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第13話 逃亡の片棒

 人間の住む国と獣人の住む国の間に広がる大地には、まるで両者の融和を拒絶するかのように巨大な亀裂が走っており、その深い裂け目の奥には青い水を湛えた大きな川が流れている。かつてこの場所には長い吊り橋がかけられていたそうだが、人間と獣人の関係が悪化した際に蔓を断ち切って落とされてしまったため、現在は簡単にはお互いの土地を行き来出来ない状態となっていた。


(僕が嫁入りする際にあの亀裂を渡った時は、リナルド様が獣人の国に来る時にいつも使っておられるという不思議な乗り物に乗ったんだよな。あれは生きた心地がしなかった。正直二度と乗りたくはなかったんだけど……二つの意味で)


 しかし故郷の猫の獣人国に帰るには、あの亀裂を渡って獣人たちの住む大地へと降り立つ必要があった。


(さてどうする。あの乗り物をこっそり使うか、他の方法で亀裂を越えるか、それとも下に降りて川を渡ってからまた崖を登るか……)


 崖の高さや険しさ、それに自分が泳ぎが苦手であることを考えると、三つ目の方法はお世辞にも現実的とは言えなかった。


(他の方法って言っても、自分で橋をかけるとか、別の乗り物を用意するとか、それこそ非現実的な方法しか思いつかない。やはりリナルド様の乗り物を何とかして拝借するしか無さそうだ)


 しかし、それもまた簡単な方法で無いことに変わりはなかった。


(あの乗り物に関して僕は何も知らない。どこに保管されているのかも分からないし、どうやって動かすのかも……)


 考えれば考えるほど詰んでいる気がして、シアンは思わずため息をついた。


(僕がここに、殿下のお側に長くいればいるほど、平和で理想的な世界の形からはどんどん離れていってしまう。何かいい方法は……)


「先日はありがとうございました」


 不意に生垣の向こうからリナルドの明るい声が聞こえてきて、シアンはビクッとして思わず隠れるように座っているベンチの上で身を縮めた。


「いいえ、パーティ中に呼び出しだなんて、お忙しいのですね」


 勝気さの滲み出ている声音から、リナルドの話している相手がシャルロットであることがシアンにはすぐに分かった。シアンはいつものお気に入りの花園の東屋で考え事をしていたのだが、二人もまた庭園を散策中にこの東屋の近くを通りかかったらしい。


「外交は私の仕事ですから、当然のことですよ」

「私も西の辺境出身ですから、あれの飛ぶ様は何度か見たことがあるのですけど、何度見ても肝が冷える思いですわ。リナルド様は怖いとは思われませんの?」

「慣れればどうってことないのですよ。マルセル殿と一緒に飛行されたことはないのですか?」

「私は父が飛んでいる様は見たことがありませんの。昔は父もあれで獣人国へ行っていたみたいですけど、最近は道具を作るばっかりですわ」


 シアンの目がキラリと光った。


(これだ!)


 西の辺境、シャルロットの父であるマルセルが治めるこの地域は、人間の国と獣人の国の境、つまり例の亀裂と接している地域でもあった。


(今の話を聞く限り、リナルド様が使っている空飛ぶ乗り物はマルセル殿が作っている物みたいだ。それならシャルロットに頼めば、僕もあの乗り物に乗せてもらえるかもしれない!)


 善は急げということで、シアンはすぐに東屋を抜け出すと、城の自室に戻って少ししてからシャルロットの部屋の前に足を運んだ。扉をノックしようとしたちょうどその時、タイミングよく戻ってきたシャルロットが、自分の部屋の前で何やらソワソワと落ち着かない様子のシアンに気がついて眉をひそめた。


「そこで何をしてるの?」

「あっ! シャルロット様」


 シアンは声のした方をぱっと振り返ると、慌ててさっとお辞儀をした。


「あの、折り入って相談したいことがありまして……」

「何? 外じゃ話せないようなこと?」


 シアンが黙って頷くと、シャルロットは気乗りしないような表情で、それでも扉を開けてシアンを部屋の中へと招き入れた。


「お茶は出さないわよ。この後あんたが勝手にお腹を下して、私が毒を盛っただとかいちゃもん付けられたりしたら困るもの」

「そんなことしませんよ」


 シアンは慌てて両手を振ると、切れ長の鋭いシャルロットの碧眼を真剣な表情で真っ直ぐ見つめた。


「シャルロット様のお父上は、空飛ぶ乗り物を作っていらっしゃるそうですね」

「何? さっきの話聞いてたの?」

「すみません、聞こえてしまいまして……」


 咎めるようなシャルロットの視線に怯みそうになる自分を何とか奮い立たせて、シアンは彼女の視線を真っ直ぐ受け止めながら話を続けた。


「それを、私に貸していただきたいのです」

「急に故郷が恋しくなったの?」

「そうです」


 冗談のつもりで馬鹿にしたように言ったつもりが、曇りなき瞳で疑う余地なく肯定されて、初めてシャルロットが驚いたような表情を見せた。


「……そんな、それならわざわざ私に言わなくても、アルベルト殿下にお願いすれば……」

「殿下には黙って出て行きます」

「……それで、もう戻らないつもりなの?」

「はい、その通りです」


 シャルロットはソファーに身を沈めるように深く腰掛けた。


「パスカル伯父様に聞いたわよ。殿下の猫アレルギーの治療には三年ほどかかるそうね。それでもたかが三年でしょう? まだここに嫁いで来て二ヶ月も経っていないのに、尻尾を巻いて逃げ出すには早すぎるんじゃない?」

「私がここに来た目的は、人間と獣人の平和の架け橋となる子供を作るためです。カトンテール殿がいらっしゃって、私がここに居る意味は無くなりました。殿下はお優しい方なので、最初に娶った私に気を遣って他の妃たちとの関係を進める事を躊躇しておられます。つまり私の存在が、人間と獣人の関係改善を妨げている状況なのです」


 シャルロットはじっと腕組みをして、シアンの話を厳しい表情で聞いていた。


「私がいなくなれば、殿下も心置きなく他のお妃との関係を進めることができます。シャルロット様にとっても悪い話ではないと思うのですが」

「それで、もし殿下にあんたの逃走の片棒を担いだってバレたら、私はどうなるのよ?」

「天に誓って、シャルロット様が関与したという事は他言致しません。この命に代えましても」


 シャルロットは獣人が天に誓う際、決して嘘を言わない事を知っていたため、それ以上シアンを問い詰めるようなことはしなかった。代わりに彼女は引き出しの中から紙と鉛筆を取り出すと、さらさらと何か書き付けてからさっとシアンに手渡した。


「簡単な地図を描いたのだけど、読めるかしら? そのバツ印の場所が西領の父の倉庫で、そこに乗り物がしまってあるわ。獣人国との往来なんて滅多にないし、普段は誰もいないはずだから簡単に忍び込めるはずよ」


 シアンは嫁いでくる際に一度だけだが西の辺境を通っているため、西領の位置は朧げに把握していた。


「もし乗り物の使い方が分からなかったら、その地図を持って父上を尋ねるといいわ。私の字って分かるはずだから、すぐに対応してくれるはずよ」

「ありがとうございます、シャルロット様。なんとお礼を言っていいか……」

「分かったからさっさと出ていってちょうだい。あんたの言う通り、あんたがいない方が私にとっても都合がいいってだけの話なんだから」


 シアンが何度も深く頭を下げながら部屋を出ていった後、シャルロットはぽつりと壁に向かって一人呟いていた。


「まあ、父上は獣人に友好的な方だから、きっと助けになって下さると思うわ」

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