「押忍!
「ごはあああ!!」
今日も通学路での出会い頭に、
「がはっ! がほっ、ごほっ……! く、熊谷……、いつも言ってるだろーが。先輩に正拳突きを打つんじゃない……」
これを喰らうと5分はまともに息もできなくなる。
「ハッ! こ、これは、ジブンとしたことがッ! 明日からは気を付けるっす!」
「うん、その台詞、もう50回は聞いてるけどな」
どうしてこうなってしまったのだろう……。
あれは俺が通っている
帰宅部の俺がいつものように一人で帰ろうと、校門に向かってトボトボ歩いていると、辺りを不安そうにキョロキョロ見回している女子生徒が目に入った。
リボンの色を見る限り、どうやら新入生のようだ。
何か困りごとか?
いつもの俺ならこういったことはスルーするタチだが、その子が捨てられた子犬みたいなつぶらな瞳でプルプルしているので、流石に放っておけなくなった。
……ハァ、しょうがないか。
「あのー、君、もしかして新入生? 何か探してるものでもあるの?」
「えっ!?」
俺が話し掛けると、その子は青天の霹靂みたいな顔をした。
いや、そんなに驚かなくても……。
「い、今のは、ひょっとしてジブンに話し掛けてくれたんすか!?」
「う、うん、そうだけど」
今この場には、他に誰もいないでしょ?
それにしても、この子女の子なのに、体育会系男子みたいな喋り方をするな。
「あ、ありがとうございますっす! こんなジブンに声を掛けてくださるなんて、あなた様は神様っす! いや、
「誰!?」
ああ、有名な空手家の人だっけ?
確か漫画の主人公にもなってたような……?
……もしかしてこの子。
「実はジブン、空手部に入部を希望しておりまして。道場を探してるんすが、場所がわからないんす……」
「ああ」
やっぱりそういうことか。
諸々腑に落ちた。
確かにうちの学校の空手部の道場は、少し奥まったところにあるのでわかりづらい。
まあ、乗り掛かった舟だ。
どうせ帰っても録画した深夜アニメを観るくらいしかやることないし、案内してやるか。
「それなら、俺でよかったら道場まで案内しようか?」
「えっ!? いいんすかッ!?」
途端、その子は表情を180度変え、眼をキラッキラ輝かせた。
――これが俺と熊谷との出会いだった。
「まったく、俺は空手とは無縁の素人なんだからな。手加減しろよな」
俺は熊谷に穿たれた鳩尾をさすりながら訴えた。
「いやいや、手加減はしてるっすよ。ジブンが本気出してたら、センパイは今頃この世にいないっす」
「サラッと怖いこと言うなよッ!?」
俺は今までそんな死と隣り合わせの高校生活を送っていたというのかッ!?
こいつマジで将来大丈夫か!?
「……お前なぁ、一応お前も女の子なんだから、もっとおしとやかにしてないと彼氏出来ないぞ」
「えっ!!?」
「え?」
な、何そのリアクション。
まさかこいつ……、こんな男にはミリも興味なさそうなナリして……。
「……お前、もしかして好きなやつでもいるのか?」
「そっ!!? そそそそりゃあ、ジブンも花の女子高生っすから、好きな人くらいいるっすよ!」
「へえ」
意外だな。
まあ、でも高校生なんて女の子が一番恋愛にズンドコしてる年頃だし、さもありなんってところか。
でも……。
「だとしたら熊谷、お前のその暴力を振るう癖は直さないと、そいつに嫌われちゃうかもしれないぞ」
「えぇっ!!? セ、センパイは、正拳突きを打ってくる女は嫌いっすか!?」
「え、俺?」
俺は別に……、嫌いではないけど。
「わ、わかったっす! もうジブンは絶対に、正拳突きは打たないっす!」
「お、おぉ」
よくわからんが、改心したなら何よりだ。
これで明日から俺も、今まで通りの平和な高校生活が送れるぜ。
そして迎えた翌朝。
「押忍! 相模セーンパイッ! おはよーござっしゃーーーすッ!!」
「ごはあああ!!」
と思ったらこれだよ!?!?
フラグ回収早すぎないッ!?
ループもの!?
ループものの小説だったりするのこれ!?
「がはっ! がほっ、ごほっ……! く、熊谷……、お前の頭蓋骨の中には、腕に収まりきらなかった上腕二頭筋が詰まってたりするのか……?」
「ハッ!! こ、これは違うんす!! 今さっきまでは正拳突きはしちゃいけない、正拳突きはしちゃいけないってジブンに言い聞かせてたんすが、センパイの顔を見た途端、腕が勝手に……」
「心の病院行くか!?」
一度くまなく検査してもらった方がいいみたいだな!!
