二人の側妃が王城にやって来た次の日、ルイス国王はアルベルトとその妃たちを夕食の席に招待した。
「あなたが来てくれた時も、本来ならこのような席を父上は設けるつもりだったはずなんだが、色々あったせいで伸ばし伸ばしになってしまった。決してあなたを蔑ろにしているわけではないからどうか気を悪くしないでくれ」
アルベルトはそう言ってくれたが、シアンは国王にはやはり何かしらの意図があると思わざるを得なかった。
(だってこの席順は……)
晩餐会の会場は中央に長机の置かれた長方形の部屋で、白い壁には金の額に入った絵画が横並びに何枚も飾られている。天井から吊り下げられたシャンデリアがキラキラと光を反射して、机の上に飾られている色とりどりの花や真っ白のテーブルクロス、それから後ろに控えている使用人たちの顔を明るく照らしていた。
「皆、よく来てくれたな」
長机の上座に息子と並んで腰掛けたルイス国王が、機嫌の良さそうな雰囲気で息子の妃たちに笑いかけた。アルベルトに目配せされたシアンが、妃たちの代表として立ち上がって簡単な挨拶をした。
「陛下のお招きに心より感謝申し上げます」
一応第一王太子妃のはずのシアンであったが、その席はアルベルトの隣どころか、最も彼から離れた場所に指定されていた。長机の長辺の一番上、アルベルトの直角の位置で彼に一番近い場所には、兎の獣人のカトンテールが座っている。彼女の隣に座っているのは唯一の人間の妃であるシャルロットだ。シャルロットの前には王弟リナルドが席を構え、シアンの席はその隣となっていた。
(まあ建前上はアレルギーのせいということなんだろうな。同じ部屋に住んでいるのに今更だけど)
「皆わしに構わず、自由に歓談を楽しんでくれ。今日は付き合いの浅い者同士が親交を深めるのが目的だからな」
ルイス国王はそう言うと、にこにこしながら黄色いドレスを身につけたカトンテールに向き直った。
「カトンテールや、何でも好きな物を後ろの侍女たちに申しつけるがいい。何が飲みたい? 甘い物は好きかね?」
「あ、はい……」
「何でもあるぞ。葡萄酒はどうかね? ああでも妊婦にアルコールは御法度だったな。いや、気が早すぎたか」
明らかにカトンテール贔屓の国王の言葉を聞きながら、シアンは務めて穏やかな笑みを絶やさないよう心がけていたが、何を口に入れても紙を食べているかのように全く味がしなかった。
(ああ、これは僕が好きなお魚なのに。殿下とできれば二人きりで食べたかったな……)
「シャルロット様、お部屋の方はいかがでしたか?」
「とても快適でしたわ」
目の覚めるようなブルーのドレスを身に纏ったシャルロットは、丁寧に口元を拭ってからそっけなくリナルドの質問に答えた。
「シアン様、シャルロット様はジャック医師の弟子で王室専属の医師でもあるパスカル医師の姪御様に当たる方なのですよ」
「そうでしたか。パスカル医師には先日大変お世話になりまして……」
(鞭で打たれた傷を手当てしてもらった、とはとてもこの場では言えないな……)
「私は伯父様のことは本当に尊敬しておりますの。私の父のせいで我が一門が没落した後、元貴族であるにも関わらずその腕一本で宮廷医にまでのし上がった方ですから」
「それはすごい。医者の家系出身というわけでは無かったのですね」
「パスカル医師は神の腕を持つと言われておりまして、患者に全く痛みを感じさせずに注射針を打つことができるんです。私も毎年受ける流行病の予防接種は、必ずパスカル医師にお願いしております。ジャック医師も素晴らしい先生ですが、まあ人それぞれ得意分野は異なるということですね」
(なんて素敵な神技!)
素直に感心している様子のシアンを見て、シャルロットの表情が少しばかり緩んだようだった。
「私も伯父様の影響で、アルベルト殿下のお妃になるという栄えある機会をもし頂くことが無ければ、将来は医療従事者になることを夢見ておりました」
「パスカル医師のようなお医者様になりたかったのですか?」
「いえ、伯父様とは少し異なる分野なのですが……」
「その黄色いドレスもシャルロットの物であるのか?」
シャルロットの話を熱心に聞いていたシアンだったが、たまたま耳に入って来た国王の言葉が気になってつい注意を逸らしてしまった。
「は、はい。私は衣服という物を持っていませんので……」
「獣人なのだから当然だ。すぐに採寸係を遣わして新しい物を……いや、毛皮を着た今の状況での採寸では意味が無いのだったな」
ルイス国王は隣で黙々と食事を続けている息子を振り返った。
「アルベルト、今晩にでもカトンテールの毛皮を脱がしてやるのだ。他人の古着ばかり着せられていては可哀想ではないか」
(うっ!)
