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第五幕 ホーム

 蓮夜君、お願い……起きて。

 微かにそう聞こえた気がして、蓮夜はゆっくりと目を開いた。


「蓮夜君……!」

 すぐ目の前に、不安そうな色に染まった満春の顔があった。どうやら眠ってしまった自分を起こしてくれたらしい。

「満春、ちゃん……」

 目だけで辺りを見渡せば、ぼんやりとした思考が徐々にクリアになって、自身が置かれていた状況を途端に思い出した。

「そうだ、電車の中で……!」

 ガバッと背もたれから体を起こせば、辺りの様子をまざまざと見せつけられる。

 電車内にいた数名の人は消えており、辺りには自分達以外に誰もいない。

 一瞬、辺りの人々が消されたのかと思ったが、ふいに視線を上げた先――電光掲示板の文字を見た瞬間にその予想は吹き飛んだ。


 ――電光掲示板の文字が、読めない。


 まるで文字化けをしたかのように、認識出来ない文字列がただそこに

 よく見てみれば電光掲示板だけではない。車内の吊り下げ広告や、壁に貼ってある広告なども全てが文字化けしていた。

 すなわちここは現実ではない。となれば、消えたのは他の人々ではなく、なのだろう。

 蓮夜は一瞬にして理解すると、すぐに視線を満春の方へ戻した。

「満春ちゃん、どこか怪我とかしてない? 具合悪かったりは?」

「ううん、私は大丈夫……蓮夜君は?」

「僕も大丈夫、何ともない」

 念のため体中を触って確認するも、特に痛みや具合の悪い場所はなかった。腰につけていた除けの鈴に手が当たって、リーン……と澄んだ音が響く。

「みんな……どこに行っちゃったの?」

 不安そうな声で満春が言う。肩を抱くようにして自らの腕をさすっていた。心なしか震えているその姿に、罪悪感が沸き上がってくる。

 異空間に迷い込まされたとなれば、現実に戻る方法を探さなければならない。消えた人達が戻ってこないと言うことは……主犯はこの空間に存在している可能性が高いのではないか。

 そんな事を思案していると、突如ガタンと大きく車両が揺れた。

 満春が「きゃ」と小さい悲鳴を上げて座席の上で身を小さくした。

 見れば、電車はどこかの地下駅に今まさに停車するところだった。


 合図が響き渡り、扉が静かに開く。

 ひんやりとした空気が外から車内に流れ込んで来たが、降りていく人の姿は見受けられない。

 念のため、近くの扉から身を少し出してホームを覗き込む。

 だがやはり、自分達以外はこの空間に招かれていないのか、誰一人として降りていく人間はいなかった。

「……誰も、降りた人はいなさそうだ」

 ホッと息を吐いて、乗り出した体を車内にひっこめた時だった。

 ふと、扉から数メートル先――ホームに誰か立っているのが見えた。

「……⁉」

 今の今まで誰もいなかったはずのホームのその気配に、蓮夜は半ば飛び上がるようにしてその方を見た。どくどくと心臓が嫌に急く。妖でも出ようものならば、今は自分がどうにかしなければいけない。

 そう思ってその姿に焦点を合わせた。

 だが――、


「……え?」


 ホームに立つその姿は、見覚えがあった。

 遠い遠い……それこそ、小学生に上がる前の記憶が呼び起こされる。

 いつも柔らかい表情で笑い、大きな手で蓮夜の頭を撫でてくれた……その姿。

「……父、さん?」

 声に出した瞬間、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。目の前のその姿以外が視界に入ってこない。


