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花壇にアジサイ
ネギマスキ
現実世界現代ドラマ
2024年12月22日
公開日
8,557文字
完結
花壇に死体が埋められるのを見て、市長のところに連れていかれる話。
(サスペンスのように事件や謎が解決する話ではありません。ご注意ください)

第1話

 僕は公園で本を読んでいた。昨日、通っている大学の図書館で借りたものだ。春がまだ遠い公園は寒々しく、僕以外だれもいない。そんな公園で本を読むのが好きだった。防寒対策をしっかりして、いつもと同じベンチでページを繰る。そうして灰色がかった景色の一部になり、本の世界に入り込んでいくのだ。が、この日は事情が違った。本を読み始めてしばらくすると、真っ黒なロングコートの女と、ふたりの作業服姿の男たちがやってきたのだ。男たちは、それぞれ手にシャベルを持っている。

「この花壇よ。はじめてちょうだい」

 女がそう言うと、男たちは僕の正面にある、何も植えられていない花壇に入って土を掘り始めた。場所を移動すべきか迷いながら、本越しに様子を窺ってみる。こちらを気にする雰囲気はまったくなかった。男たちは事務的に土を掘り、女はその様子を見下ろしている。ベンチを立つ方がかえって注意を引いてしまうかもしれないと、僕はそのまま座っていることにした。

 もう本に集中することはできなかったが、僕は本を読むふりをしながら穴を掘るさまを見続けた。男たちは次第に穴の中に沈んでいき、穴の周囲に土が盛られ積みあがっていく。シャベルが土に刺さる音、シャベルで土をすくい上げる音、シャベルから土を落とす音。それらがリズムよく繰り返され、耳に心地よかった。

 二十分ほど経っただろうか。

「もういいわ。死体を運んできてちょうだい」

 女が声をかけると、男たちは手を止める。穴は男たちの膝上くらいの深さになっていた。男たちは穴から出ると、シャベルの持ち手を花壇の縁にかかるように置いて歩いていく。今、死体って言った気がするけど。僕はそんなことを思いながら、公園の外へ出ていく男たちと、まだ男たちが穴を掘っているかのように花壇を見下ろし続ける女に交互に目をやった。

 男たちは二メートルほどの長さの袋を持って戻ってきた。いやまさかと思ったが、男たちが花壇の前まで来て袋のジッパーを開けると、中に人の姿が見える。死体だ。聞き間違いではなく、女は本当に死体を持って来させたのだ。僕は首を絞められたような苦しみを覚えた。どうしよう。こいつらは今、花壇に死体を埋めようとしている。

 警察だ。警察に知らせないと。いや、その前にここを離れよう。公園を出てから警察に電話すればいい。僕は本を閉じて左手に持ち、立ち上がった。すると、公園の入り口から警官がやってくるのが見える。僕は心の底からほっとした。しかし、警官の男は花壇にちらりと目をやっただけで、僕の方へ向かって歩いてきた。

「君、警察を呼んだ方がいいんじゃないかと思っただろ?」

 警官の問いかけに、僕はどう答えていいか分からなかった。その通りではあったが、そう警官が訊いてくるということは、僕のしようとしていることが間違っていると言われているようなものだった。戸惑う僕に対し、警官は笑顔を見せ、肩に手を置く。その手は妙に力強い気がした。

「心配しなくていい。これは正当な行為だからね。殺人犯が遺体を隠すために埋めるのとはわけが違うんだ。だいたい遺体を隠したいなら、人目につかない山奥に埋めるだろ?見られても問題ないから、こうして堂々とやっているんだ」

 警官は子どもを諭すようにそう言うと、僕の体を強く揺さぶってから手を離した。そこへ花壇の方から女がやってくる。

「どうしたの?」

 女は腕を組み、不快そうな表情だった。警官は僕に見せていたのとは違う、下卑た笑顔を女に向ける。

「いえ、何でもありませんよ。この子どもが、花壇に死体を埋めているのを不思議に思ったようで」

 さっきの話し方といい、大学生にもなって子ども扱いされるのは心外だったが、僕は黙っていた。

「そう。いい?私たちは市長の命令で、青いアジサイを咲かせるために、死体を埋めているの。酸性の土でアジサイを育てると、花が青くなるのは知ってるでしょう?だからなんの問題もないの」

 女の口ぶりは警官に輪をかけて、子どもを相手にしているようだった。そんな態度への不快感が表情に出ていたのだろう。女はそれを、僕が死体について納得できていないと理解したようで、

「不満なら市長に直接、確認してもらってもいいのよ」

と厳しい口調で言った。人の表情を読んで、勝手な解釈をされても困る。僕はもう死体のことはどうでもよくなっていた。なにより早くこの場を離れたかったので、

「死体のことは分かりましたので。もう帰ります」

と言って、公園の外へ向かって歩きだした。

「いいえ、あなたは分かってないわ。市長のところへ行きなさい」

「そうだ、市長のところへ行こう」

 うしろから女と警官の声が聞こえたが無視した。警官のことは少し怖かったが、こんなことで何の罪になるのだと自分を励ましながら歩く。とにかく今は公園を出よう。そう思っていると、

「捕まえて」

という女の声が聞こえた。振り返ると、作業服の男たちがこちらに向かって突進してくるのが見える。ふたりの男は僕の両側に来ると、それぞれが優しく僕の腕を絡めとった。掴み方はソフトだが、振りほどこうとしても、どちらの腕もがっちりロックされて動かすことができない。

