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第7話 二人の側妃

 王城にある謁見の間は大理石でできた少し寒々とした広い部屋で、豪奢ごうしゃな彫刻の施されたいく本もの太い柱がアーチ型の天井を支えている。部屋の中央には奥にある階段に向かって赤い絨毯がまっすぐに伸びており、その道は階段の一番上に設られた金色の玉座まで続いていた。


(そういえば、この部屋に来るのは初めてだ。晴れ着の採寸を急いでたから、ルイス国王陛下に正式に謁見する前にアルベルト殿下の部屋に呼ばれてあんなことになっちゃって……完全に順序が逆だったよな)


 再び初日の事を思い出して一人赤面していたシアンだったが、絨毯の脇に立つ二人の女性を見た瞬間、さあっと胸の中に冷たい風が吹き抜けたかのように身体の熱が引いていくのがわかった。


「アルベルト、ようやく来たか」


 なぜか少しばかり嬉しそうな表情で玉座に座る父親を、アルベルトは警戒心を露わにした鋭い目でいきなり睨みつけた。


「父上、私に一体なんの用事ですか?」

「お前も分かっているだろう? そちらの二人に引き合わせるためだ。ええと、名前は確か……」


 リナルドに促され、より玉座に近い位置に立っていた小柄な女性がおずおずとアルベルトの前に進み出てきた。茶色い瞳をうるうるさせながらリナルドを振り返り、シアンとアルベルトと少しだけ目を合わせてから、彼女はすぐに顔を伏せてお辞儀をした。


「う、兎の獣人国第十二王女、カトンテールです」


 茶色い巻き髪に茶色い毛皮の垂れ耳を付けたカトンテールは、小柄で小動物らしいとても愛くるしい女性だった。シアンと違って人間と身体の関係をまだ持っていない彼女は、着ているピンクのドレスの隙間から覗く肌に毛皮をまとったままで、全体的にフォルムが少しずんぐりむっくりしていた。しかしその丸っこさがまた彼女の魅力を引き立てていて、つまり結論から言うと……


(すごく可愛い!)


 思わず食べてしまいたくなるような、可愛らしい女性だった。


(背が高くて細身の僕とは正反対だ……)


「そうそう、カトンテール殿。彼女をお前の第二夫人に据える」

「父上! 私は側妃は必要ないと申し上げたはずですが!」

「来てもらったものを追い返すなんて失礼であろう。それこそ獣人の国との関係を危うくしかねぬ。それに妻が何人いたって構わんではないか。お前もすぐに気にいるだろうて」

「父上!」


 アルベルトの抗議などどこ吹く風で、ルイス国王はさらにリナルドに目配せした。リナルドの合図でもう一人の女性がカトンテールの横に進み出てきて、きびきびとした動作で優雅にお辞儀をした。


「シャルロットでございます」


 真っ赤で煌びやかなドレスを身につけた彼女は、豊かな金の巻毛を波のように背中に流した背の高い女性で、深い青の目は少し切れ長で女傑のような威圧感がある。その堂々とした出立ちは貴族の女性というよりは騎士を連想させるものであった。


「父上、彼女は人間のように見えるのですが」

「そうだ。パスカル医師の姪御で、辺境の貴族の家系だそうだ。ややこしい事情のあるお前のところにわざわざ嫁いで来てくれたのだ。ありがたく思え」

「側妃は必要ないと申し上げておりますのに、なぜ人間の妃までお呼びになったのですか?」

「兎のアレルギーは一応無いらしいが、異種間の交配は前例が少ないしひょっとすると子供ができにくいかもしれんだろう? やはり人間の妃も娶っておくべきだと判断したまでだ」


 絶句するアルベルトの横で、シアンは努めて平静を装いながら、小刻みにプルプル震えているカトンテールと頭を下げたまま微動だにしないシャルロットをぼんやり眺めていた。


(……そうだ、これで良かったんだ。側妃を取るよう勧めたのはそもそも僕じゃないか)


 でも、気づく前だったら良かったのに。この人の優しさに、温かさに。自分の胸に芽生えてしまった感情の正体に。


「彼女たちの部屋は個別に用意させているが、わしはシアン殿にそちらに移ってもらって、カトンテール殿をお前の部屋に住まわせるべきだと思うのだが……」

「父上、彼女たちを追い返せとはもはや言えませんが、私の私生活にまで口を出される事はお控えください」


 ルイス国王も勝手に側妃を取ったことに対して多少の罪悪感はあるのか、それ以上息子に強く言うことはしなかった。


「まあよい。徐々に関係を深めていくことだ。それでは後のことはリナルドに任せるから、わしは退出するとしよう。若者同士で交流を深めるがいい」


 国王はそう言うと玉座から立ち上がり、その場にいる全員が頭を下げる前をゆったりと通り過ぎて部屋から出て行った。


「……カトンテール殿下、シャルロット殿下、この度は遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます」

