「――って言うことがあってさ、ロクロウが『今回は俺様は外れる』とか言うんだよ」
翌日、火曜日の放課後。
蓮夜は二年生から同じクラスになった満春と連れだって、帰路にあるファーストフード店に来ていた。四人掛けのボックス席に、向かい合うようにして座る。
あの夏、閻魔の目の影響で背中に印が浮かび上がり、様々な霊障に苦しめられた満春だったが、七獄の年の終わりと共にその痣は消え、今では普通の高校生としての生活が戻ってきている。
ただ、残穢に似たものなのか、見るという能力だけはそのまま身についてしまったらしく、蓮夜と同様……ロクロウやサネミを始めとする、人ならざるモノが見えるままである。
ゆえに、たまにこうして相談にのってくれる――よき理解者となっていた。
「ロクロウさんの言い分としては、強い霊である自分がいたら、相手の怪異が出てこないから外れる……ってことなんだよね?」
満春がストローでオレンジジュースを飲みながら言う。
「そうなんだよ。臆病で慎重だからロクロウを警戒して出てこないって言うんだけど……ってなると、どうすればその怪異を引きずりだせるか……」
テーブルの上のトレーに広げたポテトを摘まめば、満春がじっとその手つきを見ていた。
どうしたのかと手を止めれば、満春がゆっくりと口を開く。
「蓮夜君が調査している事件って……多分なんだけど、都市伝説のやつじゃないかな」
「都市伝説?」
こくりと頷いた満春が続ける。
「数年前から噂されてる都市伝説なんだけど。叶叶市のどこかの駅を二十三時台に発車する電車に乗った人が異次元に連れていかれて……いなくなっちゃうって」
「え?」
耳を疑った。
叶叶市内の駅ということも、二十三時台ということも合致している。
「ってことは、今回の怪異はその都市伝説……?」
「断言はできないけど、可能性はあるんじゃないかな。でね、もしその都市伝説通りに事件が起きているとするなら、多分被害者は全員女の人だと思うの」
「女の人?」
どうしてそう思うのかと問えば、満春が小さな口でポテトを食べてから続けた。
「この都市伝説はね、女の人だけが連れていかれるっていう話なの。乗っている最中に電車の中に表示されてる行先が読めなくなると、あっちに連れていかれる合図だって言う話もあってね……助かった人がいたかどうかが分からないのに、そういう噂が残ってるのがいかにも都市伝説っぽいけど……」
「行先が、読めない……」
昨晩乗った電車を思い出す。
地下区間に話をしながら路線図を見た記憶はある。だが、行き先の電光掲示板までは確認しなかった。
「そうか、そこまで見てなかったなぁ。それに今回の事件の被害者の性別も情報になかったからわからないな……」
「でも不思議だね。その事件が都市伝説のそれだったとしても、突然何件も起きちゃうなんて。吹き溜まりの噂といい、また何か良くない事の前触れとかなのかな……」
ポツリと言った満春の言葉に、蓮夜はポテトに伸ばした手を止めた。聞き覚えのない単語に、思わず顔を顰める。
「吹き溜まり……っていうのは?」
「あれ、蓮夜君知らない?」
「ごめん。僕本当に流行とかに疎くて……」
またしても蓮夜の認知していない情報が提示されて、思わず頭を掻く。確かに夏越の家は除けの家系であることから怪異の相談が当たり前のように来るが、それでも今回の一件のように、事が発生して初めて夏越家に持ち込まれることがほとんどである。ゆえに、後手に回る事の方が多かった。
「私もお姉ちゃんから聞いたばかりで、まだよくわかっていないんだけどね、」
満春が紙ナプキンで指先を拭う。
「冬の終わりくらいからだったかな。吹き溜まりっていう――お化けが出て来る穴が色んな所に出てきて、それに触ったり近寄ったりしたら呪われるって噂が流行しているらしいの。だけどその穴は普通の人には見えないから、回避できなくてみんなが怖がってるって……」