「……いいのか? マジでこのままだと、その好きなやつに嫌われるぞ」
「そ、それだけは困るっす~~~」
熊谷は今にも泣き出しそうだ。
そんなにそいつのことが好きなのか……。
「そうだッ! 良いことを考えたっす!」
「え?」
絶対ろくなことじゃなさそうだけど、一応聞いておいてやるか。
「何だ、その良いことって?」
「ハイ、ジブンがガサツなのって、やっぱ女の子らしい格好をしてないからだと思うんすよ!」
「ほお」
熊谷のくせにまともなことを言うじゃないか。
確かにそれは一理あるかもしれない。
熊谷はいつも学校指定のジャージばかり着てるし、化粧っ気も皆無だ。
どこかの国の諺で、『服は人を作る』というのもあるらしいし、熊谷みたいな脳筋は形から入るというのもアリかもしれないな。
「と、いうわけで、センパイに週末付き合ってもらいたいところがあるんす!」
「え?」
週末?
そして迎えた日曜日。
「押忍! 相模セーンパイッ! こんちゃーーーすッ!!」
「ごはあああ!!」
まさか休日までこいつの正拳突きを喰らうハメになるとは!?
「がはっ! がほっ、ごほっ……! く、熊谷……、そろそろ俺はお前に、慰謝料を請求してもいいよな……?」
「ハッ!! こ、これは違うんす!! いつもは、『おはよーござっしゃーーーすッ!!』で突いてるんで、『こんちゃーーーすッ!!』までは気が回らなかったんす!」
「お前IQいくつだ!?」
よくそんなサル以下の頭で今まで生きてこれたな!?
「……てかまさかお前、プライベートでもその格好なのか?」
熊谷の今日の格好は、如何にも年季の入ったボロボロの道着姿だった(因みに帯は黒帯だ)。
靴もこれまたボロボロのスニーカー。
こいつは女子力というものを母親のお腹に置いてきてしまったのだろうか……。
「押忍! ジブンは学校外では寝る時も常に道着に身を包んで、心身共に鍛えてるんす!」
「寝る時も!?」
つまりそれは、パジャマも兼ねてるってこと!?
……えぇ。
確かにこれでは好きな男に振り向いてはもらえないだろうな。
しょうがない。
「よし、熊谷、今日は徹底的に、可愛い服を買うぞ!」
「お、押忍ッ! よっしゃっしゃすッ!!」
俺と熊谷は道場破りでもするくらいの気概で、如何にもシャレオツ度満載といった佇まいのショップの中に足を踏み入れた。
「た、たのもー!!」
「っ!? 熊谷ッ!?」
バカかお前は!?
ホントに道場破りするつもりだったのか!?
「あ、ハ~イ、本日はどういったものをお探しですか~?」
「え!? いや、その……」
早速コミュ力がカンストしてそうな、ザ・ショップ店員といった出で立ちのおねえさんが熊谷に話し掛けてきた。
熊谷の道着姿を見ても一切動揺した素振りを見せない辺り、流石プロだな。
「あ、あのあのあのあの、ジ、ジブン、いつもこんなんなので、も、もっと、女の子らしい服が欲しくて……」
「あ、な~るほど~。彼氏さんに可愛い服を着てるところを見ていただきたいですもんね~」
「か、彼氏ッ!?」
おねえさんはニマニマした顔で俺のほうを見てくる。
それに対して熊谷は、顔を真っ赤にしてあわあわしていた。
ああ、まあ、この状況だったら、そういう風にも見えるか。
否定すると却って面倒なことになりそうだし、スルーしておくけど。
「それはちょうどよかった~。実は本日、お客様に絶対お似合いになる、とっても可愛い新作が入ったんですよ~。これはもう運命ですね~」
「ホ、ホントっすか!?」
うわあ、絶対嘘でしょそれ?
毎日そう言ってるんですよね?
まあ、こいつを女の子らしくしてくれるなら、何でもいいんですけどね。
「早速試着なさいますか~?」
「なさいますっす! なさいますっす!!」
さてと、プロのお手並み拝見といきますか。
「……ど、どうっすか、センパイ?」
「――!!」
俺は自分の目を疑った。
試着室から出てきた熊谷は、花柄のワンピースに、足元はヒールのついたパンプスといった、ザ・女子な格好だったのだ。
こ、これがあの熊谷……!?
嘘だ……、多分俺は今、新手のスタンド使いの攻撃を受けているんだ。
じゃなきゃ、服装が変わっただけで、熊谷がこんなに可愛く見えるわけがない……!
