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第四幕 その呪いを解いたのは

 ――二十三時四分発、普通、広域公園行き。まもなく到着します。


 深夜のホームに、無機質なアナウンスが響き渡る。



 翌日、水曜日の二十三時。

 蓮夜は予定通り、満春と連れだって例の西叶叶駅のホームに立った。

 まもなく来る電車に気を付けるようにとアナウンスが告げれば、ほどなくして轟音と共に風を連れて、電車がホームに滑り込んできた。

 開閉音が鳴り響き、扉が開く。ホームで待っていた数人が、まるで吸い込まれるかのように車内へ入っていく。

「……行こうか」

 蓮夜が言えば、隣に立っていた満春が静かに頷いた。


 車内は、相変わらず閑散としていた。

 前回と同じようにロングシートの隅に座れば、満春もそれにならって蓮夜の右隣に腰を落ち着かせた。

 私服だと逆に目立つかもしれないと、二人して塾帰りの高校生を装って制服を着てきた。補導されては本末転倒なのもあるが、制服の方が気が引き締まるかと思ったのもある。

 脚をそろえて座った満春が、さりげなくスカートの裾を引っ張って整えた。蓮夜の視線を気にしているのかもしれないと、あえてそっちを見ないでおく。

 ほどなくして、扉が閉まる合図が鳴り響き、電車が動き出した。


 ――この電車は、二十三時四分発、普通、広域公園前行きです。 


 聞き覚えのあるアナウンスが車内に響き、ガタンと大きく揺れる。

 ちらりと満春の顔を見れば、満春の表情にはどこか緊張の色が見て取れた。

「……緊張してる?」

 前を向いたまま問えば、満春が小さく「ちょっとだけ」と答える。

「……だよね」

「うん……」

 通路を挟んで反対側のシートに座っている中年男性が、新聞を片手にうたた寝をしているのを眺めつつ、蓮夜は次の言葉を模索した。

 学校帰りに寄り道をしたりする分には普通に会話できるようになったのに、こういうイレギュラーな状況下だと、途端に何を話せばいいかわからなくなるのは何故なんだろうか。

(こういう時、ロクロウがいてくれたらなぁ)

 普段こそ、その言動に冷や冷やさせられはするが、基本彼は話し上手だ。

 きっと今この場にいたら、それなりに間を繋いでくれただろう。


 そんな事を考えていると、ふと満春の視線がこちらを向いたのがわかった。

 応えるように顔を向ければ、ゆっくりと彼女の口が動いた。

「……私、怪異関係では何の取り柄もないのに、我儘言ってついてきちゃってごめんね」

「え? いやいや、そんな事ないよ!」

 つい声が大きくなってしまい、慌てて声を抑える。

 満春と連れ立って辺りを見渡したが、幸いにもこちらを見ている人はいなかった。

 ふぅ、と息を吐いたところで、満春が再び口を開いた。

「……去年の閻魔の目の時だって、みんなに迷惑かける癖に何も出来なかったし……それ以外でも、何かあればいつもお姉ちゃんが守ってくれるから」

「深雪さんが……」

 こくりと、満春が頷く。

「見えるようになって、たまに人じゃないモノがついてきたり話しかけてきたりする事があって。でもそういうの、お姉ちゃんやアケビはいとも簡単に退けちゃうの」

 私は自分でどうにか出来ないのに、と満春は言う。

「なんだか、余計にお荷物になっちゃった気がするんだ、私。思えば……お姉ちゃんが成仏出来ずにああやって生きてるみたいに振る舞っているのも……私の所為なんじゃないかって……」

 尻すぼみに消えてく声に、満春の心境が現れている気がした。

 言葉にするのも苦しいのだ。それは、長らく劣等感と戦ってきた蓮夜には痛い程にわかる。

 いつも祖母の背中に庇われ、自分は何もできないと思っていたあの頃。

 そして、そんな自分を変えるきっかけをくれたのは――。


「……僕もね、いつもばあちゃんの背中に庇われてばっかりだったんだ。夏越の家系は代々除けの血筋で、死んだ父さんも結構すごい人だったって。それなのに息子の僕は生まれつきパッとしなくてさ、物心ついた時には『自分は夏越家のお荷物だ』って、劣等感の塊だったよ」

