アルベルトの新しい妃たちのお披露目を目的とした舞踏会が開催される日、部屋の窓から夜空を照らす青白い満月を見上げて、シアンは小さくため息をついていた。
(舞踏会か。故郷の猫の獣人国でもよく舞踏会には参加していたけど、人間の国の舞踏会とはだいぶ様式が異なるのだとたしかジェニーに教わったな……)
シアンは嫁入り前に人間の国について教育してくれた、赤毛の猫の獣人のしわがれ声を思い返した。
『いいですかシアン殿下、我々猫の獣人は歌も踊りも得意で大好き、舞踏会はまさにその
『お近づきになりたい方と二人でアクロバットに興じればいいの?』
『違います! 相手に合わせて、息を合わせて、できれば社交話でもしながらゆっくり踊るのです』
『ふうん。それで、歌は歌わないの?』
『歌いません。我々の舞踏会のように、一人で踊ったり歌ったりしてはいけません。人間の舞踏会は殿下の踊りの技量を披露する場ではないのです。それが我々の舞踏会との決定的な違いです』
(ジェニーは僕の立場上、男性側でも女性側でも踊れるように教えてくれたけど、特に女性側に重きを置いて指導していた。それってアルベルト殿下と踊るためのはずなんだよね)
しかし、残念なことに自分はアルベルトと踊ることは叶わない。
(あんな風に僕が殿下と密着したら、もう舞踏会どころの騒ぎじゃなくなるからな……)
ガチャリ、と扉が開く音に、シアンははっと我に返って振り返った。
「シアン、支度はできたか?」
「はい、何とか……」
深い青の生地に金色の刺繍を施した王家の正装を身につけたアルベルトは、いつもの美しさに王族特有の威厳と品格の高さが上乗せされて、シアンは思わずボーッと見惚れてしまっていた。
(……僕の夫、何でこんなにかっこいいんだろう……)
「シアン?」
「あ、はい! すみません」
シアンは慌てて机に置いてあった手袋を掴むと、アルベルトについて部屋から廊下へと出て行った。シアンが身につけているのは月の光のような銀色の布と、純白に金糸で花模様の刺繍を施した布を重ね合わせた丈の長いふわっとした衣装で、女性のドレスには及ばないものの、気品と華やかさを兼ね備えた美しい作りとなっている。
「よく似合ってるじゃないか」
「ありがとうございます。殿下の方こそ……」
「このような正式な場で白を身につけることを許されるのは正妻だけだと決まっている。たとえあなたと踊ることができなくても、この場にいる全員があなたのことを私の正式な妻であると理解するはずだ」
「そんな、恐れ多いことで……」
「だからそのように浮かない顔をするな」
シアンはハッとしてアルベルトを見上げた。それで自分が知らず知らずのうちに視線を地面に落としていたことに気付かされた。
(なんてことだ。殿下に気を使わせてしまうなんて。まだまだ未熟だな……)
シアンは背筋をシャキッと伸ばすと、アルベルトに向かってにっこり笑って見せた。
「自分の立場はわきまえております。殿下の第一王太子妃として恥ずかしくない行動を心がけます」
「あなたはいつも他人に対して親切で礼儀正しいのだから、あまり気を張らずとも自然体でいれば大丈夫だ」
アルベルトはシアンに触れてエスコートできない代わりに、右手をまっすぐ伸ばして進行方向を指し示した。
「それではこちらへ」
「はい」
◇
王城のボールルームは二階吹き抜けの天井の高い施設で、一階のダンスフロアとバルコニーのように張り出した二階部分はカーブを描く二本の階段で繋がっている。白塗りの壁を登った先にある丸く切り取られたような天井には、青と白の空のような背景に羽の生えた天使が描かれており、そこから吊るされているシャンデリアは天国から降り注ぐ光のように厳かに室内を照らしていた。
(わぁ、思ったよりたくさんの人が来てるんだな)