「ちゃんと市長のところへ連れて行ってね。市長には連絡しておくから」

「分かりました。じゃあ行くか」

 どうやら僕は、市長のところへ行かなければならないらしい。いまさら、子ども扱いされて気分が悪かった、と言って済みそうにもなかった。

 先導する警官のあとに続いて、僕は両脇を固められたまま公園を出る。そうして止められていたパトカーの前まで歩いた。

「ほら乗りな」

 警官は後部座席のドアを開けると、運転席の方にまわって車に乗り込んだ。悪い人ではないんだろうけど、と思っていると、男たちによる両腕のロックが外れた。僕はシートに座ってドアを閉め、持っていた本を膝の上に置く。車内はすえたような嫌なにおいがした。

「市庁舎まですぐだけどな。パトカーに乗るのもいい経験だろ」

 そう言って警官がエンジンをかけると、まだパトカーのそばにいた男たちはこちらに手を振った。僕もなんとなく手を振り返した。

 パトカーが発進すると、ものの2、3分で市庁舎に到着した。警官のあとについて、中央の入り口から庁舎内に入る。あまり広くないロビーは、正面に総合受付と書かれたカウンターがあり、女がスマホをいじってる。カウンターの上は水槽やら壺やらが置かれ、やたらとごちゃごちゃしており、女もそれらの置物のひとつのように見えた。

 ロビーの両側には様々な課の窓口がずらっと並んでいたが、警官はそれらには目もくれず、総合受付の横の細い通路に進んだ。そうして奥まったところにあるエレベータに乗る。僕もそれに続いた。扉の脇にある行き先を指定するボタンには、『1』と『7』しかなかった。

「直通のエレベータだ。別の日に来て乗ろうとするなよ。爆発するからな」

と警官は言って、『7』のボタンを押した。子どもを怖がらせる嘘にしても下手なものだ。一体、僕が何歳に見えているのだろう。

 七階に到着してドアが開くと、細く短い圧迫感のある廊下の先にドアがあった。金のプレートに黒い文字で、市長室と書いてあるのが見える。警官が『開』のボタンを押していたので、僕は先にエレベータから降りた。しかし警官は降りず、そのままドアが閉まり始める。

「えっ、ちょっ……」

 僕は思わずドアの間に手をかける。本を持っている方の手は甲を強くぶつけてしまい、鈍い痺れを感じたが、その甲斐あってドアは再び開いた。しかしそのとき、警官は銃を抜いてこちらに向けた。僕は思わず両手を上げる。

「俺はここまでだ。悪く思うな。俺が市長室に入ると爆発するからな」

 警官が銃を構えたままでいるとドアは閉まり、エレベータは一階へと下りて行った。

 僕はひとつため息をついて振り返り、市長室の前まで歩いた。そしておもむろにドアを開ける。

「話は聞いているよ。こちらへ来なさい」

 声が右側から聞こえた。正面には応接用のソファセットがあり、右を見ると大きな机の向こうに市長が座っている。僕は言われた通り、市長の机の前まで行った。

 市長は箸を握り、皿から皿へ、豆を移動させようとしていた。でっぷりとした高齢の男で、下を向いているため顔はほとんど見えず、あごの周りからは肉がはみ出している。こんなのが本当に市長なのか?と思ったが、市長が座る席に座っているのだから、きっと市長なのだろう。

「青いアジサイの件だね。君はどう思う?」

 市長は顔を上げずに訊いた。相手の目を見て話した方がいいですよと言いたくなったが、話をこじらせても仕方がない。

「死体を埋めようとしていたので驚いただけなんです。そうして問題ないのだと、僕は知らなかったので」

と、これ以上ない無難な答えをした。市長はやはり下を向いたままだ。

「そうか。いいんだよ、疑問に思うのは悪いことではないし、無知を認めることも立派だ。しかし、なぜその話をすっかり受け入れてしまうのかね?」

「えっ、違うんですか?」

 僕は思わず聞き返した。せっかく死体を埋めて問題ないと納得したのに、またそれをひっくり返されるとは思ってもみなかったからだ。僕は続きの言葉を待ったが、市長は目の前の豆に対して箸を動かすばかりで、何も言おうとしない。市長の動かす箸の間から、どの豆もするりと逃げ、いまだにひとつの豆も移動できていなかった。

 僕の方から何か訊いた方がいいのかとまごついていると、市長は箸を叩きつけるように机に置き、豆の乗った皿を両手で持ち、そのまま口もとに運んだ。勢いよく傾けられた皿からは、しかし口を外れて豆が落ちることはなかった。市長は空になった皿を机に戻すと、口を閉じたまま顎を上下に動かしだす。すると、豆が砕かれる音ではなく、金属がきしむような音が聞こえた。なんでそんな音がするんだろうと不思議に思っていると、市長は皿の上に覆いかぶさって口の中のものを吐き出す。そこにはまったく砕かれていない豆と、何本もの歯があった。ゾクっと寒気がした。市長の歯が全部折れたのだろうか。しかしよく見ると、老人の歯とは思えないほどきれいな色と形をしている。新品の差し歯が全部とれたかのようだった。

 市長はじっと自分の吐き出したものを見ていた。すると、また皿を持って口の中へ傾ける。そして何も乗っていない皿を机の上に置く。市長は頬を膨らませて真っ赤になっていた。しばらく苦しそうな声が漏れていたが、それが定期的な低い唸りに変わる。何度目かの唸り声のあと、市長はごくりと大きく喉を鳴らした。その音とともに、頬はもとに戻った。一気にすべてを飲み込んだようだ。

 市長は生気のない表情でこちらに顔を向けていた。しかし、僕のことは見ていない。どうしていいか分からずにいると、背後からドアをノックの音が聞こえた。

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