(え……! そんな話聞いてないんだけど……)
他の二人の妃も初耳だった様で、カトンテールはあからさまに動揺して蒼白な顔で震え出し、シャルロットも微かに驚いたような表情をしていた。
「父上、そのような話は……」
アルベルトも知らなかったらしく小声でルイス国王に抗議しようとしたが、国王はそんな息子に目もくれずにダンスフロアにいる諸侯たちに笑顔で手を振っている。
「わぁ、アルベルト殿下のダンスが見られるなんて夢みたい!」
「背が高くて手足も長くていらっしゃるから、きっと迫力があって見栄えのするダンスを見せて下さるはずよ」
「どのお妃様が選ばれるのかしら? やはり第一王太子妃様かしら?」
来賓たちの期待が高まっている中、とても踊らないわけにはいかない状況となってしまった。それにこのような会のオープニングでホストがダンスを披露することは別段珍しいことではなく、断る方が逆に不自然で人々の不審を招きかねなかった。
(……仕方ない)
アルベルトは全身プルプル震えてとても踊るどころではなさそうなカトンテールを一瞥した後、シャルロットに向かって手を差し出した。
「君が来るんだ」
「はい、喜んで」
にこりと笑って落ち着いた動作で差し出された手を取ったシャルロットだったが、指先が微かに震えていることにシアンは目ざとく気がついていた。
(シャルロット……)
大勢の人間の前で踊ることに対する緊張のせいか、それとも……
(お家のため、と口では言っていても、やっぱりアルベルト殿下のこと……)
シャルロットは豪華なドレスの裾を片手でつまみ、もう片方の手をアルベルトの腕に添えて、危なげなく階段を一歩ずつ降りていく。人々が脇に広がってダンスフロアの中心に作り出した空間に降り立った二人は一旦向き合って礼をした後、手を取り合ってそっと体を寄せ合った。
「わぁっ!」
人々の間に歓声が湧き上がった。アルベルトのダンスは皆の期待通りに迫力がありつつも紳士的で、女性なら誰でもうっとりと見惚れてしまうような男らしい色気に満ちていた。その腕の中で踊るシャルロットも一つ一つの所作に気品があり、ステップも完璧で貴族女性の育ちの良さをまさに体現していると言ってよかった。シャルロットがくるりと回るたびに黄色いドレスがフワリと舞って、周りで見守る人々の間から羨望のこもったため息があちこちで漏れていた。
「なんてロマンチックなのかしら」
「青い正装と黄色のドレスがまたお似合いで、まるでおとぎばなしの世界みたい」
「恋に落ちていらっしゃるのかしら」
やがて、シアンにとっては永遠にも感じられた時間がようやく終わり、ダンスを終えた王子とその妃に会場から惜しみのない拍手喝采が送られた。一旦止まった音楽が再び鳴り出し、人々は思い思いに手を取り合ってダンスを始めたが、数名の諸侯たちにわらわらと取り囲まれて、アルベルトとシャルロットはその場から動けなくなってしまっていた。
「さあ、お前たちもフロアに降りて、客人をおもてなしするんだ」
ルイス国王にそう言われて、シアンとカトンテールは思わず顔を見合わせた。
(おもてなし……っていうのは、誰かを誘って踊れってことなのかな?)
「へ、陛下。私たち人間の舞踏会は初めてでして、一体どうすればいいのか……」
瞳をうるうるさせながらカトンテールにそう言われて、ルイス国王はハッとしてうんうんと頷いた。
「それもそうだった。おいでカトンテール。わしが皆に紹介してやろう。リナルド! お前はシアンを紹介してやれ」
「かしこまりました」
この場で数少ない親しい人間の笑顔を見て、シアンはようやくほっと息をつけた。
「リナルド様」
「アルベルト殿下と比べると些か役不足ではございますが、エスコートさせていただいてもよろしいでしょうか?」
リナルドに手を差し出されて反射的にビクッと身を引きかけたシアンだったが、彼には触れても問題ないことを思い出して、恐る恐るその手を取った。
「……私はその、人間の社交ダンスというのは初めてでして……」
「もちろん存じております」
手を取り合って階段を降りながら、リナルドは安心させるようにシアンに微笑んで見せた。
「完璧に踊る必要など無いのですよ。私がリードして差し上げます」
フロアに降り立った二人はそのまま向き合ってもう片方の手も取り合った。
「礼はしなくていいんですか?」
「今は曲の途中ですから、そのまま入ってしまいましょう」
リナルドはシアンを自分の胸に引き寄せるようにリードしながら、ゆったりとした動作でステップを踏んだ。
「お上手ですよ。とても初めてだとは思えません」
「本当ですか? 一応故郷で少しばかり練習はしてから来たのですが」
「たくさん努力されたのがよく分かりますよ」
シアンが軽やかにフロアの床を踏むと、銀と白の彼の衣装の裾がたなびき、月光のような煌めく残像を人々の視界に残していった。何人かの来賓が月光の通り過ぎた後を振り返り、その儚げな美しさに思わず見惚れる者もいれば、秘められた妖艶さに気がついてごくりと唾を飲み込む者もいた。
やがて音楽が鳴り止み、そこかしこからパチパチと拍手の音が聞こえる中で、リナルドのリードから外れたシアンは恥ずかしそうにエメラルドの瞳を伏せた。
「シアン様、これから紹介するのは……」
「リナルド殿下、よろしいでしょうか」
シアンを諸侯の一人に紹介しようとしていたリナルドは、不意に低い声で兵士に呼ばれてさっと振り返った。
「どうした?」
「火急の用だと使者が参っております」
「こんな時にか?」
リナルドは眉を曇らせたが、そのまま申し訳なさそうにシアンを振り返った。
「シアン様、申し訳ありません」
「いえ! 私のことはどうかお構いなく!」
シアンは心からの笑顔を見せながら、慌てて両手をブンブンと振った。
「しかし、この後お一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ! 子供じゃありませんので。それに一人じゃありません。お妃仲間や国王陛下もいらっしゃいますし、アルベルト殿下だって……」
シャルロットと一緒に人だかりに囲まれたままのアルベルトが目に映り、シアンは無意識に小さく声を萎ませていた。
「シアン様?」
「と、とにかく早く行ってあげて下さい! 火急の用だなんて、きっととても重要な内容でしょうから」
小さく手を振りながらリナルドを見送ったシアンは、彼の背中が扉の向こうに消えた後、ポツンと広いダンスフロアに一人残されて目の置き所に困り、一瞬視線を泳がせた。するとあちこちでささっと視線を逸らすような動きが視界の端々に見て取れた。
(みんなこっそり僕を見てる。獣人なんて珍しいし、アルベルト殿下との関係とか色々想像されてるんだろうなぁ)
この状況で自分から誰かに声をかけにいけるほどの度胸はさすがのシアンも持ち合わせてはいなかった。
(最善策はアルベルト殿下が来て下さるのを待つことだ。ルイス陛下はカトンテールにべったりだから期待できないし。でも……)
果たしてアルベルトは来てくれるのだろうか?
(……いや、僕の所へ来るよりも、むしろこのままシャルロットとの仲を深めるべきだ。彼女はカトンテールより殿下に対してずっと積極的だし、ダンスの息もぴったり合ってた。みんな二人がお似合いだと思っているに違いない。だからあんなに周りに集まって……)
シアンは小さくため息をつくと、再び踊り始めた人々の邪魔にならないように、一人トボトボと会場の隅っこに向かって歩き出した。
と、その時、下を向いていた胸の辺りにすっと差し出された手があり、シアンはハッとして顔を上げた。
「シアン様、私と踊ってはいただけませんか?」