「深雪さんが聞いたってことは、僕達の学校の生徒が噂してたってことだよね?」
「うん。お姉ちゃんの部活――軽音楽部の後輩の子が話してるのを聞いたんだって。だから多分、私達と同学年にも被害に遭った子がいるかもしれない」
「それに遭遇したら……どうなるんだろう」
思ったことを口にすれば、困ったように満春が首を横に振った。
「わからない。お姉ちゃんもただ『気を付けなさい』としか言わなかったから」
ごめんね、と言う満春に、慌てて首を振る。
「いやいや! 満春ちゃんが謝る必要はないよ! むしろ僕なんか、今聞くまでその吹き溜まりの話を知りもしなかったんだから。逆に知れてよかったくらいだよ」
それに、と続ける。
「もしかすると、その吹き溜まりっていうのも……今回電車の都市伝説が浮き彫りになったことと何か関係してるかもしれない。それを見極めるためにも、やっぱりまずはこの電車の事件を解決するのが先決だと思うんだ」
電車の怪異に加えて、よくわからない穴の話。
ひょっとすると、また七獄の年の閻魔の目のような、得体の知れないものが動き出しているのか。
急に喉が渇いてきた気がして、それまで手付かずだったアイスミルクティーに手を伸ばした。シロップを二つ程入れてグラスを掻き回せば、澄んだ音が二人の間に響く。
ストローで一口飲めば喉の奥が一気に冷えて、なんだか胸がスッとした。
「しっかしロクロウが外れるとなると……僕だけでどうにか出来るかな」
女子の前で弱音を吐くのは格好悪いとわかっていても、つい不安が口から零れ落ちる。
「サネミさんは?」
ふと、満春がサネミの名前を上げる。
「サネミさんなら、協力してくれそうな気がするけど……」
「うーん……」
確かにサネミなら、蓮夜がお願いすれば一つ返事で引き受けてくれる。それは間違いない。
だが問題はそこではない。
満春はサネミが戦っているところをしっかり見たことがないだろうが、サネミはサネミで相当の戦闘力を持っていることを蓮夜は知っている。それこそ、初対面であのロクロウに向かって何の躊躇もなく発砲してきたのだ。自らの腕に覚えがないと絶対出来ない。
ましてやその後のガシャ戦……そして提馬風と遭遇した時でさえ、彼は特に問題なく怪異を討伐して見せた。
(あれくらいの力量があったら……当然電車の怪異はサネミも警戒するよなぁ)
「サネミさんでも、難しそう?」
蓮夜の言わんとしていることを察知したのか、満春が覗き込むように窺う。
「何と言うか……僕もあの怪異がどのくらい強い霊になると警戒するのかはわかってないんだけど……多分サネミもロクロウと同じでアウトな気がするんだよね」
車内に連れて入ったら相手が出てこなさそう、と言えば、納得したように満春が頷いた。
「そっか、そうだよね。考えてみたらあのロクロウさんが一目置いてる感じがするもん」
信頼している感じがすると、満春がどこか嬉しそうに言った。
それからふと、何かを閃いたように顔を上げる。
「思ったんだけど、電車内に連れて入ったら警戒されちゃうんだよね?」
「え? あ、うん」
「だったら、離れた場所で見張っててもらって、いざ怪異が出てきたタイミングで加勢して貰うっていうのはどうかな?」
「あ、なるほど」
その手があったか、と思わず手を打てば、満春がまたしてもちょっと嬉しそうな顔をした。
「確かに外なら警戒されにくいかも。僕が一人で電車に乗って、ロクロウが外で待機すれば……」
「あのね、蓮夜君」
満春がソファに座り直しながら、どこか改まった口調で続けた。
「私を一緒に連れて行ってくれないかな」
「え⁉」
突然の申し出に、驚いてテーブルの下で膝をぶつける。
ガタンとテーブルが大きく動いた。
「な、ななななんで⁉ 危ないよ⁉」
