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第20話 先生の来訪

 ガラスの器は、ちょっと大ぶりなものを選ぶ。中央には、カスタードプリンを配置する。


 このカスタードプリンは、モン・プチ・ジャルダンで安定した人気を誇るスイーツだ。なめらかな舌触りと、カラメルの香ばしさがたまらない一品。


 そのカスタードプリンの上に、ホイップクリームをくるくるっとしぼる。


 果物は、バナナ、イチゴ、キウイ、リンゴ。それぞれ美しいカットが施されている。


 大夏に指導されながら、音々はリンゴの飾り切りに挑戦した。


 洗ったリンゴを皮付きのまま、四等分に切る。それから芯を取り除く。端から四ミリくらいのところに包丁をあて、中心に向かってV字にカットする。切り口と平行にするのがポイントだ。


 内側に向かって同様にカットしていく。最後に形を整えれば、美しいリンゴのリーフが完成する。


 最初はたどたどしい手つきだったけれど、すぐに慣れてすいすいカットする音々を見て、大夏はちょっと驚いていた。「飲み込みが早い」と言って、どこか嬉しそうだった。


 飾り付けの最後に、ホイップの上でチェリーを乗せる。豪華で、心躍るプリンアラモードの完成だ。


「さぁ、皆で食べましょう!」


 作業場の隅っこに椅子を用意して、皆でテーブルを囲む。


 モネはヴィオレッタの足元でホイップを舐めている。小さくカットしてもらったリンゴを満足そうな顔でしゃりしゃりと頬張っている。


 ヴィオレッタは、食べる前にじいっとプリンアラモードを眺めた。


 ぷるんとしたプリンと、キラキラ輝くフルーツ。真っ白でほわほわなホイップ。美しい……! そして美味しそう……!


 向かいに座る大夏も、ヴィオレッタと同じくプリンアラモードを眺めている。きっとその美しさに感動しているのだろう。


 何から食べようか散々迷った結果、ホイップを軽くすくってみた。


 そっと口に入れると、優しい甘さに感動した。決して甘すぎず、ふわふわとした食感。続いてカスタードプリンを口に運ぶ。


「美味しい……!」


 なめらかでトロリとした舌触り。濃厚な甘さとカラメルのほろ苦さ。ホイップの甘さが控えめだから、それぞれの風味を口の中で感じる。


 新鮮なフルーツは、どれもこでも瑞々しい。飾り切りが施されているので、食べるのがもったいないくらいだった。


 大ぶりの器にぎっしりと盛られていたけれど、ぺろりと平らげてしまった。


 大夏はもちろん、音々の器も空っぽだ。


 足元を見ると、空になった器をモネが名残惜しそうにペロペロと舐めていた。


「はぁ~~! 美味しかったわねーー!」


「満タンになった気がします。お腹はもちろん心も。何だか気分が晴れやかになりました」


 大夏が満足そうな顔で微笑む。


 その隣では、音々が「ごちそうさまでした」と小さな手を合わせている。


 何だか、胸の奥がほこほこする。


 モン・プチ・ジャルダンに音々がやって来て、今日で三日目。少しずつ彼女の気持ちが、柔らかくなっている。固く閉じてひんやりしていた部分が、じんわりと温かくなっているのが気配で分かる。


 こういうとき、自分は魔女で良かったと、ヴィオレッタはいつも思うのだった。





 翌日の午後、音々の担任がモン・プチ・ジャルダンに姿を見せた。


 この浅水ゆうな先生は、常連のお客様だ。ヴィオレッタが、トライ・やるウィークを知るきっかけになった存在でもある。


「生徒さんの様子を順番に見て回ってるんですか? 先生のお仕事も大変なんですね」


 ヴィオレッタは、淹れたてのハーブティーを浅水にすすめた。


「温かいうちにどうぞ」


「ありがとうございます。いただきます。……受け持っている生徒全員の様子を確認しているので、一ヵ所にあまり長い時間いることができなくて。本当は、皆が働いている姿をもっとじっくりと見ていたいんですけど」


 なかなか慌ただしいスケジュールのようだ。


 よく見ると、表情には疲労の色が滲んでいる。


 ハーブティーに口をつけた浅水が、「ふうっ」と声を漏らした。


「これ、美味しいですね……! ハーブティーって、わたし初めていただいたんですけど。こんなに飲みやすかったんですね。気分がスッキリするような、でもホッと落ち着くような……。とっても美味しいです」


 ハーブティーがお気に召したようで、ヴィオレッタも嬉しい。


「ありがとうございます。実はそのハーブ、音々ちゃんと一緒に収穫したんです」


「え、そうなんですか?」


 午前中、お客様が途切れた時間を見計らって庭に出た。その際、一緒に収穫したのだ。


 今は大夏と一緒に、外で作業をしている。


「ハーブのお世話は、土に触れる作業でもあるんですけど。音々ちゃんは嫌がらずに、それどころか自分から『やってみたいです』と言ってくれて。とても熱心に作業をしてくれるんです」


