ビジョンが流れ込んでくる。薄暗い歩道。音々が歩いている。学校指定の大きな斜めかけバッグ。その中に、箱が入っている。ケーキが四つ入った箱。
音々はバッグを揺らさないように、そっと歩いている。
背後から、バイクが近づいて来た。二人乗りのバイクだ。
イヤな予感が、どんどん増してくる。
バイクのエンジン音が響く。バイクの存在に気づいた音々が、振り返った。
そこで、ぷっつりと映像は途絶えた。
ヴィオレッタは、呆然と立ち尽くした。
無表情で棒立ちのヴィオレッタに、モネが気づいたらしい。
「おい、ヴィオレッタ? どうかしたのか?」
ヴィオレッタは、持っていた布巾を投げ捨てた。そして、作業場へ向かって駆けだす。
「わわ……! ぷえっ! ふ、布巾が、顔に……!」
投げ捨てた布巾は、モネの顔に見事着地した。突如として視界を覆われたモネが、転げ回って暴れている。
「大夏くん、わたし。ちょっと出てくるから。戸締りお願いね!」
それだけ言って、放り投げるようにして大夏に店の鍵を預ける。
「え、ヴィオレッタさん?」
戸惑う大夏を無視して、ヴィオレッタは二階に向かう。
階段を駆け上って、クローゼットを開けた。ガサガサと漁っていると、布巾から逃れてきたらしいモネが息を切らして二階にやって来た。
「おい、ヴィオレッタ? 一体どうしてんだよ。そこで何してるんだ?」
クローゼットを漁るヴィオレッタを見て、モネが首をかしげる。
「黒いワンピースを探してるのよ」
滅多に着ることがないから、黒い魔女服は奥のほうで眠っている。ポイポイと服を放り出しながら、目当ての黒い衣装を探す。
「黒い服はイヤなんじゃなかったのか?」
「夕闇に紛れるには、黒い服が最適よ。それに、力を使うには一番だもの!」
黒いワンピースは魔道具でもある。雨風を凌げる優れもの。そして、魔法の力も発揮しやすくなる。
「……まさか、ホウキに乗るのか?」
モネが驚いた声を出す。
「音々ちゃんを助けるには、そのほうが早いわ! あ、あった!」
一番奥に仕舞ってあった漆黒のワンピース。その裾をぐいっと掴み、ヴィオレッタはクローゼットから顔を出した。
頭からすっぽりと被るようにして着用する。代々受け継がれてきた魔女服だ。
大きめのサイズで、フィット感は皆無。なんともいえないダボッとした感じがするけれど、今は着心地のことを言っている場合ではない。
「助けるって、何かあったのか?」
「音々ちゃんがピンチなの! ほら、モネも早く準備するわよ!」
使い魔にも黒い服がある。前後ろの足と、頭まですっぽりと入るタイプ。ひと言で説明するなら、わんこ用のレインコートに似ている。
「滅多に着ないから、もう! うまく足が入らないわね……!」
犬に服を着せるのはむずかしい。レインコートにもなると、かなりの難易度だ。
「お、おい。ちょっと苦しいんだが!」
「もう! 暴れないでよ」
耳が出ないように、顔の部分はゴムになっている。そのゴムがズレて、顔にかかっている。ちょっと苦しそうなのだけど、時間がないためこれでOKにする。
「行くわよ!」
モネを横抱きにして、二階から一階に向かう。ホウキは外の掃除用具入れにあるのだ。
「このままか? ちょっとズレてないか?」
「大丈夫よ!」
気にするモネを一刀両断しながら、ヴィオレッタは階段を駆け下りた。
一階の店舗から外に出て、石畳をダッシュする。掃除道具入れを開け、ホウキをガシッと掴む。勢い余って、ブリキ製のバケツまで一緒に出てきた。「えいっ」と足で元に戻し、扉を閉める。
「行くわよ!」
ホウキにまたがり、モネに声をかける。
「よ、よし! いいぞ」
モネは、ホウキではなくヴィオレッタに抱き着いている。丸太にしがみつくような格好で、太ももにべたりとくっついているのだ。
ヴィオレッタのスカートの裾がふわんと揺れた瞬間。
びゅいーーん! と一気に空に舞い上がった。そしてそのまま、一直線に進んでいく。
「は、早すぎないか!?」
「落ちないでよ」
「やっぱり、いくらなんでも早すぎると思うんだが!」
さらにゴムがズレて、半分顔が見えなくなったモネが叫ぶ。
「どれだけスピードを出しても、違反にならないもの! 良かったわ、人間の運転する車みたいに取り締まりがなくて!」
音々の感情が、ヴィオレッタの頭の中に流れ込んできた。
『痛い』
『すごく、痛い』
今、彼女はとても痛がっている。怖い思いをしている。それがヴィオレッタには分かった。
「音々ちゃんが待ってるんだもの! スピードを緩めるなんて、できないわ!」
上体を低くして、さらにスピードをあげた。
山側の住宅地から、海側の街に向かって一直線に降下する。
北野異人館街のメインエリアを抜けたところ。
教会の前に音々がいた。尻もちをついた状態で座り込んでいる。ヴィオレッタは上空を旋回して、協会の裏手でホウキを降りた。
「音々ちゃん!」
教会の表にまわって、音々の名前を叫ぶ。
「ヴィオレッタさん……?」
音々が、驚いたように目を見張る。
「大丈夫!? どこが痛い?」
「あ、ちょっと。転んじゃって……」
右足の膝の辺り。体操服が破れて、血が滲んでいた。
ヴィオレッタは瞬時に、治癒魔法を使う。音々自身は自覚がないようだけれど、足首を捻っている。
「捻挫、けっこうひどいな」
ヴィオレッタの横で、モネが怪我の様子を確認する。
「バッグを取られてしまって。ひったくりだと思うんですけど。中学生のバッグなんて盗んで、意味あるのかな……?」
背後からやって来たバイクにバッグを掴まれ、バランスを崩したらしい。
「そのときは、何とか踏みとどまったんですけど。追いかけようとして、転んじゃったんです」
「お、追いかける……!?」
「マジかよ。危ないだろ」
ヴィオレッタは驚いて、思わずモネと顔を見合わせた。
「バッグの中に、ケーキを入れていたんです。とても大切なケーキだったから。皆でケーキを食べて、それがきっかけになると思ったんです。今日、わたしモン・プチ・ジャルダンで話をして、名前のこととか。それから、大夏さんの話を聞いて。お店を出たあと、歩きながら、自分の中にあったわだかまりが無くなっていることに気づいたんです。なんだか、そのことがすごく嬉しくて……」
音々が手の甲で涙を拭う。
「わたし、妹に優しくできていなくて。自分のほうが年上なのに、冷たい態度で……。そのことを、ずっと後悔していて。まだ、妹がどんなケーキを好きかも分からないけど、モン・プチ・ジャルダンのケーキはどれも美味しいから。このケーキを渡して謝ろうと思って。やっと、それが出来ると思って。たくさんを話をしようって考えてて。それで……」
気づいたら、夢中でバイクを追いかけていたのだという。
「そうだったの……」
隣でブシュブシュと音がする。モネが洟をすすっていた。
「音々は良い子だぁ……」
どうやら、もらい泣きしたらしい。