手足を縛られた状態で冷たい牢屋の床に転がされ、シアンはガタガタと震えていた。もちろんこの震えは寒さからくるものだけではなく、彼は体と心の両方ともが深々と痛むのを感じていた。
(……殿下は大丈夫だったかな? 一体何が起こったんだろう。それから……)
自分はこの後、一体どうなってしまうのだろうか?
連行される前、シアンは何度も国王陛下に必死になって訴えたが、国王は彼の言葉に全く耳を傾けてはくれなかった。
「私は何もやっていません! アルベルト殿下を害するつもりなどこれっぽっちもありませんし、そもそもそんなことが私にできるはずがありません! お城に入る前に、武器や毒になりうるような物を持ち込んでいないことは身体検査済みではありませんか!」
「獣人は我々人間と違って、武器を使わずとも体そのものが強固な武器になり得る。違うか?」
「確かに私の爪は強くて鋭いですが、それで殿下を傷つけたりは……」
シアンの手は見た目は人間のそれと全く同じであったが、その爪の強度は人間のものよりずっと強く、自由に出し入れすることもできた。
「では先ほどの傷だらけの息子の背中をどう説明するつもりだ?」
「いや、それはまた違う話でして……」
「爪に毒でも仕込んでいたのだろう。やはり獣人との融和など不可能なのだ。これでお前もアルベルトもよく分かっただろう?」
ルイス国王に厳しい声でそう指摘されたものの、王弟リナルドは泰然とした表情で相手を見返した。
「兄上、それを判断するのは時期尚早です。まだアルベルト殿下に何が起こったのか分からないのですから、まずは原因の究明を……」
「この期に及んでお前はまだそんなことを言うのか? 我々の兄上を殺したのが誰だか忘れたとでも? 獣人どもは二十八年前から何も変わってはおらぬ。奴らは我々との共存など望んではいないのだ」
「しかし、シアン殿下が危害を加えたという証拠が……」
「黙れ! ついさっきまでピンピンしていた息子が、こやつと契りを交わした途端に死にそうな状態になっておるのだぞ! それだけでも十分な証拠になるではないか! これ以上獣人を擁護するつもりなら、お前も共犯として一緒に牢にぶち込むぞ!」
それを聞いてシアンは蒼白になり、押さえつけられている上半身を慌てて起こした。
「リナルド様! 私は大丈夫です。きっとちゃんと調べれば無実だと分かってもらえるはずですから、どうか私のことはお気になさらず」
リナルドはぐっと下唇を噛むと、兵士に取り押さえられているシアンの元へと歩み寄った。
「そんなに強く押さえつけるな。大事な王太子妃だぞ」
「しかし……」
リナルドはさっと兵士の手を振り払うと、ゆっくりとシアンを助け起こしてくれた。
「殿下、お怪我はありませんか?」
「いいえ。それよりアルベルト殿下は……?」
「ご安心ください。必ずや原因を究明して殿下の無実を証明してみせますから。しばしのご不便をお許しください」
リナルドはなるべく痛くないようにシアンの両手首を縛ると、その手を引いて自ら牢屋へとシアンを導いて行ったのだった。
(……あれからもう何時間も経ったけど、一向に何の音沙汰も無い。殿下は大丈夫だろうか? まさか死んでしまったりなんてことは……)
考えただけで背筋がゾッと寒くなる。
(人間と獣人間のいがみ合いを無くすべく、平和の象徴となるためにこの国に嫁いできたというのに……)
まさか自分のせいで、戦争が起こるのではないだろうか?
(そんなことになったら父王や兄上、妹や祖国の民たちにとてもじゃないけど顔向できない。でもアルベルト殿下が亡くなりでもしたら、果たして僕の命だけでルイス国王陛下がお許し下さるかどうか……)
冷たい石の床が毛皮の無くなった肌を刺し、そこから染み込むように全身に寒さが広がっていく。
(さ、寒い……人間の肌とはこうも
唯一外気から身を守ってくれているのが、リナルドがとっさにかけてくれた彼のマントで、布地が触れている部分だけが僅かに暖かく、誰かに守られているような安心感を与えてくれていた。
(僕を庇ったせいで、リナルド様まで陛下のご不興を買う羽目になってしまったけど、あの後大丈夫だったかな?)
まるで虫ケラを見るような冷たい視線で自分を見下ろしていたルイス国王を思い出して、シアンは胸の奥がすぅっと冷えるのを感じた。
(リナルド様もアルベルト殿下も僕に対して友好的だったからつい勘違いしてたけど、やっぱり人間からしたら僕ら獣人は憎悪の対象でしかないんだろうか……)
その時、コツコツと石の床を長靴で歩く音が響いてきたかと思うと、先ほどと全く同じ表情のままの国王が、数名の兵士を引き連れてゆっくりこちらにやって来るところだった。
「どうだ、何か話す気にはなったか?」
シアンは慌てて起きあがろうとしたが、体が冷たく痺れて言うことを聞かず、無様に二、三度頭を地面に打ってからようやく上半身を起こした。
「あの、アルベルト殿下のご様子は……」
「こちらの質問にだけ答えろ。息子に一体何をした?」
「ですから先ほども申し上げた通り、私は何も……」
国王は控えている兵士の一人に目配せした。合図を受けた兵士は無表情で牢屋に入って来ると、いきなり鞭を取り出してシアンの背中をビシッと打った。
「あっ!」
あまりの痛みに悲鳴を上げて地面に倒れ伏したシアンを、兵士はさらに二、三度ビシッビシッ! と連続して打った。
「これでもまだ吐く気はないか?」
シアンは血が滲むほど唇をぐっと噛み締めて、襲って来る痛みに声を上げるのを堪えていた。
(僕は無実だ。大丈夫、きっと神様が助けてくださる。何を言っても信じてもらえないこの状況で、どうやって身の潔白を証明すれば良いのか分からないけど……)
「父上!」
鋭い声が監獄内に響いて、その場にいる全員がはっと顔を上げて振り返った。
「アルベルト殿下!」
「まだ起き上がってはなりませぬ!」
「医者は一体何をやっているんだ!」
口々に兵士たちが叫ぶ中、重々しい国王の声がそれらを抑えるようにゆっくりとその場に落ちた。
「ここで何をしている? いつ気がついたのだ?」
「父上、シアンに何てことを! 彼はわざわざ人間と獣人の和平のために嫁いで来てくれた平和の使者なのですよ! こんな仕打ちをして、獣人たちが黙っているとでも?」
「平和の使者だと? 笑わせるな! 我が国のたった一人の王位継承者に危害を加えたではないか! そもそも供の者も伴わずに一人でここにやって来て、どうやって獣人共に自分の境遇を知らせると言うのだ? いいか、こやつは平和の使者などではない。獣人共が我々に差し出した、ただの人質なのだ」
アルベルトは怒ってシアンの元に駆けつけようとしたが、すぐに周りの兵士たちに妨害されてしまった。
「父上、確かに国家間の婚姻にはそのような事情が含まれることは重々承知しております。しかし私は妻として娶った以上、彼を人質として扱うつもりはありません!」
「愚か者め。そんな生ぬるい思考だから簡単に寝首を掻かれるのだ」
「それは今医者が調査中です! 彼が何かしたという証拠がないうちから牢にぶち込んで
その時、その場の緊迫した空気をぶち壊すように、バタバタと慌ただしい足音がこちらに向かって近づいて来た。
「陛下! 皆さん! 殿下の不調の原因が判明しました!」