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第3話 猫……からの事件だ!

 開け放たれた窓から、春の息吹が流れ込んでくる。


 普段なら締め切っている窓をリリーが勝手に開けていくので、いつもはむさくるしいこの事務所内はいつになく爽やかな空気に包まれていた。


 リリーは朝からせっせと家事にいそしんでいる。

 朝早くから、彼女は窓を開け放ち、朝食を作ってから俺を起こした。

 食事を終えるとすぐに後片付けをして、部屋の整理整頓と掃除を始めた。


 いそいそと掃除にはげむ可愛いメイドがいるのも、なんだか悪い気はしない。

 ロボットだから何の干渉かんしょうもしてこないし、こちらも気を遣うことがないので、一緒にいても苦痛ではなかった。


「ご主人様、お仕事はなさらないのですか?」


 いきなりの可愛い顔のドアップに驚いて、俺は盛大にのけった。座っていた椅子から落ちそうになる。

 すぐにリリーが支えてくれ、何とか俺は踏みとどまることができた。


「大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう」


 体制を立て直すと、リリーに向き直った。


「仕事は依頼がこないとなぁ。

 依頼も最近めったにこないし、きてもたいしたあれではないし、やる気起きないんだよなぁ」


 探偵になって、しばらくはやる気もみなぎり、小さな仕事でも依頼がくると喜んでいた。

 しかし、時が経ち、だんだん探偵の仕事もなんとなくこなすようになっていき、依頼も近所での困りごと中心へと変わっていく中で、俺はやる気を失っていた。


 迷子探しや迷いネコ探し、喧嘩の仲裁ちゅうさい、果ては老人の買い物代行までやる始末だ。

 これがしがない探偵の現実。


「では、お茶でもいれましょうか?」

「ああ、頼むよ」


 アンドロイドに気持ちを読むなんて高度なことはできないはずだが。

 リリーは俺が落ち込んでいると、少しでも気分が晴れればと思い行動しているように感じる時があった。


 不思議な奴だ。


 バンッ!

 突然、いきなり大きな音を立て、事務所のドアが勢いよく開いた。


「輪島くん、こんにちは! どう? なんか依頼きた?」


 能天気なその顔を見ると、俺の悩みが阿保あほらしくなってくる。

 こんな風に生きれたら、どんなに楽だろうかと……桐生を見ているとよく考える。


「そんなすぐ依頼がくるわけないだろ? おまえも知ってるだろ」

「ふーん、つまらないなぁ。

 この前の迷子探しは楽しかったよね。あの子もとってもいい子でさ、見つかってよかった。親御おやごさんもすごく感謝してたし。

 やっぱり探偵は、やめられないでしょっ」


 一息つく暇もなく、一気にまくしたてるように話す桐生。

 彼が来ると、いきなりうちの事務所は違う空間と化す。


 なんだか華やかになるというか、よどんでいた空気が一気に爽やかな空気になるというか。

 本当に不思議な人種だ。


 まあ、たまにはこういう人間と一緒にいるのも気分転換になるからありがたい、と思う今日この頃。


「佐々木くんは来た?」

「ああ、佐々木な、昨日来たよ。一時間ほどここで本を読んで帰ってった」

「何か話した?」

「挨拶だけ」


 佐々木も魔訶不思議な人間だった。




 事務所の扉が突然開くと、そこには佐々木が立っていた。

 何も言わないでゆっくりと事務所内へと入ってくる。

 そして依頼人の相談用に置いてあるソファーにドカッと座ると、持ってきた小説を開いてそれを読み始めた。


 最初は彼の行動に驚いていたが、もう慣れた。

 空気のように入ってきて、いつの間にかいなくなる佐々木。とくに害になることはないので、俺は放っておくことにしていた。


「おはよう」と声をかけると、

「……ああ、おはよう」


 と低い声が返ってくる。なんだか野良猫みたいな奴だ。

 こちらを振り向かせてみたいという欲求が出てくる。


 そんな彼も、探偵の仕事には興味があるようで、依頼が来ると興味深げに相談の内容に耳を傾けてくる。

 そして依頼を実行するときは、俺と桐生のあとから何も言わずについてくるのだった。




 俺が佐々木のことを考えていると、事務所の扉が開いた。


 本人ご登場、佐々木だ。


 眠たそうな目をして扉の前に突っ立ている。


「佐々木くん、いらっしゃい」


 桐生が明るく声をかけると、


「……ああ」


 とつぶやいて、事務所へ入ってくる。


 すると、佐々木のすぐ後ろから黒猫が侵入してきた。


「おい、猫が入ってきたぞ。佐々木、おまえのか?」


 堂々と歩くその姿から、この事務所の猫なのかと思わせるほどだった。


「いや」

「じゃあ、野良か」


 仕方ないな、と面倒くさそうに猫に近付いていき、手を差し出す。


「おいで」


 猫はさっと俺の前からいなくなった。


「はははっ、猫に嫌われているね。僕に任せて」


 桐生はそう言うと、持ってきた大きなバックの中に手を入れ、ごそごそと探る。

 いったいあの謎のバックには、何が入っているんだ?


