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第8話 庭園にて


 過ごしやすい秋晴れの日。シルティは侍女のノナリアを伴い、庭園で秋薔薇を愛でていた。


「シーズンにはまだ少し早いけれど、ちらほら咲きはじめているわね。ほら、ノナリア、この薔薇なんてあなたの瞳にそっくりですわ」


「まことにごさいますか?」


「ええ、ほら、見て。深みのある美しいオレンジ色。中心から外に向かって色味が変化していて、まるで夕日を観賞しているみたいね」


「わたくしの瞳を、このような美しい薔薇の色と同じだとおっしゃってくださってとても嬉しゅうございます。ありがとうございます、シルティ様」


「もう、ノナリアったら。そんな風にかしこまらないでちょうだいな。私は思ったことを素直に伝えただけ。お礼を言われるのは嬉しいことだけれどね」


 照れを隠すように垂れ下がってきた髪を耳にかけると、中腰の姿勢のまま、さらに奥のバラに手を伸ばす。


「最近は雨の日が多いから、薔薇が根腐れしないように気を付けてちょうだいと庭師に伝えてもらえるかしら。それと、育てるのが難しい秋薔薇を、今年も綺麗に咲かせてくださってありがとうと、お礼も一緒に」


 左隣に立つノナリアに微笑みながら言付けると、彼女は恭しく礼をするなり庭師の下へと向かった。


 ひとりになったシルティは、他の生け垣も見に行こうと姿勢を戻そうとして、「痛っ」と小さく声を上げた。どうやら髪の毛が、薔薇の葉と茎に絡まってしまったようだ。


 薔薇を傷つけないように奮闘するが、髪の束はなかなか解けず、気のせいか、どんどん酷く絡まっているように見える。


「……どうしましょう。困ったわ」


 中腰の姿勢に疲れて、はぁとため息をついた時だった。


「シルティ、なにをなさっているのですか?」


 今の姿を一番見られたくない相手に見つかってしまったことに、ほぞを噛むおもいで視線を向けた。


「……セディ」


 セドリックは、空色の瞳を細めると、生け垣の薔薇に手を伸ばした。


「ああ。御髪が絡まってしまったのですね。僕が解きましょうか?」


「……ええ、お願いするわ」


 溺愛している義弟おとうとに情けない姿を見られたことが恥ずかしく、思わず、顔を左に背けてしまう。


「きゃっ!」


「シルティ!」


 髪が絡まっていたのをほんの一瞬でも忘れてしまった自分を恨みつつ、頭皮のあまりの痛さに涙が滲んだ。


 もう、中腰の姿勢を保つことも辛くて、頭を抱え、その場に座りこんでしまう。


「ドレスが汚れてしまいますよ」


「いいわよ汚れても。それよりも、早く解いてちょうだい」


 セドリックは何も悪くないのに、八つ当たりのように言ってしまったことを後悔する。が、言ってしまったことは取り消せない。


 最近ただでさえ、セドリックとの仲がギクシャクしているのに、今の態度のせいで、2人の溝が広がってしまったのではないかと思うと、なかなか治まらない頭皮の痛みも相まって、鼻の奥がツンとした。


 こんなところで、しかもセドリックの前で泣くなど、義姉あねとしての沽券に関わるのに、一度緩んだ涙腺は締まってくれない。


 そのうち鼻水まで流れ出してきてしまい、これ以上悲惨な顔にならないよう、ずびずびとしきりに鼻をすすっていると、頭上から軽やかな笑い声が降ってきた。


 見上げることはできないので、ずずっと鼻をすすることで抗議する。が、それがセドリックの笑いのツボを刺激してしまったようで、髪を解いていた器用な指先がぷるぷると震えてしまっている。


