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第7話 魔女の館


「それではお坊ちゃま、ごゆっくりとおやすみくださいませ」


「ああ。おやすみ」


 就寝の支度を終えたメイドが退出し、足音が完全にしなくなったのを確認し終えたセドリックは、クローゼットを開けて、一番奥に隠しておいた紙箱を取り出した。


 その紙箱から木綿製の平民服を一式取り出して手早く着替えたあと、掃き出し窓からバルコニーへと出る。


 迷いのない足取りで石造りの手すりに近寄ったセドリックは、手すりの上にひょいっと飛び乗り、そこからさらに、近くの木に飛び移ると、器用に木の枝をつたって地面に着地した。


 それから、あらかじめ調べておいた警備網をかいくぐり、計画通りに伯爵邸から抜け出すことに成功したのち、姿を隠すためのマントを羽織ってフードを目深に被った。


 目指すは歓楽街。


 舗装されていない道を数歩進んだセドリックは、伯爵邸を一瞥し、夜の闇へと消えて行った。



*****



 深夜だというのに人で溢れかえっている歓楽街を抜けて、裏通りへ足を踏み入れる。


 月の光も街灯の光も差さないそこは、孤児、薬物中毒者、浮浪者などのたまり場になっていた。


 8年経ってもなにも変わっていない裏通りの様子を見ても、なんの感情もわかない自分の冷淡さに驚くことなく、物乞いの手を避けて目的地へと走る。


 そうして、迷路のように入り組んだ道を、迷うことなく突き進んだ先に、目的の店が一軒、ぽつんと佇んでいた。


 窓ひとつ無い店の古びた扉を決まった回数叩くと、キイィと不快な音を立てながらひとりでに扉が開いた。


「……勝手に入ってこいって?」


 小伯爵になってから、全く使うことがなかった粗暴な言い方で呟いたセドリックは、姿の見えない店主に導かれるまま入店し、扉が閉まって店内が暗くなってから濡羽色のマントを取り払った。


「おい! おばば!」


 暗闇に向かって言葉を放つと、不気味な笑い声と共に、店内のあちこちで蝋燭の火が灯り出し、店主の姿を照らし出した。そこに立っていたのは、齢100歳は超えているだろう見た目をした老婆だった。 


 老婆は、平民服姿で立つセドリックを見ると、歯抜けた声で「ほっほっほ」と笑い出した。


「なにがおかしい」


 苛立ちを隠そうともしないセドリックに、老婆は、視力がないはずの白く濁った瞳で彼を凝視し、再び笑いだした。


「いやはや、おぬしは、昔とちぃっとも変わっとらんのう、と思うてな」


「そういうお前は変わりすぎだ」


「そうかのぅ? けっこう気に入っとるんじゃがの」


 そう言いながら自分の体を見下ろす店主に、舌打ちをする。


「僕は気に入ってないし、そのしゃべり方もやめろ。きしょいから」


「き、きしょ……!」


「あとあんた、男だろうが。なんで合言葉が『おばば』なんだよ。しかも来てみたら、ほんとにばばあになってるし……。なるなら、ばばあじゃなくて、じじいだろうが」


 先程から、言いたい放題言われていた店主は、「魔女の店にじじいがいたらなんか変だろーが!」と反論した。


 ――それは確かに。


 そう思ったことは伝えず、セドリックは、いいから早くしろと言わんばかりに手をヒラヒラと振った。


 そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだと察知したのか、店主は不満げな様子のまま、聞き取ることのできない言語を唱えはじめた。


 そして呪文の詠唱が終わると、店主がいた場所に、無精髭と目の下の隈が特徴的なボサボサ頭の男が立っていた。


「最初から元の姿で待っとけなかったのか、クロード」


「ふん、うるせぇ。ここは俺の店だ。自分の店でどんな姿してようが俺の勝手だろーが」


 そう言ってクロードが指を鳴らすと、宙に葉巻が出現した。すでに火が付いているそれを指でつまんでひと吸いし、ふーっと吹き出された葉巻特有の臭いと煙が店内に充満していく。


