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第2話 シルティ10歳 セドリック8歳


 古くから続く名家存続のために子孫繁栄に努めるのがウィルベリー伯爵夫妻の義務だった。2人はまだ若く、長子のシルティは7歳になったばかり。本来ならば男児の出産を急ぐことはない。


 しかし、医師の見立てによると、この先自然に妊娠することは非常に難しいとのことで、血筋を重んじる貴族としては大きな痛手だった。


 2人はすぐさま、家門の傍系から養子を取るか、娘の婚約者を見つけるかを話し合った。


「……旦那様。家門存続のため、そして後世にウィルベリーの血を繋いでいくためにも、シルティの娘婿を探さなければならないと理解しております。ですが……」


 シルティは優秀な娘だ。もし我が国が女性の爵位継承を認めていれば、家門にとっても、領民たちにとっても、良い女伯爵となっただろうことは容易に想像できた。だからこそ、いまのこの状況が残念でならない。


「ああ、きみの言いたいことは良くわかるよ。他の家門と違い、ウィルベリー伯爵家は政略結婚をする必要がない。我が家門は他家とのつながりをもって領地を拡大する必要はなく、我々の背後に王家が座している以上、後ろ盾や持参金を目的とした婚姻も必要がないからね」


「はい。だからこそ、シルには愛する人と一緒になってほしいのです。わたくしと、旦那様のように……」


 自分の身体からだが弱いせいで次子を望むことができない。そのせいで、自らが背負うべき責務を他人に背負わせてしまうことになる。妻はそう、自責の念に苛まれている。


 それでも貴族の矜持として、夫の前で泣くまいと耐える妻の姿を見て、なんと愛おしいのだろうと思った。


 震える妻の肩を抱き寄せて、セルティも、いつかは心から愛おしく思える相手ができるのだろうかと、男親としては複雑な心境で未来の娘の心配をする。


「はぁ……。娘にとって父親とは、鬱陶うっとおしい存在なのだろうなぁ」


 アンバー色の頭をなでていた夫が自嘲気味に笑うものだから、慰められていたはずの妻の涙はついにこぼれ落ちることなく、驚きによって引っ込んでしまった。


「突然どうなさったのです? 旦那様」


 熱でもあるのかというていで見つめてくる妻の姿に、なぜか笑いがこみ上げてきてしまい、我慢することなく破顔大笑はがんたいしょうした。


「いや、ね。娘を持つ親は大変だなぁと再認識したのだよ。娘に好いた男ができるのは許しがたいと思うくせに、娘が心から愛する男と出会い幸せになってほしいとも思う」


「まぁ、それは鬱陶しい父親ですわね」


「そうであろう?」


「……ですが、娘を心から愛し、慈しんでくださる旦那様の妻になることができて、わたくしはなんて幸せ者なのだろうとも思いますわ」


 そう顔をほころばせる妻に、「私こそ幸せ者だよ」と口づけた。



*****



 暖かい日差しのもと、日傘をさして庭園を散歩していると、泉の側に建つ東屋ガゼボの方角から賑やかな笑い声が聞こえてきた。


「ふふっ、シルとセディね。今日は少し日差しが強いわ。マリアンヌ、熱中症にならないように適度に果実水を飲ませてちょうだいと、乳母に伝えて来てくれる?」


 日傘を傾けて伯爵夫人付の専属侍女に目をやると、彼女はうやうやしく頭を下げた。


「かしこまりました。……ノナリア、そのバスケットを持ったままついてきなさい。奥さま、それでは行ってまいります」


「ええ、よろしくお願いね」



*****



「お嬢様、お坊ちゃま! 奥様が果実水を用意して下さいました。こちらへ来て、暫し休憩なさって下さいませ」


 湖のほとりに咲いた花々で花冠を作っていたシルティとセドリックは、顔を見合わせて「はぁい」と返事をした。


 初めて出会った時から、すでに3年の月日が経ち、シルティは10歳、セドリックは8歳になっていた。


 完成した花冠をお互いの頭に飾り、仲良く手を握って東屋へと走る。その仲睦まじい姿を見て、乳母と侍女は微笑ましく思いながら笑顔を浮かべた。


「乳母! これを見てちょうだい! この花冠、セディが作ったのよ!」


 まろい頬を上気させながら興奮気味に話すシルティに微笑みながら、乳母はハンカチを取り出して額の汗を優しく拭いていく。


「まぁ、とても綺麗な花冠ですね。お坊ちゃまは手先が器用でいらっしゃる」


「そうでしょう!? まだ8歳なのに凄いわ! ほら見て、この彩りの美しさ! とても素晴らしいでしょう? セディは花冠を作る天才だわ!」


「ほ、褒めすぎですよ、シルねぇさま!」


 まるで自分の事のように得意げに息巻くシルティの袖を、羞恥で顔を赤くしたセドリックがクイクイと控えめに引く。それにくるりと振り返ったシルティは、先ほど完成したばかりの花の首飾りをセドリックの首にかけた。


「はい、プレゼント!」


「ぼくに下さるのですか?」


 首から下げた首飾りをまじまじと見つめる。ラベンダーとヒメジョオンで編まれた首飾りは、お世辞にもきれいとは言えない代物だったが、編み手が心を込めて丁寧に作り上げたことが良くわかる、真心がこもったプレゼントだった。


 セドリックは、胸のあたりがムズムズするのを感じた。


 シルティと出会ってから、今まで何度も同じ症状が出たことがある。病気かもしれないと心配した伯爵夫人が医師を呼んでくれたが、診察の結果は異常無しだった。


 病気じゃないならなんなのだろう。そう疑問に思いつつも、不快な感覚ではなかったので様子を見ることにした。


 そして何度も経験するうちに一つだけ分かったことがあった。この症状は、シルティと一緒に居る時にだけ現れるということだ。


 この胸の疼きが何を意味するものなのか、まだ幼いセドリックにはわからない。しかし、そう遠くない未来に、この気持ちに名前がつくことは瞭然としていた。


「セディ? 気に入った?」


 春の日差しを感じさせる温かな笑顔。セドリックと視線を合わせる為にかたむけた首筋から、真っ直ぐと伸びたアンバー色の髪がサラリと垂れる。


「うん、とっても気に入ったよ! ありがとう、シルねぇさま」


 理由わけもなく潤んだ瞳でシルティの榛色はしばみいろの瞳を見つめながら、セドリックは、少女と見紛みまがうほどの愛らしい笑顔ではにかんだのだった。



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