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第五一章 かくありき

「まったく、ここにきて気になることばかりじゃのう」


 物干し竿に干した洗濯物を取り込みながら、溜息混じりにサラが言った。

 ぼちぼち夕方に差し掛かろうかという時刻である。

 この世界でも太陽は東から昇って西に沈むところは変わらないらしく、茜色に染まった西日が目に眩しい。


 あれからグスタフの工房をあとにした俺たちは、市場で夕食に使う食材の買い出しをして借家に戻ってくるなり、それぞれに残りの家事に取りかかることとなった。

 俺とサラは洗濯物の取り込みで、ラシェルとシエラは夕食の準備だ。

 この村に来てからというもの、何かにつけて宴会ばかりしており、料理に関してもフィーの召喚する家事妖精に任せっきりだった。

 こうやって落ち着いて家のことをするのは、地味にはじめてのことかもしれない。


「不死者にのまれたダンジョンといい、お主さまの不可思議な剣といい、転生者リュトスにそっくりな人間といい……ワシらの知らぬところで運命的な何かが動いておるのかのう」


 サラがブツクサと呟きながら物干し竿から外した洗濯物を籠に収め、ずいっとそれをこちらに押し出してくる。

 重いから家の中に運ぶのは俺がやれ――ということだろう。従魔とは……。

 俺はずっしりと重たい籠を持ち上げると、先導するように先を歩くサラのあとについて家の中へと入っていった。

 炊事場でラシェルが鉄鍋で何か肉でも焼いているらしく、室内には食欲をそそる香ばしい匂いが立ち込めている。

 そのすぐ隣ではシエラが皮の剥かれた玉ねぎをポイッと空中に放り投げ、目にもとまらぬ包丁さばきで櫛切りにカットしていた。

 【剣技】スキルって包丁の扱いにも適応されんのかな……。


「何を作っておるのじゃ?」


 サラが炊事場のほうに歩いていって、二人の作業を後ろから覗き込んでいる。

 俺はひとまず洗濯物の籠をベッドの脇におき、乾いた洗濯物を適当にベッドの上に広げてたたみはじめた。

 いちおう前世で一人暮らしをしていた期間もそこそこあるので、洗濯物を畳むくらいは誰に教わらなくともできる――のだが、女性用の下着はどう畳むのが正解なのだろう……。


「鶏肉のトマト煮でも作ろうかなって。ちょうど市場でトマトと玉ねぎが安かったから」


 炊事場のほうから、サラとラシェルの話し声が聞こえてくる。


「ほう。これは鶏肉か。良い香りじゃ」

「そうよ。昨日、フィーが持ってきてくれたやつの残りだけど」


 ラシェルがそう答えながら鉄鍋の中から焼き目のついた鶏肉を取り出し、それを作業台の上に置かれた木のトレーの上にあげていく。

 そして、そのまま空いた鉄鍋の中にシエラが切った玉ねぎを投じると、今度はそれを鶏肉から出た油と絡めるように炒めはじめた。

 一方、シエラは流しに置かれていたボウルを台の上に移し、その中で水に浸されていたトマトを手に取ると、おしりのほうに包丁で切れ目を入れてスルスルと皮を剥いていく。

 いわゆる湯むきというやつだろうか。

 サッと熱湯に浸して表面だけ加熱してから冷水に浸すことで、トマトやナスのような野菜はわりと簡単に皮を剥くことができる――というくらいの知識は俺にもある。


「ラシェル、おぬし、地味に料理ができるようじゃのう」

「地味にって何よ。こう見えて、エルフの里にいたころはちゃんと自活してたのよ」


 鉄鍋の中の玉ねぎにパラパラっと少量の塩を振りかけながら、ラシェルが唇を尖らせた。

 徐々にこちらまで炒めた玉ねぎの甘く香ばしい香りが漂ってきて、俺はベッドに座ってラシェルのショーツを畳みながらも、空腹の予感に思わず頭の中で唸ってしまう。


「ジカツって何?」


 皮のむけたトマトを別のボウルに移しながら、キョトンとした顔でシエラが訊いた。

 ラシェルは顔だけそちらに向け、困ったように笑いながら肩をすくめる。


「自活は自活よ。自分の力だけで生活してたってこと」

