自分がカトンテールを送るとは言ったものの、シアンは自分が彼女の部屋を知らないことに今更ながら気が付いた。
「あの、すみません。カトンテール様のお部屋は……」
「あ、こっちです」
カトンテールは謁見の間を出てシアンと二人になると少しばかり元気を取り戻したらしく、ぴょんぴょんと弾むように廊下を歩き始めた。そのような歩き方をすると茶色い垂れ耳がぴょこぴょこ動いて可愛らしく、シアンは思わず顔を綻ばせた。
(兎の獣人は多産で、獣人内でも人気があるけど本当に愛らしいお姿だな)
「シアン様、もしよろしければ、少しばかりお話し相手になって下さいませんか?」
自分の部屋に着いたカトンテールは、茶色い木の扉の前で振り返るとシアンの腕を引っ張って引き留めた。
「えっ、それは……」
(いいのかな? 猫と兎ってどっちが上になるんだろう? あっ、でも僕はもう人間の子供を孕む身体になってるから気にしなくていいのか。いやでも付いてるのは付いてるんだよなぁ。これってまだ使い物になるんだろうか? いやいや女性でも生物的に上なら相手を孕ませられるから、そもそも付いてるとかもはや関係ないんだけど……)
「やっぱりお忙しいですか?」
うるうるした瞳で見上げられて、シアンは考える間もなく首を横に振った。
「いえ、大丈夫ですよ」
(大丈夫、やましいことなんかこれっぽっちも無いんだから。誰も疑ったりなんてしないはず)
「ありがとうございます!」
カトンテールは大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねると、シアンを振り返りながら部屋の扉を押し開けた。
「こんな広いお部屋に一人でいるのって何だか寂しくて。それに見慣れないものばかりで、どうやって使えばいいのかさっぱり分からないんです」
カトンテールの部屋はアルベルトの部屋の半分ほどの面積しかなかったが、それでも一人で過ごすには十分広すぎるくらいだった。女性が来ることを想定してか、寝台の天蓋やカーテンや絨毯など全て淡いピンク色に統一されており、自分たちの部屋とは全く異なる印象を受けた。
(僕は殿下と同じ部屋だから、見慣れない物の使い方は全て殿下が教えてくれたけど、彼女はわざわざ外にいるよその国の使用人を呼ばなければならないんだ。信頼関係も何もない状態でそれをするのはとても勇気のいる事だろう)
「私が教えて差し上げますよ。どれからにしましょうか?」
「この透明で丸いものは何ですか?」
早速カトンテールは、寝台横の机に置いてあるガラスでできた物を取り上げてシアンに尋ねた。
「ああ、それはランプという物です」
「ランプ?」
「はい、これを使えば松明を燃やすよりも安全で便利に灯りを灯すことができるんです」
「まぁ! それは素敵ですね」
シアンはマッチを取り出すと、ランプ内の木綿の紐の先端に火をつけて見せてやった。
「それは何ですか?」
「これはマッチという物です。火打石より素早く簡単に火が付けられます」
「まぁ、こんな細い木の棒で」
「この横のネジで明るさを調節して下さいね」
シアンはせっかくなので、呼び鈴を引いて使用人にお茶を淹れてもらうことにした。
「わぁ! なんて綺麗な入れ物なんでしょう!」
カトンテールは白磁にピンクの花柄模様のティーセットを見て、茶色い瞳をキラキラと輝かせた。
「繊細な物で、落とすと割れるそうなので気を付けて下さいね」
「こんなに甘くて美味しいもの、初めて飲みました」
すっかり表情の明るくなったカトンテールを見て、シアンはほっと胸を撫で下ろした。
(良かった。女の子は可愛い物と甘い物で機嫌が良くなるっていうのは本当だったんだな)
「シアン様は、その、アルベルト殿下とはもうされたんですよね?」
「え、何を?」
「セックスです」
不安がっている女の子を元気づけるという大役を果たして満足げにお茶を飲んでいたシアンは、無防備な状態で突然とんでもない話題を振られて盛大にお茶を吹き出しかけた。
「え、え? な、何の話でしょうか?」
「だからセッ……」
「分かりました! 分かりましたから、二度も言わないで!」
シアンはハンカチで口を拭った後、一旦心を落ち着けてから気を取り直して再びカップを持ち上げた。
「ええと、ゴホン! それで、なぜそのような話を突然されたのですか?」
「殿下のアレは大きいんでしょうか?」
「ぶふっ!」
シアンは再びお茶を吹きそうになったため、優雅なティータイムは諦めてカップをソーサーにカチャリと戻した。
「アレ……と言いますのは、つまりその……」
「ペニ……」
「分かりました! 分かりました!」
兎の獣人が人気な理由。それは、小さくて可愛くて多産であると同時に、性に対して積極的であること……つまり、エロいからであった。
(分かるよ。こんなに可愛い子が積極的だったら誰でも嬉しいに決まってる。でも僕はもうそういう対象として見られて無いからかもしれないけど、もうちょっとオブラートに包んで欲しいっていうか……)
「私、まだ処女なんですけど、人間に嫁ぐことになって一番恐ろしかったのが、人間のアレって大きいんじゃないかって事だったんです」
「お、大きいかと言われましても、私も殿下としかそういう経験はありませんので、比較対象が無いというか……」
「シアン様は王子様ですよね? ご自分のものと比較してどうですか?」
なんてことを聞くんだ、この子は!
