「失礼いたします」
そう言って足を踏み入れた先に、来客用の2人掛けソファーへ並んで座るエドガーとセドリックの姿があった。
不躾にならない程度に2人を観察すると、エドガーのシャツの第1ボタンが外れ、セドリックの頬が赤く上気しているのが見て取れた。
――2人でなにをなさっていたのですか?
もちろん、そんなことは思いはしても口には出さない。
「……エドガー様、お久しぶりにございます。お変わりありませんでしたか?」
かつて、教師に完璧だと褒められたカーテシーをして、お決まりの定型文を口にする。
エドガーは気だるげに前髪を掻き上げて、「ないよ」と素っ気なく返した。
『私は相変わらずだよ。シル、君こそどうだった? 健やかに過ごせていたかい?』
そう言って、シルティの身を心配する優しい声は続かない。そのことに寂しさを覚えたが、間違っても表情に出さないよう頬の内側をぐっと咬み、「それはようございました」と微笑んだ。
挨拶も済ませ、2人の向かいの席に座ろうとしたとき、「そういえば」とエドガーに話しかけられ、ソファの背に手をかけたまま座る機会を逃してしまう。
座ることすら許されないのかと思ったが、胸中を悟られないように淑女の仮面を盾にした。
「……なんでございましょう?」
「いや、なに。先程、セディに聞いたのだが、温室のランが美しく咲いたとか」
「……はい、特にシンビジウムが、」
「今日はそこで茶会をすることにしよう」
「……はい?」
話を遮られたこともさることながら、予定になかった提案を、いくら婚約者とはいえ、客である立場のエドガーに指示されたことに、さすがのシルティも渋い顔をせずにはいられなかった。
その反応が気に入らなかったのだろう。
機嫌よくセドリックの金髪を指に巻き付けて遊んでいたエドガーは、今日はじめてシルティの姿を瞳に映し、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……なんだい、その反応は。もしかして嫌なのか?」
こちらのほうが間違っていると思わせるような高圧的な態度を取られても、淑女としての作法が骨の髄まで身についているシルティは、自然に
「いいえ、そのようなことはございません。……ですがなにぶん、突然のお申し出ですので、今から準備をするとなると、少々お時間をいただくことになります」
「かまわない。準備がすむまでセディに話し相手になってもらう」
「ですが、」
「シルねぇさま」
今まで沈黙を守っていたセドリックが、反論しようとしたシルティの言葉を遮ったことで、熱くなりかけていた頭がサッと冷えるのを感じた。
無意識にドレスのスカートを握り締めていた両手から力が抜ける。
思わず、セドリックに縋るような瞳を向けると、以前となにも変わっていない、澄んだ空色の瞳が微笑んでいた。
「僕は大丈夫ですから、どうかエドのために、温室でのお茶会をお許しいただけませんか?」
「セディ……」
セドリックの言葉に呆然とする。心の何処かで助けて貰えるとでも思っていたのだろうか。自分ではなく、エドガーを養護されたことに少なくない衝撃を受け、次の言葉がでなかった。
とてもではないが、淑女の仮面を維持する気力が消え失せてしまい、まるで脳疲労を起こしたかのように、思考することもおっくうになってしまって、瞬きするのも忘れたまま、緩慢な動作でドレスの裾をつまんだ。
「かしこまり、ました……」
涙を流さずにいられたのは、シルティに残った、貴族令嬢としての矜持のおかげだった。
「……それでは、準備をしてまいります」
覇気のない声音にも、エドガーが気づく様子はない。彼の興味はすでに、隣に座るセドリックへと移っていたからだ。
「御前を失礼致します」
最後の力を振り絞り、なんとかその言葉だけを口にすると、新鮮な酸素を求めてドアノブを握った。
これ以上この部屋に居たら、窒息死してしまいそうなほどの息苦しさを感じていた。
「シルねぇさま」
ドアノブを回そうとしていたところで、セドリックに呼び止められた。疲労の滲む顔で隣をみれば、いつの間に来たのだろう、エドガーの姿を自らの背に隠すようにして、セドリックが立っていた。
もう感情を抑えることができなくなって、「セディ……」と小さく呟くと、両目からポロポロと涙がこぼれ出した。
どうしよう。このような顔を、エドガーに見せることはできないのに。
シルティの焦る心中を見透かしたのか、セドリックはシルティの顔を上手く隠す角度で振り返り、「シルねぇさまをお送りしてきますね、エド」と言った。そうして、エドガーの返事を待つことなく、セドリックはシルティを守るように支えながら、共に部屋をあとにした。
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