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第24話 幸福な結末

 気づけば、雨は上がっていた。どうやら通り雨だったらしい。


「あれ……? 何だか、思ったより痛くないかも……?」


 音々が、何か違和感に気づいたように、そっと自分の膝を確認する。


 ヴィオレッタが魔法の力を使ったので、ほとんど治っている。ほぼかすり傷程度まで快復させた。


「血が出てるわりには、ぜんぜんひどい怪我じゃないみたいです。おかしいな……。さっきまで、ジンジンしてて、すごく痛かったんですけど」


 患部を見ながら、不思議そうに音々が首をかしげている。


「ヴィオレッタの治癒魔法のおかげだな! 久々に見たけど、やっぱり見事だった!」


 うなずきながら、モネが自慢げな顔になる。


「明日には、きれいさっぱり治るはずよ。傷跡も残らないわ」


 本当は、今すぐにでも完治させたい。けれど、それはそれで音々に怪しまれると思った。


「わたしのバッグ、どうなっちゃったんでしょう……?」


 ひったくられたバッグの行方が心配で仕方ないようだ。ヴィオレッタには、バッグが今どこにあるか分かっている。ビジョンで追跡済みだ。


 中学校の指定バッグを盗んだことに、犯人たちはすぐ気づいたようだった。


 落胆して、すぐにバッグを捨てている。角を曲がって、しばらく進んだところに空き地がある。そこが音々のバッグの現在地だ。


「雨が降って、急に暗くなったからな。犯人たちもよく見えてなかったんだろう」


 ビジョンを共有すると、モネがそんなことを言った。


「懲らしめるわよ」


 ヴィオレッタが、めずらしく怖い顔つきになった。冴え冴えとした表情だ。能面のような顔。


 今は、どこから見ても冷酷な魔女にしか見えない。そんなヴィオレッタに気圧されながら、モネが同意する。


「もちろんだ!」


 犯人たちのバイクを故障させ、ちょっとだけひどい目に合わせる。「ちょっとだけ」というのは魔女の主観なので、人間が思う「ちょっと」とはかなり違う。


 魔女の仕打ちを目の当たりにしたモネが、ぶるっと身震いしている。


「久しぶりに見たな~~! ヴィオレッタの『お仕置き』。はーー、怖い怖い。ちょっと、ちびりそうだったぞ。この世で一番怒らせちゃいけないのは、やっぱり魔女だよな」


 ぶるぶると震えながら、本気でモネが怖がっている。


「ちょっと、こんなところでおしっこしないでよ? 今はわんこ用のオムツ持って来てないんだから」


 すっかり元の顔に戻ったヴィオレッタが、心配そうにモネのおしりを触る。


「こんなところでするわけないだろ! 俺は普通の犬じゃないんだからな! ヴィオレッタの顔が怖くて、ちょっと尿意を催しただけだよ!」


 ぷんすか怒るモネに「実際にしてないなら良いわ」と言って、安堵したヴィオレッタがおしりをポンポンと軽く叩く。


 犯人たちを懲らしめたあと、ヴィオレッタは音々のバッグを元通りにした。


 汚れたところは綺麗にして、傷がついてしまった箇所は治して。箱の中で崩れてしまったケーキは、何事もなかったかのように。


 傷ひとつないバッグを見て、音々は目を丸くしていた。


 おそるおそるケーキの箱を開ける。そして、音々の瞳からぶわっと涙があふれた。


「ケーキも無事です……! ぜんぜん型崩れしてない。良かったぁ……」


 大事そうに、音々が箱を撫でる。


 ヴィオレッタの頭の中には、幸せな家族の風景が映っている。


 四人家族だ。皆でテーブルを囲んでいる。テーブルの上にケーキが並ぶ。そのひとつひとつを、音々が説明している。ホイップクリームはなめらかで、甘さ控えめで、とても美味しいこと。フルーツは、どれも新鮮で瑞々しいこと。


