……。


「あ、どうでもいいけど、アイシャ、それ、あたしのパンツよ」

「うぇっ!? ……あ、ほんとだ! どうりでちょっとキツいと思った!」

「ちょ、やめてよ! あたしのおしりがデカいみたいじゃない!」


 うん、良い子たちなんだけど、やっぱりちょっと俺には荷が重いんじゃないかな……。


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