「そうかもしれないけど、もし本当に都市伝説通りの筋書で行っていたとしたら、女子である私がいた方が、相手が出て来る確立が上がると思うの」
反対されることは想定内だったのか、満春がすぐに反論をはっきりと言い放つ。あまりに真っ直ぐな目で言うもんだから、逆に蓮夜の方が押されてしまった。
言葉がすぐに出てこなくて、視線がつい下を向く。
「ほぉ……? 満春、お前さん思ったより度胸があるじゃねぇか」
その顔を上げさせるかのように、聴きなれた声が降ってきたのはその時だった。
四人掛けのボックス席――蓮夜の横にいつの間にかロクロウが座り、テーブルに肘をついて満春の方に目を向けていた。
「ロクロウ⁉ お前いつの間に……!」
「やれやれ、お前さんはその鈍感さをどうにかする必要があるな」
「質問の答えになってないし……」
ムッとした顔をすれば、反してロクロウがいつも通りにニヤッと笑う。
近くの席に座っている人達は、蓮夜の席に突如男が増えたというのに見向きもしない。そのことで彼が今実体化していないと言うことがわかる。
だと言うのにロクロウは、長身ゆえの長い脚をテーブルの下で組むのが窮屈に感じるのか、はたまたただ蓮夜に嫌がらせがしたいだけなのか、その長い脚を蓮夜の方へ投げ出すようにして組んだ。
「満春が言ってた都市伝説の通り、今回の怪異は女を好んで消してんだろうな」
かなり前から会話を聞いていたのか、妙に確信めいた事をロクロウが零す。
「それは……どうしてなんですか?」
オレンジジュースのグラスを両手で握り締めて、満春が恐る恐る問いかけた。
まだロクロウに対して不慣れな事がひしひしと伝わって来て、なんだか蓮夜まで緊張してしまう。
ちらりとロクロウの様子を伺えば、彼は彼で満春を品定めするかのような目を向けていた。
「人にちょっかいかける怪異なんざ、大方人間の魂が狙いだ。しかし今回の一件はそもそも人が消えてる。魂抜かれてその場で意識不明になるとか死ぬとかなら、
「それは……そうだ」
思わず頷く。
「なら消えた人間は、
それはなぜだ?
問われた言葉に、肌が無意識に泡立った。
体が残らない、いや、残さない。それはなぜか。
それは――、
「体も、食べるから……?」
口を突いて出た
アイスミルクティーの中の氷が、カランと音を立てる。
「だけど、それと女の人だけが狙われることに何の関係が……」
「あ? お前さん本当に抜けてんな」
よく考えてみろよ、とロクロウが言った。
直後――、
「――美味しそうだから」
それまで黙っていた満春が、ぽつりと零した。
ピクリと反応したロクロウが、満春の方を向く。
その視線に多少の怯みを見せながらも、満春はゆっくりと続きを口にした。
「……ほら、昔話とかでもあるじゃない。オオカミや怪物が、女の人や子供……肉質の柔らかそうな人を選んで襲って食べたり……とか。だからひょっとして今回の怪異も、体まで食べるために、柔らかくて美味しそうな女の人に限定して狙ってたのかも……」
自信がなさそうに語尾が小さくなっていく。
それを見ていたロクロウの手が、満春の肩に伸びた。
次の瞬間、それまで質量を持たなかったロクロウの気配に重さが乗り、伸ばした手の下に影が出来た。あ、実体化したと、蓮夜が認識するのと同時に投げ出されていた長い脚が蓮夜の脚にぶつかってきて、テーブルの下が一気に狭くなる。
伸ばされたロクロウの手は、満春の肩をバシバシと二回程叩いた。
「お前さん、蓮夜と違って中々しっかりしてるじゃねぇか」
突然触れてきたロクロウの手に、満春が体を固くして目をぱちくりさせる。
当たり前だ、突然男に体を触られて驚かないはずがない。
「おいロクロウ、馴れ馴れしいぞ」
「要点すら汲めないお前さんには、指図されたくねぇな」