「殿下って堅苦しいのでやめて頂けますか」


 きつい声でシャルロットがいきなり王弟殿下に食ってかかったので、シアンは口から心臓が飛び出るかと思った。


「失礼致しました。シャルロット様でよろしいですか?」

「そうですね。その方がまだマシだわ」

「あ、じゃあ、私もそっちで……」


 カトンテールが小声でそう言ったので、シアンもこの流れに便乗することにした。


「あ、じゃあ私もお願いします」

「シアン!」


 アルベルトが咎めるような口調で呼んだが、シアンはこうなった以上彼女たちとできるだけ仲良くしたいと思っていたので、アルベルトに軽く頷いてから二人の前に歩いて行った。


「猫の獣人国第二王子のシアンです。よろしくお願いします」

「シ、シアンさまぁ!」


 突然カトンテールが潤んだ瞳からぶわわわっと涙を流し始めたので、シアンはぎょっとして慌てて彼女の肩をさすった。


「大丈夫ですか? どうされました?」

「わ、私、怖くって」

「何が怖いのですか?」

「に、人間も怖いし、知らない人も怖いし、知らない国も怖いのに、と、嫁ぐなんて……!」

「夫の前で夫が怖いと泣くなんて、とんだ恥知らずね!」


 シャルロットに厳しい口調で咎められ、カトンテールはひっくとしゃくりあげながら声を殺してさめざめと泣いた。


「大丈夫ですよ。アルベルト殿下はとても優しい方ですから。ほら、そんなに泣いてはせっかくのドレスが台無しです。ちゃんと衣服というものを用意してこられたんですね。私とは大違いだ」

「あ、これは……」


 カトンテールがおずおずと見上げると、シャルロットはフンっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「毛皮があったから私のサイズでもなんとか引き摺らずに済んでるのよ」

「シャルロット様が貸して差し上げたのですか?」

「裸の獣人の隣に立つなんて、私が我慢できなかったの! しかも人間の私が第三夫人なのよ? こんなに着飾った私が第三夫人で、裸の獣人が第二夫人だなんて、外から見たらお笑いでしかないじゃないのよ!」


 こんな状況でもシャルロットの言い方がおかしくて、シアンはうっかり吹き出しそうになった。


「あ、ありがとうございます、シャルロット様……」

「ありがたいと思ってるなら、これ以上涙でそのドレスを汚すのはやめてちょうだいよ」

「は、はい、申し訳ありません……」


 しかしシャルロットはカトンテールの謝罪を無視すると、アルベルトの前につかつかと歩み寄ってさっと跪いた。


「何番目の妃だろうと関係ありません。必ずや殿下の支えとなる妃となって、役目を果たす所存にございます」

「獣人より下の立場になることを承知で私の元に嫁いで来た理由は何だ? お前の望みを言ってみろ」


 あまり好意的ではない口調のアルベルトにも全く動じることなく、シャルロットは顔を上げてまっすぐな視線で夫を見上げた。


「没落寸前の我が家の再建です」

「なるほど。歯の浮くような世辞を言わないところは認めよう」


 ツキン、と胸が痛んで、シアンは思わず視線を地面に落としていた。


(だめだな、ちょっと殿下が他のお妃を褒めたからって……)


「シアン、私たちも部屋に戻ろう」


 アルベルトの優しい声に、シアンは落としていた視線をパッと上げた。心もつい弾んで、すぐにでも連れ立って自分たちの寝室に戻りたくなった。


「シアン様……」


 カトンテールのか細い声に、シアンははっと我に返った。相変わらずプルプルと全身を震わせながら、白くて細い指先でシアンの服の裾を掴んでいる。


(この子も供を連れて来ていない。この場所で頼れる獣人は僕しかいないんだ……)


 シアンは軽く咳払いをして心を落ち着けると、穏やかな表情でアルベルトを振り返った。


「殿下は先に戻って下さい。私はカトンテール様を送っていきます。同じ獣人として、きっと助けになれることもあるでしょうから」

「では、私が殿下をお部屋までお送りいたします」


(うっ!)


 うっかり隙を見せた瞬間、早速シャルロットに付け込まれてしまった。


(違う違う! 僕らは敵じゃないんだ。殿下の子供を産むっていう共通の目的を持った同志……なのかな?)


 しかしシャルロットがアルベルトの腕に手を添えるのを見た瞬間、シアンの胸に苦いものが込み上げて来た。


(僕はあんな風に殿下に触れることはできないのに……)


「シアン様?」

「あ、ああ、すみません。それじゃあ行きましょうか」


(だめだな、僕は自分のことばっかりじゃないか。そもそもこの子は僕のせいで人間に嫁ぐことになってしまったんだから。できる限り助けてあげないと)


 小柄なカトンテールをエスコートしながら謁見の間を出ていくシアンの背中を、アルベルトは複雑な感情のこもった目でじっと見送っていた。

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