王宮の前には広大な庭園が広がり、きちんと手入れされた芝が青々とその地面を覆っている。キラキラと水を吹き上げる噴水がいくつも設置され、その周辺は使用人たちの憩いの場となっているようだ。
シアンは色とりどりの花が咲き乱れる花園の中に小さな東屋を見つけ、白くペンキの塗られたベンチに座ってホッと息をついた。
(ああ、やっぱり植物の近くにいると落ち着くな)
爽やかな草の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、豊かな緑の木々に囲まれた森の中の故郷が自然と思い出された。
(猫は昔から人間との関わりが深い動物だから、猫の獣人は他の獣人に比べて人間に対する拒否感も少ないし、人間社会での生活にもすぐに慣れるだろうって言われたけど、やっぱりそんなにすぐには馴染めないよ)
確かにアルベルトは優しく、リナルドのように親切にしてくれる人たちもいる。しかし初っ端から
(三年か。猫の赤ん坊が生まれて三年後には、人間や獣人の二十八歳程度にまで成長する。二十八歳っていえば、今の僕と同じ年齢だ)
短いようで、果てしなく長い時間のようにもシアンには思えた。
(三年後には僕は三十一歳で、アルベルト殿下は二十八歳になる……)
「こんな所にいたのか」
不意に話しかけられて、シアンははっと物思いから覚めた。いつの間にやってきたのか、東屋の白い木の柱にもたれるように立ったアルベルトがこちらを覗き込んでいた。
「殿下」
「こんな隅っこの東屋をよく見つけたな」
「緑が多くて静かな場所を探していたんです」
アルベルトはゆったりとした動作でこちらに歩いて来ると、シアンの正面のベンチに腰掛けた。
「何だか浮かない顔だな」
「えっ」
「父上があなたにした仕打ちを許してくれとは言わない。その分私が埋め合わせをするから、父からの謝罪が無いことに関してはどうか堪えてくれないだろうか」
「い、いえ! そんなつもりは……」
シアンは慌ててブンブンと首を振った。
「ルイス陛下のご心配は当然のことです。元々信頼関係のない間柄ですから」
その関係を変えるために、自分はここへ来たのだから。
「それは人間側も同じのはずだ。我々も獣人の信頼を得る努力をしなければならない。それなのにここではどうしてもあなたの立場だけが低くなっているようで歯痒いのだ」
アルベルトはぐっと唇を噛み締めた。
「子供ができればあなたの立場も変わるだろうに、私のせいで……」
シアンは悔しげな表情のアルベルトをじっと見つめた後、ふっと視線を逸らしてからぽつりと呟いた。
「殿下、アレルギーは関係無く、子供ができない可能性は十分あります」
「どういうことだ?」
「体質、年齢、遺伝子の相性など、不妊の原因は様々です。たとえ毎日枕を共にしたとしても、できない時はできないのです。人間と獣人の間の子供が必要なら、殿下のこれからの時間は大変貴重なものとなります」
アルベルトはシアンを見る目をすっと目を細めた。
「何が言いたい?」
「側妃を取って下さい。今すぐにでも」
アルベルトは何か言いかけたが、シアンが先にそれを遮って続けた。
「私が国に帰りたいと申し上げた時に殿下が引き留めて下さったこと、とても嬉しく思っております。ですが、やはり三年間のブランクは大きすぎます。三年もあれば、色んなことが起きる可能性があります。獣人と人間の関係がさらに悪化するかもしれませんし、ひょっとすると殿下の身に何かが起きるかもしれません。そうなった時、この三年間の空白を私は後悔したくはないのです」
「しかし……」
「三年後にもしかしたら子供ができるかもしれません。そうなれば私は嬉しいです。でも、子供は多ければ多いほどいい。獣人との関係改善のためにも、王家の血筋を絶やさぬためにも、側妃は必要であると私は考えます」
アルベルトは思わず手を伸ばしてシアンの髪に触れようとしたが、シアンが慌てて身を引いたためその手は虚しく空を切った。
「……王家の人間としての義務も役割も、私は理解しているつもりだ。けれど……」
アルベルトは苦悩に満ちた表情でシアンを見つめていた。
「私はあなたを、ただ子供を作るための機械だとは思いたくないし、私のこともただの種馬だとは思って欲しくない」
「いえ、そんなつもりでは……!」
「そうだな、あなたは優しいから。今のは私の未熟な発言だ。どうか忘れて欲しい」
(殿下、そんなに傷ついたような顔をしないで下さい。私も本当はこんなこと言いたくなんて……)
立ち上がってその場を去っていくアルベルトの背中が何だか寂しげに見えて、シアンはズキリと胸が刺されるように痛むのを感じた。
◇
「……それで、アルベルトの血液検査の結果は出たのか?」
ルイス国王に厳しい声で問われたパスカル医師は、書類の束をめくりながら頷いた。
「はい、殿下のアレルギーを調べましたところ、猫以外のアレルギー反応は見られませんでした」
「よし、兎は問題無いのだな」
国王は側に控えていたリナルドをさっと振り返った。
「すぐに兎の獣人国へ向かえ。元々あそことも縁談の話は進んでいたはずだろう?」
「兄上、確かにそうですが、兎の姫君はあまりこの話に乗り気でなかったと申し上げたはずです。それで快く引き受けて下さったシアン殿下をお迎えしたのですから」
「リナルド、事情が変わったのだ。気が進もうが進むまいが、もう一人獣人の妃を擁立しなければならない。兎は猫より獣人の中での立場が低いはずだから、断ることはできないはずだ」
「しかし、アルベルト殿下に黙って勝手に側妃を立てるだなんて……」
「あの石頭は何度側妃を取るよう言っても絶対に首を縦に振らなかった。なぜ出会ったばかりの猫の獣人にそこまで操を立てたがるのかさっぱり理解できんが、強制的に妃を側に置けば嫌でも情が移るだろう。あいつだって男なのだからな」
国王はそこで少しばかり嬉しそうな表情を見せた。
「わしは元々猫は好かんのだ。引っ掻くし凶暴で自己中だろう? その点兎は静かで大人しいからいい。なんと言っても耳が長くて可愛いし」
耳が長くて可愛い、という言葉が初老の男性の口から出るのを聞いて、リナルドは内心ドン引きしているのを気付かれないよう務めて平常心を装った。
「それからどうせ側妃を立てるなら、人間の女も一人連れて来るんだ。獣人だけではやはり確実に後継者を得られるのか心許ないからな。一人は人間の妃がいた方がいいだろう」
「そこまでする必要がありますでしょうか?」
「お前にも責任はあるのだぞ。お前に子供がいれば、ここまでアルベルトにとやかく言う必要は無かったのだ。お前がいくら言っても妃を取らぬから、王家の血筋を絶やさぬためにはアルベルトに頼らざるを得なくなってしまったのだから」
(兄上だって、亡くなったお妃様に固執して新しい妃を娶らなかったから、後継者がアルベルト殿下しかいない今の状況になってるのに……)
リナルドは内心不満に思いながらも黙って頭を下げた。
「それは確かにおっしゃる通りです」
「だが、いくら息子があれだけのイケメンで王子の地位にあると言っても、獣人と同じ立場……いや、より低い立場の妃になるのだ。アルベルトの妃となる者にはある程度の地位と教養が必要だが、貴族の子女が果たしてそのような立場に納得して来てくれるだろうか?」
「それはご心配には及びません」
リナルドは確信を持って頷いた。
「私に丁度いい