 ――蓮夜、おいで。


 手招きされて、無意識に足が動く。喉が渇いて、息を吸うのが辛い。

「父、さん……」

 ホームに、右足が降りた。

 そのまま流れるように左足が車内の床を蹴って、ホームに降り立とうとした。

 ……その時、


「――蓮夜君‼ しっかりして‼」


 突然強い力で腕が引っ張られたかと思えば、必死で叫ぶ満春の声が思考に滑り込んで来た。

 踏鞴を踏んだ体は、バランスを保てなくてそのまま車内へ後ろ向きにひっくり返る。

 強く背中を打ち付けたおかげで、ハッと意識が浮上した。

 目の前に、車内の天井が広がる。

「…………っは、ぁ」

 何が起きたのか、混乱して息が上手く吸えなかった。

 仰向けになったまま、胸を上下させて必死に酸素を取り込もうとすれば、満春が心配そうな顔で覗き込んで来る。

「蓮夜君、大丈夫……⁉」

「み、はるちゃん……」

 私の事、わかる? と今にも泣き出しそうな顔で問われ、ゆっくりと頷く。

 血の気が引いて白くなった彼女の顔に、思わず手を伸ばした。

「ごめん……僕、」

 何か言わなければ、彼女を安心させてあげなければと、濁った思考を動かし始めた時……扉の向こう――ホームで突如濃い瘴気が膨れ上がった。

「⁉」

 びくりと体が反応して、咄嗟に上体を起こしてを見た。

 今さっきまで父親の形を取っていたそれは……ゆらりと蜃気楼のように揺れて、その姿が崩れ始める。

 チッと、小さく舌打ちのようなものが聞こえたかと思えば、その姿は跡形もなく消え去った。


 扉が閉まる合図が、車内に響き渡る。

 ガタンと、再び電車が動き出した。


「――……っはぁ、」

 バクバクと鳴る心臓が、耳のすぐ近くで聞こえている。自分の物のはずなのに、酷く五月蠅く煩わしいとさえ感じる。心臓に巣くっていた怨霊はあの七獄の年に退けたはずで、ゆえに今では心臓は人並みに健康であるはずなのに……あの頃のように酷い動悸がした。

(……抵抗、出来なかった)

 自身の手が、震えていることに気がつく。

 あれが偽物だと心のどこかではわかっていたはずだ。なぜならば蓮夜の父は小学生になる前に既に亡くなっている。だと言うのに……目にした瞬間、思考の一切が奪われて、何も考えられなくなった。

「そうか……」

 喉がひりついて、乾いた声しか出ない。

「ああやって……みんな降ろされたのか……」

 言えば、隣にいた満春が不安そうに「それって……」と問いかける。降りていたらどうなっていたか、それは必死に止めた満春にも薄々察しがついていたようだ。

「多分、この空間に招いた人間の魂を食うには、あるんだ……さっきみたいな罠を仕掛けて、この電車の中からあっち側に乗客を降ろさせるっていう行為もその一環なんだと思う。この電車の中は多分まだあの世と現世の狭間で、ホームは完璧あの世ってことなのかも……」

「じゃあさっき……蓮夜君がもし降りちゃってたら……」

「……うん。恐らく僕は、食われてただろうね」

 助かったよ、と満春を見れば、満春は弱々しく首を左右に振った。電車の床に正座をして、膝の腕に置かれた手がスカートを握りしめている。

 不安を和らげてあげるには、どうすればいいのだろう。

 この年まで人付き合いを厳かにしてきたツケが、今になって回ってきているなと思う。

「大方、僕が邪魔だから先にどうにかしようとしたんだろうね。ロクロウにも前々から言われてるけど……僕みたいな血統は、怪異からすると美味しそうに見えるらしいし」

 だから女子でもないのにここに引き込まれたんだろう。

 言えば、満春が複雑そうな顔をした。

 唇を噛みしめたかと思えば、次の瞬間にはぽつりと小さく声を漏らす。

「……本来なら、多分私が狙われてるはずなのに……蓮夜君を盾にしてるみたいで申し訳ないよ」

「それは違う。怪異からすると僕はオマケに過ぎないと思う。たまたま美味しそうな血統の人間が美味しそうな女の子について乗ってきたから、こっちも食べておこうって程度だよ。僕を先に狙ったのは、単純に僕には抵抗する力がありそうだから……後にしたら面倒だと思ったんじゃないかな。本命は満春ちゃんで間違いないと思うから」

 少しおどけて言えば、満春が不思議そうに首を傾げた。

「そう言われてみれば……どうして今回、私達を選んだんだろう。電車内には他にも女の人はいたのに……私は蓮夜君がいるからだと思っていたけど……今の蓮夜君の言い方だと、違う……よね?」

 心当たりがあって、その確信を得たい。

 満春の声は、まるでそう言っているかのようにはっきりとしていた。

(今の僕の説明で、ちゃんとんだもんな)