ケラケラと笑うロクロウに、なんだか怒りを通り越して諦めすら覚えてくる。微かに痛み出したこめかみを抑えてため息を吐けば、一気に体が怠くなった気がした。
「まぁつーわけで、蓮夜単体で乗り込むより、満春を連れて乗り込んだ方が勝率が上がるって話だ。俺様が諭すまでもなく、満春が名乗り出たのは好都合だったな」
「お前その言い方だと……昨日電車の中で既に色々考えてたな? 魂だけじゃなく、体まで狙ってるってことも気がついてたんだろ」
言えば、ロクロウの手が蓮夜のアイスミルクティーに伸びる。
「当たり前だろ、逆になんで気がつかねぇんだよ」
ストローを使わず、直にグラスをあおってそれを飲み込めばカランと氷が鳴った。
甘ぇな、と顔を顰めてグラスを戻す。
「俺様言ったよな、
「…………」
「それの解が、こいつさ」
テーブルについた肘を軸に、指先を満春に向けた。
「狩りには……餌があった方が効率がいいからな」
ロクロウの目に、真剣さが乗る。
突きつけられた指の先で、満春が小さく息を呑んだ。
「でもまぁ、正直なところ、さっき満春が都市伝説の話をするまでは女限定って事は認知してなかったからなぁ。俺様は蓮夜を餌にしようと思ってたんだが……」
「おい」
「でもまぁ……結果オーライだな」
視線が流れた先を見る。
ロクロウが言った言葉に、まるで賛同するかのように頷いたのは……満春だった。
「やっぱり、私も一緒に行く」
「満春ちゃん、でも……」
「絶対その方がいいと思うの。私は見えるだけで力はないから警戒されにくいだろうし……それに……見える力が残ってる以上は、私も協力したいから」
満春の手が伸びて来て、テーブルの上の蓮夜の手を包み込んだ。
蓮夜よりも体温が低く、けれど柔らかい感触に思わずドキリとしてしまう。
「お願い、蓮夜君」
「…………」
まっすぐ、それこそ透き通った瞳が蓮夜を見ていた。
姉の深雪と同じ――強く、優しい瞳。
「……わかったよ」
肩をすくめて蓮夜が言えば、満春の表情に安堵の色が浮かんだ。
「でもその代わり、絶対僕の後ろにいて。何かあった時は、僕を盾にしてでも自分を守ること。それは約束して欲しい」
「……満春に何かあったら、お前さんが深雪に殺されるしな」
「ロクロウうるさい」
ククッと喉の奥で笑うロクロウを肘で押しやりながら言えば、満春がそのやり取りに頬を緩ませた。
「ありがとう、蓮夜君」
「お礼なんて……こっちの台詞だよ」
満春の微笑みに、柄にもなく顔が熱くなったのを隠すように俯く。
ロクロウに飲み干されたアイスミルクティーのグラスが、また一つカランと音を鳴らした。
***
店を出て満春と別れた後、ふとロクロウが立ち止まった。
つられて足を止め、振り返る。
夕焼けに焼かれたロクロウの姿は、逆光になって表情が掴めない。
実体化を解いていない彼の向こうの夕陽は……その体を透過出来ず、地上を照らす役目を果たすことが出来ない。
「ロクロウ……?」
どうしたのかと名を呼べば、逆光の中で瞳が光った。
「満春は、芯が出てきたな」
「なんだよ、突然」
「さすが深雪の妹ってところか。閻魔の目も……それこそお眼鏡は曇ってなかったってことだ」
呟いて、再び歩き出す。
蓮夜の横まで来て、立ち止まった。
長身ゆえに、見下ろされる。
鋭い瞳が、嫌に光って見えた。
「気を付けねぇと、ありゃ食われるぞ――それこそ
ロクロウの口角が、上がる。
「美味そうに見えるだろうぜ」
ゾクリと、肌が泡立った。
味方のはずなのに、その瞬間のロクロウの言葉に、悪霊の
「ロクロウ、お前……」
「安心しろよ、俺様は何があってもお前さんの味方だ。裏切ることはしねぇ、誓ってやるよ」
連夜の懸念を察したかのように言ったロクロウが、ふいに身を屈める。
それから蓮夜の耳に口元を近づけると、低いその声で囁くように言った。
「俺様が知恵を貸してやる、よく聞け――」
夕方の風が、嫌にうるさく感じた。