アルベルトと並んで二階からダンスフロアを見下ろしていたシアンは、色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちが作り出す華やかな雰囲気に高揚感を抑えきれず、ついキョロキョロとあちこちを見回していた。
「ちょっと、落ち着きがないわね」
「あ、すみません……」
小さく抑えた厳しい声に振り返ると、太陽のように輝く黄色のドレスを身につけたシャルロットが、バラのように愛らしいピンクのドレスのカトンテールと並んでシアンの後ろに控えている。二人ともひだの多いプリンセスラインのボリュームのあるドレスを着ていて、シアンが見下ろしているどの令嬢たちよりも華やかで、この場の主役としての役割を確実に果たしていた。
(二人ともとても綺麗だ。アルベルト殿下の隣に立っても全く見劣りすることは無いだろう)
「シアン様、緊張してらっしゃるんですか? だ、大丈夫ですよ!」
「あなたも落ち着きなさいよ、カトンテール」
「はい、すみません……」
「どうしたカトンテール、緊張しているのか?」
突然後ろからルイス国王の声がして、ソワソワしていたカトンテールはびっくりして思わずピョンッと飛び上がった。
「こ、国王陛下!」
「全く、結局ドレスは他人の借り物になったのだな」
国王は息子をチラッと睨んだあと、軽く頭を振って気を取り直してから前に出ると、手すりに手を掛けてダンスフロアにいる客人たちを見下ろした。
「我が国を支える諸侯たちよ、この度は我が王家が主催する舞踏会に集まられしこと、心より感謝申し上げる」
わあっという歓声がダンスフロアから上がり、右手を挙げてそれを満足げに受けていた国王は、歓声が落ち着く頃合いを見計らってさっと右手をアルベルトに向かって差し出した。
「そしてこの機会に、我が息子アルベルトが新しく娶った三人の妃を紹介させて頂きたい」
ルイス国王が一歩後ろに下がり、アルベルトの合図で後ろに控えていた二人の妃が一歩ずつ前に出てシアンの横に並んだ。
「私は我々人間の国と獣人連合国との長きにわたる確執を解決するため、今回三人の妃のうち二人を獣人国から招き入れた。平和の使者として我が国に嫁いできてくれた二人にどうか敬意を示して欲しい」
アルベルトに目配せされたシアンは、ドクドク鳴っている左胸に右手を押し当てると、大きく息を吸ってから階下の人間たちに向かって深く頭を下げた。
「猫の獣人国第二王子、シアンでございます」
シーン、と水を打ったような静けさが、ボールルーム全体を包み込むように広がった。
(……まあ、そうなるよね)
シアンに合図されたカトンテールが、おどおどしながらぴょこんと頭を下げた。
「う、兎の国第十二王女、カトンテールです」
弾ける様にパッと顔を上げたカトンテールを見て、階下のフロアにざわめきが広がった。
「あれが巷で噂の兎の獣人なのか」
「まぁ、なんて可愛らしい」
「しかし、猫の王子の方にはお手付きの跡があるというのに、なぜ兎の王女はまだ……」
「しっ! そんなこと言ったら失礼でしょ」
ぎこちない笑みを浮かべてカタカタ小刻みに震えているカトンテールの横で、凛とした女性の声がその時、その場の空気を打つ様にボールルーム内に響き渡った。
「西の辺境伯マルセルの娘、第三王太子妃のシャルロットでございます」
一瞬、先ほどのシアンの時と同様にホール内は静まり返ったが、すぐにカトンテールの時よりさらに遠慮のないざわめきが波の様に広がって行った。
「なんと! 人間がまさか末端の妃だなんて!」
「外交上の策略だろう。美しい方なのにもったいない」
「承知の上で嫁がれたのかしら?」
「マルセルは没落貴族だ。泣く泣く娘を手放したに違いない」
人々が好き勝手邪推する中、王弟リナルドの声が高らかにその場に響き渡った。
「それでは、パーティーの初めに本日の主役であるアルベルト殿下とその寵妃によるダンスをご覧いただきたいと思います」