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第6話 口づけ


 季節はめぐり、再び社交シーズンが到来して、また初夏がやってきた。


 デビュタントでエスコートを受け、その後、シルティとエドガーが婚約してからおよそ一年が経過していた。


 2人の関係は良好で、シーズン中は共に舞踏会へ参加して、ときどき街へデートに繰り出したりもした。


 領地へ戻ってからは、頻繁に手紙のやり取りをし、月に一度はどちらかの領地に赴いて、一緒にお茶をしたり、読書をしたり、庭園の散歩や領地のデートスポットで逢瀬を楽しんだこともある。


 3歳上のエドガーは、心も身体も未熟なシルティに寄り添い、至って健全な交際を続けていた。


 しかし、男女のあれこれに疎いシルティは、エドガーが己に劣情を抱いているとはつゆ知らず、現状のままの関係に十分満足していた。


 だが、シルティが16歳の誕生日を迎えようとする頃、2人の関係は変化した。そのきっかけは、図書館で軽い口づけを交わしたことだった。


 お互いになにか言葉を交わしたわけではない。ただ自然に顔が近づき、そっと羽が触れるようなキスをしただけ。


 けれどシルティにとってはそれが初めての口づけで、ほんの少し唇が触れ合っただけだったのに、背中にピリッと電流が走るような快感を感じたことに、驚きを隠せなかった。


 ――口づけで快感を得られるなんて知らなかったから。






『いいかい、シルティ。結婚するまでは、健全な関係を保つのだよ。なにか間違いがあってはいけない。できるだけ触れ合わないように、距離をとって行動するように』


 父にしつこく言い含められたときは、正直、何を気をつけなければならないのかわからなかった。


 健全な関係とはなんなのか。


 エドガーと婚約してからは、淑女教育にくわえて花嫁修行も受けるようになった。授業では、男女の営みについても学んだが、教師が教えてくれたのは「殿方に全ておまかせするのです」ということだけ。つまり、シルティは何もせず、ただ気持ちを楽にして、エドガーに身体を捧げろということだった。


 ――だから、これで合っているに違いない。


 エルヴィル家の図書館にて、シルティは、エドガーに体を差し出したのである。






 日除けカーテンが閉まった、薄暗く、埃っぽい図書館の最奥で、ちゅっ、ちゅっと唇をついばむ音と2人分の荒い呼吸音がその場を支配していた。


 何度も角度を変えながら、ただ触れるだけの口づけを繰り返す。ただそれだけの行為でいっぱいいっぱいになっているシルティを、エドガーは愛おしそうに見つめた。


 ――今日はもう少し進んでみようか。


 普段はおしとやかな淑女ぜんとしたシルティのはしたない姿をもっと見たい。その欲求を抑えられなくなってしまったらしい。


 ぎゅっと目を閉じたまま、首から上を真っ赤に染めて、エドガーとの口づけに必死に応えているシルティの後頭部を手のひらで包み込む。


「シル、目を開けて」


 そう耳元で囁かれたシルティは、ピクッと肩を震わせたあと、言われた通りに目を開けた。澄んだ榛色の瞳がエドガーの姿をうつしていることに満足しながら、空いている右手を小さなおとがいに添える。


「シル、今日はもうすこし先に進んでみよう」


「先、ですか……?」


 なにもおそれることはないのに、不安げな表情を浮かべるシルティを見て、うなじのあたりがゾクリとした。すぐにでも、赤く色づいた唇に噛みつきたいのを我慢して、安心させるように何度も頭を撫でてやる。


「大丈夫だよ。怖いことや痛いことはしない。ただお互いに、今よりもっと気持ちよくなれるだけだ」


「……気持ちよく?」


 上気した顔で首を傾げるシルティに、「そうだよ」と頷いた。


「えっと、でも……」


 視線を泳がせたあと、俯いて沈黙してしまったシルティが、エドガーの為に首肯するのを根気よく待つ。


 そうして暫し待ったのち、シルティは、こくりと頷いたのだった。エドガーの顔に喜色が満ちる。シルティはその表情をそっと伺い見て、選択を間違えなかったことに安堵した。


「ありがとう、シル。……じゃあ、舌をべーって出してくれる?」


「ん、……こうでふか?」


「うん。そのままべーってしておいて。引っ込めちゃだめだよ?」


 言われた通りにしているシルティの小さな舌に、自分の舌を絡ませる。すると「ん、」と鼻から抜ける声を上げたシルティだったが、言われた通り舌を引っ込めることなく、エドガーの愛撫を受け止め続けた。


 ぴちゃぴちゃと舌を絡ませる音が2人の鼓膜を刺激する。されるがままでいるシルティに「私のように、シルも舌を絡めてごらん」と促すと、こくりと唾液を飲み込んだあと、小ぶりで肉厚な舌が、エドガーの薄い舌に積極的に絡みついてくるようになった。


「ふふ、いいこ」


 気をよくしたエドガーは、キスで赤く充血している舌に吸い付くと、お互いの唾液と一緒に、じゅっじゅっと強く吸い上げてやった。


「ふっ、ん、んんん……っ!」


 シルティの腰に電流のような快感が走り抜けて行った。


 それからしばらく濃厚なキスを続けていると、シルティは膝をガクガクと震わせて、


「ん、ちゅ、っ、は……ぁ、あ、エ、エドガーさま、むり、むりです。シルはもうたっていられない……」


 息も絶え絶えに言ったシルティは、ズルズルとその場に座り込んでしまった。


 はぁー、はぁー、と大きく息を吐き出しながら呼吸を整えようとしても、全身が熱くて、頭もくらくらして、とにかく休憩が必要だと思った。


「シル、ごめん、無理をさせてしまったね。君がかわいいから、途中で止まることができなかったんだ」


 エドガーは図書館のカーペットに両膝をつき、顔からデコルテにいたるまで真っ赤に染まっている華奢な体を、真綿でくるむように抱きしめた。


 ――あたたかいわ。


 シルティは、エドガーと触れ合っている部位がじんわりと温かくなっていくのを感じた。それは肉体だけではなく、心も、だった。


 呼吸と熱がおさまってきたところで、心配そうな表情でシルティをみつめる水色の瞳をみつめ返すと、自分の口角に残っていたどちらのものか分からない唾液をすくい取り、エドガーの口腔内へ強引に突き入れた。


「もったいないですから、最後はエドガー様が頂いてくださいな」


「っ、シルティ……」


 これは反則だ、とエドガーは真っ赤になった顔面を隠すように、シルティを後ろから抱きしめて、華奢な肩に額を押し付けた。


 ――“愛おしい”とは、こういうことか。


 遊び歩いていた時代に聞いた、心から愛する人との触れ合いは、キスだけで満足感が得られ、抱きしめると愛おしいという感情で胸がいっぱいになる」という話は、絵空事ではなかったのだ。


(私は心から、シルティを愛しているのだな……)


 そう自覚すると、ますますシルティのことが愛しくなっていく。


 エドガーが、シルティの髪の毛やドレスを整えていると、図書館の扉がノックされた。


「誰だ。中には入ってくるな」


「主様、そろそろ日が暮れます。ウィルベリー嬢をご自宅にお送りせねばなりません。私は馬車の用意をして参りますので、あまり遅くならないうちに、玄関ホールにお越しください。それでは失礼いたします」


 エドガー付きの優秀な侍従の足音が遠ざかっていくと、シルティはもぞもぞと動きだして、エドガーの腕の中から転がるようにして出てきた。


 その、ムードが台無しな姿を見て、ただ愛らしいとしか思えないのだから、恋は盲目とはよく言ったものだ、と思った。


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