「自分の力だけ? 家族はいなかったの?」


 さらにシエラが質問を重ねる。

 そう言えば、俺もラシェルの身の上についてはそこまで詳しく聞いたことがなかったな。

 もちろん、彼女が何処かの森のエルフの里の出身だということくらいは知っているし、冒険者になるくらいだから、何か特段の事情を抱えているのだろうことも察してはいた。

 そもそもエルフが住み慣れた里を出て冒険者になるなんてこと自体が珍しいし、それ以前にラシェルの場合は人間族の血が混じったハーフなのだ。

 そういった彼女の過去について、まったく気にならないというわけではなかったが――しかし、そのような立ち入った質問をできるほどの胆力も俺にはなかった。


「いないわよ。父親はあたしが十五のときに里を出て行ったきり行方不明だし、お袋はその翌年に病気で死んだわ。当時はまだ飼ってた犬が元気だったから里に残ってたけど、十八のときにはそのコも死んじゃって、だから、あたしは里を出て冒険者になったの」


 ぐりぐりとヘラで鉄鍋の中の玉ねぎをかき混ぜながら、ラシェルが答える。

 こちらからはポニーテールの後頭部しか見えないせいで、その表情は伺えない。

 ただ、今のやりとりで少し思い出すことがあった。


 今からおよそ一年前――俺とラシェルが出会って間もないころの話だ。

 当時の俺たちの間にはまだ明らかに壁があり、特にラシェルは旅の同道こそ認めてくれたものの、決して俺のことを信用してくれていたわけではなかった。

 どういった理由からかは分からないが、とにかく当時のラシェルは自分以外は誰も信用しないという姿勢を貫いていたのだ。

 そんな彼女が少しずつ俺に心を開いてくれるようになったのは、ある日の野営中に交わされた取り留めのないやりとりがきっかけだったと記憶している。

 もうそれがどんな内容だったか詳しくは覚えていないが、確かあのとき、ラシェルは随分と嬉しそうに父親のことを話していた。


「そうなんだ……ゴメン、シエラ、変なこと聞いちゃった」


 トマトの皮を向きながら、少しだけしゅんとしたようにシエラが呟いた。

 いつもは元気よく天の突いている耳の先端も、今はすっかり床のほうを向いている。

 ラシェルはそんなシエラの様子にくすっと微苦笑を浮かべ、空いているほうの腕を伸ばしてワシワシと強めにその頭を撫でた。


「いちいち気にしてんじゃないわよ。ああ、そうそう、あんたのシエラって名前、そのときに飼ってた犬の名前なのよ。さすがに生まれ変わりってことはないでしょうけど」

「えっ、そうなの!?」


 ラシェルの言葉に、パッとシエラが表情を明るくする。

 そう言えば、命名のときに『犬の名前だけど』といったようなことは言っていたな。


「そっかぁ。ねえ、そっちのシエラは何年前に死んだの?」

「え? んー、だいたい二年くらい前かしらね」

「ほう……」


 ――と、何故か二人の話を聞いていたサラが急に目を細めながら口の端を歪める。

 一方、シエラはそんなサラに気づいた様子もなく、顔満面の笑顔で告げた。


「ほんと!? シエラも二年くらい前に生まれたんだよ! すっごい偶然! それからすぐにこんな姿になっちゃって、お母さんたちとも離れ離れになっちゃったんだけど」

「……まさか、本当に生まれ変わりだとでも言うんじゃないでしょうね」


 ラシェルが半眼になりながら肩をすくめ、再び鉄鍋の前に戻って玉ねぎを炒めはじめる。

 シエラもそれ以上は言及せず、ご機嫌な様子で謎の鼻歌を歌いながら、皮の剥き終わったトマトをマッシャーでぐにぐにと潰している。

 なんだか唐突な気もするが、どうやらその話はそこで終わりらしい。


 ――だと言うのに、どうしてサラはそんなに意味ありげな瞳で俺を見ているのだろう。


「運命力は、かくありき。すべての出逢いは必然なのかもしれぬな……」


 そう囁くサラの目は、俺ではなく、もっと遠くを見ているような気がした。


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