「や、やっぱジブンには似合わないっすか……」
「え!?」
熊谷はワンピースの裾を掴みながらしょぼくれてしまった。
嗚呼!
「あ、いやいや! そんなことはねーよ! ま、まあ、いいんじゃねーか? ……似合ってるよ、それ」
「ホ、ホントっすかッ!!」
熊谷は俺と初めて会った時みたいに、眼をキラッキラ輝かせた。
……まったく、相変わらず表情がコロコロ変わるやつだ。
「じゃあ、このワンピースとパンプスいただくっすッ!!」
「はいは~い、お買い上げありがとうございます~」
やれやれ、見せられちまったな、プロのお手並み(倒置法)。
「どぅっふっふ~。似合ってる~。似合ってる~。ジブンにはこの服が似合ってる~」
「……」
そして帰り道。
熊谷はさっきからずっと謎のオリジナルソングをヘビーローテーションしている。
そんなにワンピースが似合ったことが嬉しかったのか?
まあ、確かに今の格好の熊谷だったら、その好きな男を振り向かせることも十分可能かもしれないな。
「押忍! センパイ、今日は本当にあざっしたッ! お陰でジブン、自信が持てたっす!」
「ああ、いや、俺は別に、大したことはしてねーよ」
頑張ったのはあのおねえさんだしな。
「そんなことはないっす! センパイが――」
「ヒャッハー! お熱いねぇ、そこのお二人さぁん」
「「っ!!」」
その時だった。
前からモヒカン刈りで、トゲトゲ付きの肩パットを装着した三人組が歩いてきて、俺達に因縁を付けてきた。
どこの世紀末からきた連中だあんたら!?
「おっ、こりゃまた随分とヒャッハーな女じゃねぇか」
右の赤モヒカンが、熊谷のことを下卑た眼で見下ろしながら言った。
ヒャッハーって形容動詞だったのか!?
……いや、今はそんなことはどうでもいい。
こういう連中とは、関わり合いにならないのが一番だ。
「すいません、ちょっと今急いでるんで失礼します。行くぞ、熊谷」
「え? あ、はい」
俺は熊谷の手を掴んで、モヒカン達の横を通り過ぎようとした。
「アァン!? 何無視しようとしてやがんだコラァ! あんまヒャッハーなこと言ってんじゃねぇぞ小僧ッ!!」
「っ!!」
すると赤モヒカンはにわかに激高し、俺の顔面に向かって拳を突き出してきた。
沸点ゼロかお前は!?
ヘリウムかよ!?(ヘリウムは最も沸点が低い元素)
――くっ!
俺の反射神経じゃ、避けきれない――。
「ごはあああ!!」
「「「っ!!?」」」
――え!?
が、赤モヒカンの拳が俺に当たるより早く、熊谷の稲妻のような右正拳突きが赤モヒカンの鳩尾にクリーンヒットした。
赤モヒカンはそのまま遥か後方までふっ飛んでいった。
えーーーー!?!?!?
こ、これが熊谷の、本気の正拳突き……。
確かにいつも俺が喰らってたのは、十二分に手加減されてたんだな……。
「て、テメェ! 女のくせに、ヒャハってんじゃねーぞコラァ!!」
「ヒャッハー!!」
っ!!
今度は残った黄色モヒカンと青モヒカンが、同時に熊谷に殴り掛かってきた。
さ、流石に熊谷でも、二人同時は――!?
「ごはあああ!!」
「ごはあああ!!」
――!!?
が、熊谷は黄色モヒカンには右正拳突きで、青モヒカンには左の足刀蹴りで、同時に鳩尾を抉ったのである。
徹底した鳩尾への執着ッ!!
こいつマジでいつか人を殺めてしまうのでは……!?
二人も赤モヒカンの倒れているところまでふっ飛ばされ、仲良く川の字で天を仰いだのだった(合掌)。
「
「…………え?」
く、熊谷……?
今、何て?
「――あッ!」
瞬間、熊谷の顔が茹でダコみたいに真っ赤に染まり、頭から湯気を盛大に噴き出した。
まさか……、熊谷の好きな男って……。
「い、今のは、聞かなかったことにしてくださいっすーーー!!!」
「ごはあああ!!」
熊谷の右正拳突きが俺の鳩尾にクリーンヒットした。
た、確かにこれはいつもとは比べものにならん……。
あまりの激痛に、俺は意識が遠のいていくのを感じた。
「ハッ!? しまったっす!! センパイ!! センパーーーイッ!!!」
意識が途切れる直前、熊谷に抱きかかえられた俺の顔に、熊谷の柔らかいおっぷぁいがふにゅんと当たった気がしたが、これくらいはまあ、慰謝料としてもらっておいてもバチは当たらないだろう。