 思わず、ゴホゴホとむせたセドリックは、涙目でクロードを睨みつけた。


「おい。僕の前でそんなもん吸うんじゃない。臭いし、目が痛くなる」


「ああ、すまんすまん。まだガキんちょのセド坊やには刺激が強すぎたかぁ」


 ニヤついて馬鹿にした態度をとるクロードに向かって、セドリックは、ブン! と腕を振り投げる。


「うおっ、あっぶねぇぇぇ〜!」


 と、大袈裟に反応するクロードだが、セドリックが投げた暗器は魔法壁に防がれて、男の身体にかすりもしていない。


 つくづく食えない男だ、と思いつつ、ここに来た目的を、さっさと済ませることにした。


「茶番はもういい。前に頼んでいた薬を売ってくれ」


 クロードが座るカウンターの前に立ち、空気を掴むように右手を開いて催促する。


「薬はできちゃあいるが。……お前、これを誰につかうつもりだ?」


「なんだ、気になるのか? 人間嫌いのお前が?」


「そりゃあ気になるさ。こーんなちっせぇガキの頃から知ってるやつが、突然、魅了薬、媚薬、弛緩薬を注文してきたんだからな。……一応聞いておくんだが、お前、使い方をわかってて注文したんだよな?」


「当たり前だろ」


 クロードは両手で顔を覆って天井を仰ぐと、盛大なため息を吐き出した。


「だよなぁ〜、わかってるよなぁ〜。ここで生まれ育ったお前が知らねぇわけがねーよなぁ〜……」


 それからしばらく、何かと葛藤しながらブツブツとひとり言を発していたクロードは、鼻の頭を赤くして、商品を包み始めた。


「なぁ、セド。お前、ウィルベリー伯爵に拾われて、そこの養子になったんだろ? あそこの伯爵は領主として有能で、令嬢もかなりできた人間だって聞いてるぜ。なのになんでこんな……男娼が使う薬が必要なんだ? もしかして、なんかヤバイことに巻き込まれたのか?」


 この魔法使いの男は根っからのお人好しで、世話焼きなのだが、それが仇となって、あるときから悲観論者になってしまった。


 そしていまは人から離れた場所で、魔法の才能を活かした“魔女の館”を経営している。


 クロードは、厭世家ペシミスト故に、他人と関わろうとしないし、興味を持たない。


 人嫌いが店を経営すると聞いたときは、こいつ正気か? と驚いたものだが、この店には特殊な魔法がかけられていて、お得意さんや、この店を必要としている人間だけが辿り着くことができるらしい。


 いくら希少な魔法使いでも、肉体はただの人間だ。稼がなければ食料が尽きて、野垂れ死にしてしまう。だからこそクロードは、少しでも仕事がしやすいように、いつも何かの皮を被って自分を偽りながら生きているのだ。


 ようするに、生きていくためには金が必要だということだ。


 セドリックは、受け取った商品を麻作りのバッグにしまうと、クロードに金貨を支払った。


「巻き込まれたんじゃなくて、巻き込もうとしてんだけどな。……まぁ、心配するな。薬の出どころはバレないように細心の注意を払うから」


「お前が大丈夫だっつーならもちろん信じるが……。あんまあぶねぇことに首つっこむんじゃねーぞ!」


 もうすでにマントを羽織っていたセドリックは、後ろを振り向くことなく、ただ右手をひらひら振って店外へ出た。


 背後で扉が閉まる音がすると、セドリックはフードを深く被って、店を一瞥した。


「ごめんな、クロード。危ないことに、首つっこみに行くんだわ」


 フッと、痛々しげな笑みを浮かべたセドリックは、今度は後ろを振り向くことなく、闇に紛れて駆け出したのだった。



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