 音々は、ちょっと得意げだった。


 その音々を優しい眼差しで両親が見守っている。


 幼い妹は、嬉しそうにケーキを見ていた。そして音々から、フルーツがたっぷり乗ったケーキをもらい、目をキラキラさせている。


「めちゃくちゃ妹が喜んでるな」


 同じ映像を見ているモネが、ニヘへと笑う。


 音々の妹は、頬の辺りまでクリームで汚しながら、口いっぱいにケーキを頬張っていた。思わず、ヴィオレッタの表情がゆるむ。


「そうね。あ、どうやら、ふたりの好みも分かったみたいよ」


 今までたくさん映画を観たけれど、こんな幸福なエンディングは知らない。


 ずっとこの幸せな風景を見ていたいと、ヴィオレッタは祈るように願った。





 雨の日から一週間後。閉店作業を終えたヴィオレッタは、いつものようにソファに倒れ込んだ。


「ふぅ~~! 今日も疲れたわねーー!」


「雨なのに客足は悪くなかったな」


「本当ね。ありがたいことだわ。……それにしても最近、雨が多いわね。そろそろ本格的に梅雨入りかしら」


 うつ伏せの状態で、そっと目を閉じた。心地よい疲労感を感じながら微睡む時間は、格別だとヴィオレッタは思う。


「ジメジメするのはイヤだな」


 ヴィオレッタのふくらはぎに顎を乗せたモネが、渋い顔をする。ふくらはぎを枕にしているのだ。モネ曰く、ちょうど良い高さらしい。


「新しい寝具に変えようかしらね。ジメジメ対策として」


「それ良いな!」 


「筋肉痛も治ったことだし、ササッとやっちゃうわよ!」


 寝具の交換は、意外と重労働なのだ。


「ヴィオレッタ、筋肉痛だったのか?」


「ほら、久しぶりに治癒魔法を使ったじゃない? ホウキにまたがったのも久々だったし。身体中がバキバキだったのよ。でも、すっかり良くなったわ!」


 あの日の三日後から、筋肉痛の症状が現れはじめた。


「年を取ると……」


 モネは何かを言いかけて、ハッとした。それから一切の口をつぐむ。


「何よ?」


「な、なんでもない!」


 ぶんぶんと首を振っている。魔女を怒らせてはいけないと、改めて実感した結果だろう。


 ヴィオレッタは、鼻歌をうたいながら寝具の交換をはじめた。


 ついでに、ルームウェアも新しいものにする。肌ざわり良好。夏仕様のダブルガーゼのワンピース。もちろん、見た目は最上級に可愛い。


「寝具とルームウェアを新しくすると、なんだかワクワクするのよね。子どものころに、プレゼントをもらったときみたいな。嬉しい気持ちになるの」 


 うっとりしながら、ヴィオレッタは真新しいワンピースに袖を通す。


「そんなもんか?」


 乙女心の欠片も持ち合わせていないモネが、フンッと鼻を鳴らす。


 ヴィオレッタは、小箱を取り出した。中にはアロマオイルがいくつか入っている。どれもこれも、気持ち良く眠れるようにブレンドしてある。


 今日の気分でオイルを選び、数滴を枕に垂らした。


「良い香りね~~!」


 布団の中に入り、柔らかい感触の寝具に満足する。明かりを消すと、ヴィオレッタの顔の付近にモネがやってきた。鼻でちょいちょいと掛け布団を持ち上げるような仕草をする。


 これは「布団の中に入れてくれ」という図だ。ぺちゃっとした鼻で、一生懸命に布団をちょいちょいする姿に癒される。


 掛け布団をめくってやると、ズンズンと勢いよく侵入してくる。そして、布団の中でモゾモゾとする。


 しばらくすると、ドテンと寝転がった。同時に、フフンッ! という粗い鼻息が聞こえる。わんこには、気に入ったポジションというものがある。


 どうやらお気に入りの場所で、寝転ぶことが出来たようだ。この粗い鼻息は、ベストポジションに大満足した証なのだ。


 ヴィオレッタは、モネのぬくもりを感じながら、そっと柔らかな毛並みを撫でた。アロマオイルの優しい香り。真新しい寝具の、心地よい肌ざわり。


 また、明日も早起きをしよう。そしてたくさんケーキを焼こう。初夏限定のメニューも考えなくっちゃ。


 善き日々だと、胸がいっぱいになる。とても満たされた気分で、ヴィオレッタはそっと目を閉じた。

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