 満春は黙って聞いていた。

 ガタン、と電車が左右に揺れる。

「でも、あの夏の夜……それこそ襲ってきたロクロウを無我夢中で退けた時から、少しずつだけど状況が変わってきた。自分に力はない、何も出来ないって思ってたけど、結局はだったのかもしれない」

「自分に思い込ませる……」

「うん。僕のその呪いを解いたのは、ある意味でロクロウだったんだ。あいつだけは……最初から僕の事を落ちこぼれ扱いしなかった。『お前さんに足りないのは力じゃねぇ、経験だ』って、僕を買ってくれていた」

 あの時ロクロウにかけた人魂不殺の術は、それこそロクロウが一度地獄へ行った際に契約と同様に無効になってしまっている。ゆえに、今ではその術がちゃんと成立していたという証拠は何もない。だけど、あの術を発動させたことが、紛れもなく運命の分かれ目だったと蓮夜は確信している。


 あの夜、ロクロウに会っていなかったら……彼とやり合っていなかったら、自分は今ここにはいない。


 そう思った時、逢坂満春という存在は、絶対に無力ではないと蓮夜は思うのだ。

 少なくとも、逢坂深雪という魂にとって、満春は大きな影響を与える存在であるからだ。

「……満春ちゃんは、無力なんかじゃない。君の存在は、深雪さんの魂に大きな力を与えている。君の存在があるから、深雪さんはまだ生きることをやめてないんだよ」

「生きる、こと」

「そう。満春ちゃんが自分をお荷物だと思っているのは、昔の僕と一緒でただの思い込みだ。君の命は、深雪さんの命になっている。深雪さんがあそこまで強く綺麗であるのは、満春ちゃんのおかげだ。僕にとってロクロウがかけがえのない存在であるように……君は深雪さんにとってかけがえのない存在なんだよ……だから、」


 君のせいで成仏出来ないんじゃない。

 君が大切だから、君と一緒にいたいから――深雪さんの意志で、そばにいるんだ。


 普段口下手なはずの自分が、まるで捲し立てるように必死で言葉を紡いだのが、自分でどことなく不思議で、またおかしかった。

 それほどに……満春の心の助けになりたかったのだ。

 果たして自分の拙い語彙力で、この思いが満春に届いただろうか。

 一抹の不安を抱えつつ、改めて満春の方へ視線を向ければ、彼女はどこかホッとした表情を浮かべていた。頬に少し赤みがさし、潤んだ瞳が蓮夜を見た。

「蓮夜君は……優しいね」

 ありがとう、と満春が言う。

「本当の事言っただけだよ」

 お世辞なんかじゃないよ、と首を左右に振れば、満春がどこかくすぐったそうに「うん」と小さく頷いた。

 スカートの上で握りしめられていた手が、少しだけほどけていた。



 ――次は、犠地新橋北ぎじしんばしきた、犠地新橋北……。



 ガタン、と車内が大きく揺れ、アナウンスが一瞬かき消される。

 満春と話しているうちにも、電車はどんどん地下区間を進んでいた。

 車窓に一定間隔で現れる壁際のライトが、パッと消える。トンネルに入ったんだと思った途端、突然猛烈な眠気が襲って来た。

(なんか……眠くなってきた……)

 直感的に、寝たら駄目だという危機感が働いた。だが生理現象のそれを抑えることはどうにも難しく、意志とは裏腹に瞼が落ちそうになる。

 こんなに突然、何かがおかしい。

 霞んでいく意識の中、隣の満春に目をやれば、彼女は既に小さく寝息を立てていた。

 ガタン、という揺れに合わせて彼女の体が蓮夜の方に傾いてくる。

 蓮夜は咄嗟に、満春の手に自らの手を重ねて強く握りしめた。何故だか、彼女の手を握っていなければいけないという予感がした。

 意識が途切れる直前、車内の電光掲示板に目を移す。

 電車の詳細が静かに流れていく最中、その行き先は――。


(読め……ない……)


 蓮夜の意識は、そこでプツリと途切れた。


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