 もうこれ以上ここにいて、醜態を晒したくないと思ったセルティは、地面を見つめながら言った。


「……もういいわ、セディ。かわいそうだけれど、絡んだ髪ごと薔薇を折ってちょうだい」


「……よろしいのですか?」


「ええ。だから早くして。お願いだから」


 つっけんどんな態度をとってしまったシルティに苛立つ様子はなく、「わかりました」と返事が返ってきてすぐ、突っ張っていた髪の毛が緩んだ。


 痛みが治まったことにホッとしていると、いつの間にかシルティの間近に来ていたセドリックが、左耳の上に何かを差し込んだ。


 風に乗って、ふわりと香った香りで、それが先程手折った薔薇の花だと分かる。


「あの、セディ――」


 お礼を伝えようと見上げた先で、愛おしくて仕方がない人を見る目をしている空色の瞳と見つめ合う形になり、シルティの頬に熱がこもった。


 見てはいけないものを見てしまった気がして、不自然にならないように視線を逸らす。なぜか早鐘を打つ心臓に、内心で首を傾げながらゆっくりと立ち上がった。


 シルティが立ち上がったことで、セドリックも立ち上がり、2人は暫くその場に立ちずさんだまま、気まずい空気が流れた。もっとも、気まずいと思っているのは、シルティだけかもしれないけれど。


 このあとどう動こうかと考えていると、両肩に肌触りのよいストールがかかった。


 驚いて後ろを振り向くと、いつの間に戻ってきたのか、ノナリアが立っていた。


「シルティ様、ただいま戻りました。遅くなってしまい申し訳ございません」


 深々と頭を下げるノナリアに、慌てて両手を振る。


「いいえ、大丈夫よ。だから謝らないで、ノナリア。それよりもストールをありがとう。わざわざ部屋から持って来てくださったの?」


 ストールの合わせ目を胸元で握り締めると、ノナリアは、こくりと頷いた。


「そろそろ風が冷えてきそうでしたので、用事を済ませたあと、シルティ様のお部屋に立ち寄りました。その際に、窓からお二人の姿が見えましたので、急いで参じた次第でございます」


「そうだったの、」


「……そうか。相変わらず優秀な侍女だね、ノナリアは」


 今まで沈黙していたセドリックが会話に割り込んできたことに驚くシルティだったが、ノナリアは、予想していたとでも言いそうな無表情で、「お褒めに預かり光栄にございます」と頭を下げた。


 ノナリアの旋毛つむじを冷めた目で見ているセドリックの姿に、恐怖に似た感情を覚えたシルティは、さっとノナリアの手を握って微笑んだ。


「ノナリア。貴女の手も冷たくなっているわ。早く室内にもどって暖まりましょう」


「はい、そういたしましょう。……セドリック様、御前を失礼いたします」


「……ああ。シルティが風邪をひいてはいけない。早く戻るといい」


「慈悲深いお言葉、ありがとうございます。……さぁ、シルティ様。参りましょう」


「え、ええ。わかりましたわ」


 久しぶりに会話を交わしたセドリックに申し訳ないとおもいつつ、この場から一刻も早く立ち去りたかったシルティは、ノナリアに肩を抱かれたまま、セドリックの前を通り過ぎた。


 セドリックが何も言わなかったことに安堵したシルティだったが、「シルティ」と後ろから呼ばれたことで再び緊張が走った。


「その薔薇、とても似合っています。……大事に愛でて下さいね」


「……ええ、そうしますわ」


 振り返ることなくそう言うと、シルティはその場をあとにした。



 そうして玄関ホールの前まで戻ってきたシルティは、おもむろに空を見上げた。


「さっきまでは、あんなに晴れていましたのに……」


 青空を覆い隠した曇り空が、セドリックの姿と重なって見えて、胸の奥がツキンと痛んだような気がした。


「セドリック……私のかわいいセディ」


 ――もう、昔みたいには戻れないの?


「シルティ様。雨が降りそうにございます。どうぞお早く」


「……ええ、わかったわ」


 玄関ホールの扉が閉まる寸前、鼻先を霞めたのは、ラベンダーの爽やかな香りだった。



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