 桐生がいつも大事そうに持ち歩いているのは、黒いボストンバック。

 多分俺の予想だが、彼の作った謎のアイテムがたくさん入っていそうだった。


「じゃ、じゃーん。マタタビ猫じゃらし!」


 桐生が手を高く上げ、見せびらかす。

 その手には、猫じゃらし的なものが握られていた。


「すごいでしょ、猫の好きなもの集めたんだよ。

 猫じゃらしの形に作って、その先の方にはマタタビの匂いが発生する装置がついているんだ」


 桐生は胸を張って説明してくれた。


 猫がビクッと反応する。

 どうやらマタタビの匂いに気づいたらしい。


 桐生の方へゆっくりと猫が近づいてきた。


「ほら、猫ちゃん、こっちだよ」


 桐生がニコニコと微笑みながら、怪しい手つきで猫じゃらしを動かしている。

 猫はその猫じゃらしに吸い込まれるように近づいていき、目の前で止まると目だけをキョロキョロと動かした。


 俺はこっそりと猫の背後に回り込み、捕まえる準備を始めた。

 手を構え、いつでも猫を捕まえられる格好で待機する。


 その時がきた。


 猫が我慢できずに桐生の持つ猫じゃらしに飛びついた。

 それと同時に俺は猫を捕まえにいった。


 猫も油断していたのか、あっけなく俺に捕まってしまった。


「よし!」

「やったあ!」

「…………」


 俺が猫を抱えて喜び、桐生は猫じゃらしを掲げ喜び、佐々木はただその様子を黙って見守っていた。


 猫が間抜けな声で「ニャー」と鳴く。


「あれ?」


 桐生が猫を見つめる。


「この子、首輪してるじゃん、飼い猫じゃない?」


 猫に必死で気付かなかったが、黒猫は赤い首輪をつけていた。

 よく見ると、首輪の中心に宝石がぶらさがっている。


 宝石はそんなに大きいものではなく、首輪の幅程度の小さいものだった。


「おい、これ宝石じゃねえか」


 俺は驚き、それを食い入るように見つめる。

 桐生はその宝石に手を添えた。


「あ! 見て」


 桐生が宝石の裏を見せる。そこにはシールが貼られていた。

 そのシールには『マリー』という文字が記されてあった。


「こ、これは……」


 桐生がわざとらしく言葉を切った。


 そしてニヤッと微笑みを向ける。


「事件だー!」


 大きな声で嬉しそうに叫ぶ桐生を、俺は眉を寄せて睨んだ。


「はあ? なんでそうなるんだよ」

「……事件だ」


 急に佐々木がぼそっと言う。


「お、おまえ」


 なぜか急に割り込んできた佐々木に驚きながら、俺も宝石をもう一度確認する。


 確かに、気になる。


 黒猫の首輪に、宝石。

 宝石の裏にシール。

 シールに記されていた『マリー』の文字。


 これは、何か、普通ではない匂いがする。

 事件……なのか?


 俺が考え込んでいると、二人はいつの間にかパソコンの前に移動していた。


「おい、何してる?」


 二人は真剣に画面を覗き込んでいる。

 桐生がキーボードを叩きながら目を輝かせていた。


 なんだかすごく嫌な予感がするが、気のせいであってほしい。


「あ、あった!」


 桐生が叫んで、俺を手招きする。


 俺は仕方なくパソコンの画面が見える位置へと移動した。

 画面には、マリーと書かれたお店のホームページが表示されている。


「おい、これって」

「ビンゴ! かな? ここへ行ってみようよ」

「そんな、まだ何もそこまで」

「いや、行こう」


 珍しく佐々木がやる気を出している。


「おまえら……何でそんなにやる気なんだよ」

「事件だっ、事件だっ」

「……事件だ」


 桐生がはしゃぐ横で、佐々木が真顔で静かにつぶやいている。



 俺はこの先、この二人とうまくやっていけるのだろうか。


 俺が小さくため息をつくと、抱いていた猫がなぐめるように俺の顔を見て一声鳴いた。


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