 ヴィオレッタの視線の先には、庭で作業をする音々の姿がある。大夏と一緒に、肥料を撒いている最中だった。


 店内からガラス越しに、ふたりが黙々と仕事をしている様子を浅水も眺めている。とても、真剣な表情で。


「桐嶋さんが、生き生きと働いている姿を見ることができて……。わたし、とても嬉しいです」


 安堵したように、ポツリと浅水が言った。


「……桐嶋さん、お家のことで、ずっと悩んでいたと思うんです」


 浅水は、持っていたマグカップをソーサーに戻した。


 食器の触れ合う、カタリという音がやけに大きく響いた。


「お家のこと、ですか……?」


「はい……。一年ほど前に、お母さんが再婚なさって。それで、桐嶋さんには新しいお父さんと妹さんができたんです。わたし、桐嶋さんが一年生のときにも担任をしているんです。そのとき彼女は『坂井』という名字でした」


 母親の再婚で、名前が変わったのだ。


「もともと、物静かな子ではありましたけど……。でも、明らかに一年生のときとは違うんです。ずっと表情が沈んでいて……」


「そうだったんですか」


「でも今、桐嶋さん一年生のときと同じ顔をしています。顔つきが違うというか、瞳に力があるというか……。こちらのお店で働くことができて、きっと何か心境の変化があったんだと思います。良かった。本当に良かった……」


 浅水の瞳のふちに、じわりと涙がにじむ。


 その瞬間、彼女が直面している状況がヴィオレッタの中に流れ込んできた。


 先生という仕事は、ヴィオレッタが思っているよりもずっとハードらしい。 


 長時間労働は当たり前で、部活動があるため土日も休みが取れない。生徒や保護者の対応も大変で、彼女は心身ともに擦り減っている。


「さっき……。皆が働いているところ、もっとじっくり見たいと言いましたけど。学校でも同じなんです。本当は、もっとひとりひとりの生徒に向き合いたい。時間を作って、話を聞いてあげたい。何か、わたしに力になれることがあったら。でも、そう思っても日々の業務に追われて、結局はわたし、生徒たちに対して何もできなくて……」


 テーブルの上に、ポタリと涙が落ちた。


 浅水が、ズッと洟をすする。


 ヴィオレッタは、静かに語りかけるように言った。


「浅水先生、少しだけお時間ありますか?」


「え……?」


 浅水が顔をあげる。


「プリンアラモード、食べませんか?」


「……プリンアラモードって、あのたくさん飾り付けされた?」


「そうです。その飾り付け用の果物を音々ちゃんが切ってくれたので。ぜひ食べて行ってください」


 ガラスの器いっぱいにデコレーションしたプリンアラモード。ヴィオレッタが準備したそれを、浅水はまじまじと見つめる。


「食べたこと、ありませんか?」


「いえ、たぶん、子どものときに。何度か、食べた記憶はあるんですけど……」


「大人になったら、どういうわけか食べる機会がないですよね」


「はい……」


 浅水が、ゆっくりとスプーンを手にする。


「でも、本当はプリンアラモードは、大人にこそ必要なんじゃないかって思うんです」


「大人……」


「自分で自分を癒すために」


 浅水が、ハッとした表情になる。


「わたし、毎日のように、夜遅くに帰る生活なんです。休みもほとんどなくて。そういえば、もうずっと長いあいだ、自分のことを労わってあげていないです」


 浅水の心情が、辛い気持ちが、ヴィオレッタの中にじわじわと浸食してくる。


『自分を労わることなんて、必要ないと思ってた』


『特別、自分だけが頑張っているわけじゃないと思ってた。周りの皆が出来ているんだから、わたしだってやらなくちゃいけない』


『自分が望んだ仕事』


『子どもたちを放り出すわけにはいかない』


『でも、朝起きると辛い……』


 彼女の気持ちが分かって、ヴィオレッタの胸はキリキリと痛んだ。


「……先生は、ちゃんと生徒さんのことを見ておられると思います。限られた時間の中で、ちゃんと向き合っている。さっき、おっしゃっていましたよね、音々ちゃんのこと。顔つきが違う、瞳に力があるって。ちゃんとひとりひとり、生徒さんを見ている証です」


 ヴィオレッタの言葉を聞いた浅水は、泣きそうな顔になった。


 目尻を手の甲で拭って、それからプリンアラモードを見た。スプーンでカスタードプリンをすくい、ぱくりと頬張る。


 浅水は、驚いたように目を見開いて「甘い……」とつぶやいた。


 ひと口、またひと口を食べ進めていく。


「ちょうど良い甘さで、すごく美味しいです……!」


 夢中で頬張って、気づくと器は空になっていた。


「……何だか、元気になった気がします」


 浅水がポツリと言った。


「わたし、お腹が空いていたんでしょうか……? すかすかだったところに、栄養が行き渡ったような。身体全部が満たされたような……。そんな感じがします」


「それは良かったです」


 ヴィオレッタは、にこりと微笑んだ。


 浅水は、外で作業をする音々を見守るように眺めいた。それからしばらくして、店を後にしたのだった。

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