「……こ、行為の際は見る機会が無くて。そもそも人間だから大きいとか、そういう問題ではないと思います。こういうのは個人差があるので、身体の大きな獅子の獣人だからといって大きいとは限りませんし、逆に身体の小さい兎の獣人でも小さいとは限らないんじゃないでしょうか」
「なるほど、確かにそうですね!」
汚れのないまっすぐな瞳で頷かれて、シアンは冷や汗をびっしょりかきながらも身体から力が抜けるのを感じた。
(殿下のは大きかったのか? 正直めちゃくちゃ痛かったのは確かだ。でも初めては誰だって痛いらしいから、一概に殿下のアレのせいだとは言えないし……)
「それで、痛かったですか?」
「いっ!?」
またまた無防備な状態で突っ込まれて、シアンは誤魔化しきれずに間抜けな声を上げてしまった。
「やっぱり痛かったんですね……」
再び瞳を潤ませ始めたカトンテールに、シアンは慌てて言い訳した。
「わ、私は男ですから、本来そういう作りになってないじゃないですか? 猫の獣人同士の交配なら、私が挿れられることはまずありませんので。でもカトンテール様は女性なので、身体が元々相手を受け入れる形になっているでしょう? その違いは大きいと思いますよ。自然な形なので、痛みも少ないのではないかと。いや、最初は誰だって痛いんですけどね」
(女の子って、秋の空じゃないけど感情がコロコロ変化し過ぎ!)
◇
カトンテールに解放されたシアンがようやくアルベルトの部屋に戻った時、すでに時計の針は午後三時を回った後だった。
(つ、疲れた……彼女が元気になったのは良かったけど、女の子ってよく喋るなぁ)
「殿下、遅くなりまし……」
扉を開けて入った瞬間、入り口の真ん前で仁王立ちしているアルベルトにぶつかりそうになって、シアンは慌てて仰け反るように身体を引いた。
「! すみませ……」
「一体何をしていた?」
ガチャリ、と扉が閉まり、退路を絶たれた形になったシアンは詰め寄ってくるアルベルトを怯えたような表情で見つめていた。
「え? えっと……」
「他所の部屋で長い時間一体何をしていたのかと聞いているんだ」
(まっずい! 殿下の側妃との不貞を疑われている!? 僕も殿下のお妃なのに!)
「ちょ、ちょっと色々と込み入った話を……」
やましいことは全く無いはずであったが、いかんせん内容が内容だったために赤面するのを抑えられず、結果アルベルトの不信感をますます煽るような形になってしまった。
「……私はあなたに直接触れることができない」
「は、はい……」
「だが覚えておけ。直接触らなくても、あなたを攻める手段はいくらでもあるのだということを」
そう言い捨てると、アルベルトは扉を開けて、シアンのすぐ横をさっとすり抜けるように部屋から出ていってしまった。
一人後に残されたシアンは、アルベルトの出ていった扉をぼんやりと眺めながら、糸が切れたようにペタンと床に尻餅をついた。
(……いや、何の話?)