シアンは食べていた魚が喉に詰まりそうになり、慌てて水の入ったグラスに手を伸ばした。
(へ、陛下、そんなセンシティブな話題を……)
「い、いえ、そんな! シャルロット様が貸してくださるドレスはどれも素敵な物ばかりでして。えっと、ずっとお借りしてばかりなのも心苦しくはあるのですが……」
「私は一向に構いませんのよ。その方が私にとっても都合のいいことですし」
慌てて弁解するカトンテールにシャルロットが冷たく言い放ち、その場の空気が一瞬木枯らしでも吹いたかのように凍りついた。
「まあまあ、そんなに喧嘩腰にならずとも。確かに一番最初に後継者を産んだ妃が今後色々と優遇されることになるだろうが、何番目の子だろうと孫は可愛いものだ。そのように火花を散らす必要など……」
「父上、私は側妃は必要ないと何度も申し上げたはずですよね?」
場の空気を和ませようと口を開いたルイス国王だったが、アルベルトのせいで再びテーブルにピリッと緊張が走ることとなった。
「そんなに服を作る必要があるのなら、父上が毛皮を脱がせて差し上げればよろしいではないですか」
(ちょっと!)
シアンが内心叫ぶのと同時に、ガチャン! と皿の上にカトラリーの落ちる音が響き渡った。
「あ、ご、ごめんなさい!」
慌ててナイフとフォークを拾い上げたカトンテールが、うるうるした瞳でシアンを見つめてくる。その目が訴えかけている非難の言葉に、シアンは否応なく気付かされることとなった。
『アルベルト殿下はとても優しい方じゃなかったんですか!?』
(お優しい方なんだよ! どうして今こんな感じなのかさっぱり分からないけど。殿下、本当にどうしちゃったんですか?)
「は? お前は一体何を言っているんだ? カトンテールはわしの娘だぞ? 娘とヤりたがるアホな父親が一体どこの世界にいると言うんだ?」
「……」
「陛下、世の中には様々な性癖の人間がおりまして……」
リナルドの補足するような発言を聞いて、とたんにルイス国王の
「何だと? そんな不埒な輩は処刑対象にするよう条文に加えておけ!」
「はい、かしこまりました」
(良かった。陛下はカトンテール様をいたく気に入っておられるみたいではあるけど、ちゃんと節度はわきまえていらっしゃるようだ)
空気は何度かピリついたものの、どうにか無事夕食を終えたシアンは他の二人のお妃たちと一緒に晩餐会の会場を後にした。
「三人の殿方はもう少し会場でお話しされるんですって」
ぴょんぴょん飛び跳ねるように歩くカトンテールを、シャルロットは厳しい目つきで睨みつけた。
「そんなはしたない歩き方をするのはおやめなさい」
「あ、はい、すみません……」
しょんぼりと耳を垂らしたカトンテールに、シャルロットは尚も追い討ちをかけるようにズケズケと言い募った。
「国王陛下のお気に入りだからって調子に乗るんじゃなくってよ。あなたみたいな子兎、アルベルト殿下には全く相手にされてないんだから」
「シャルロット様、そんな言い方をしなくても……」
「あなただって、一度殿下に抱かれたからって調子に乗らないことね」
(ええええ~?)
間に入って取りなそうとしたシアンだったが、かえってとばっちりを食う羽目になってしまった。
「聞いたわよ。殿下は猫アレルギーで、あなたを抱いた後に死にかけたんですってね」
「ええっ? 殿下、腹上死しかけたんですか?」
(いや、猫アレルギーだってば! そんな長い耳してるくせに、一体何を聞いていたの?)
「抱けば死を招きかねない猫に、全くそういう対象として見られていない兎って、もうまともな妃は消去法で私しか残っていないじゃないの」
腕組みをして堂々とそう言い放ったシャルロットを、シアンとカトンテールはポカンとして眺めていた。
(言われてみれば、確かにそうかも……)
◇
「全く、お前は一体何を考えているんだ。カトンテールはあんなに愛らしいというのに……」
「父上、自分の好みを他人に押し付けるのはおやめ頂けますか?」
「しかしあの状態ではまともなドレスを用意してやることができぬ。舞踏会までには間に合わせてやりたいのだが」
アルベルトがグラスを持ち上げようとした手をピタリと止めた。
「……舞踏会、とは一体何の話でしょうか?」
「近々お前の妃たちのお披露目を目的とした舞踏会を開く予定だ。婚姻の儀を執り行うことができなかったからな。誓いのキスができない第一王太子妃を差し置いて、他の妃たちの式だけ行うわけにもいかんだろう」
アルベルトは難しい表情で、グラスの中で波打つ透明な液体を見つめていた。シャンデリアの光を反射して煌めくそれは、誰かの美しい涙を彷彿とさせるようであった。