 さすが深雪の妹だなぁと、蓮夜は内心感心してしまう。

 ガタンと、車内が大きく揺れた後、タイミングを見計らって蓮夜はその場に立ち上がった。

 満春もそれに倣ってその場にゆっくり立ち上がる。


 真っすぐ満春を見れば、満春もジッと蓮夜を見返した。


 沈黙が、落ちる。


「餌って……ロクロウが嫌な言い方したけど、」

「うん」

「満春ちゃんは実際、僕と同じで……怪異や妖からしたら美味しそうなんだよ。だから今回……満春ちゃんが一緒だったら確実に相手が出て来るって確信があった」

 嫌な話をしている気分になって、つい声が小さくなる。

 がたがたと揺れる車両の音にかき消されそうになるそれを、満春は聞き零さずに問い返してくる。

「私、美味しそうなの?」

「うん」

「それは……なんで……?」

 スカートの裾に伸びた手が、生地を握りしめた。

「満春ちゃんには……閻魔の目が印をつけていたっていう過去がある。印こそ消えても……過去にマーキングされた残穢ざんえがあるんだ」

 怪異が見えるままなのもそれだ。

 そう言えば、満春がどこか腑に落ちたように目を細めた。

「印の名残があるからって事なのね」

「うん……本当はすっかり全部消すことが出来たらいいんだけど、閻魔の目の力はそれこそ地獄の力と同等だから……僕やばあちゃんでもなかなか……抑える事は出来ても、全部を消すことはすぐには出来ない」

「……そういう事なのね」

 申し訳なさそうに言えば、満春はどこか落ち着いた様子で頷いた。

 スカートを握りしめていた手が解かれて、胸の前に持っていかれる。

 さっきまで不安に揺れていた瞳が、今度はしっかりと蓮夜を見据えた。

 その視線に、一瞬気圧されそうになった自分に気がついて、思わず目を逸らしてしまう。

 疚しいことをしているわけではないのに、なぜか後ろめたくなってしまう。

 自分にもっと強い力があったら、満春の残穢をどうにかしてやることが出来ただろうか。

 力不足が……息苦しい。


「……よかった」

「え?」

「私、役立たずってことではないんだよね……? 蓮夜君の……足手まといにはなりたくない」

「満春ちゃん……」

 するりと、白くて細い指が伸びてきて蓮夜の腕を掴んだ。

(冷たい……)

 緊張で冷え切ったその手が、蓮夜の生ぬるい体温を吸っていく。

「私が美味しそうに見えるなら、それでいいの。私の代わりに蓮夜君だけが酷い目に遭っちゃうんじゃないかって、私は……それが苦しかったから」

 だから、と続ける。

「私も蓮夜君と同じで美味しそうに見られるなら……貴方に降るかもしれない酷いことを、少しは私も被れるかもしれないでしょ? 酷い目に遭う時は……一緒だよ」

 ぎゅっと握った手を、顔の前に掲げる。


「…………っ」

 まるで祈りのようなその姿に、不覚にも涙が出そうになってしまう。

 喉の奥がキュッと痙攣したように震えて、声が漏れそうになった。

 今は泣いている場合じゃないと、必死に理性でその涙を抑えつければ、今度は鼻水が出そうになってしまう。気が付かれないように鼻を啜って、呼吸を整えた。


 ――酷い目に遭う時は……一緒だよ。


 満春の言葉が、心の底に落ちて綺麗な音を鳴らした気がした。

 幼い頃から、人ならざるモノが見えていた蓮夜にとって怪異は日常そのものだったが、もちろん周りにいた同級生や大人にはそうではなかった。

 夏越は気味が悪い。

 いつだって拒絶され、距離を取られていた。

 だから自分は、一生他人からは理解されないと思っていたし、嫌われないように出来る限り演技をしてきた。それでいいとどこかで無理やり納得していた。

 その心の穴に、満春の言葉はすっぽりと綺麗に収まった。

 まるで、塞がらなかった傷を埋めるように……。

「……ありがとう」

 言えば、満春は静かに微笑んだ。

 本当はもっとしっかり感謝の言葉を述べたかったが、それ以上は涙が零れそうで言葉にすることは出来なかった。

 しかし……今はそれで充分だと思う。


(いつか……ちゃんと伝えられるように、ならなくちゃ)


 人とコミュニケーションを取るのが、苦手だった。

 だが、今はもう……少なくとも独りではないのだ。


 蓮夜は顔をあげて、満春を見た。

 大きく頷いてから、満春の手を握り返して瞳を閉じる。

 何はともあれ、今はこの空間から満春を無事に返すのが最優先だ。

 そのためには、怪異を早急にどうにかする必要がある。

「……犯人を、捜してみる。少しだけ、力を貸して」

「……うん」

 満春の手を握ったまま、蓮夜はジッと目を閉じて車両の音に耳を澄ませた。


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