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第18話 夜の時間

 二階の住居スペース。ソファに腰かけたヴィオレッタの手元を、ランプが明るく照らしている。


 今日は、縫い物をするのにピッタリな静かな夜だ。まだ湿気を含んでいないカラリとした風が部屋に侵入してくる。


 風に揺れるカーテンのそばで、ヴィオレッタは小一時間ほど前から針を動かしていた。


 音々のためのワンピースを縫っているのだ。


 初めは、自分とお揃いの生地にしようと思った。淡いグリーンのワンピースに、真っ白なレースのエプロン。


「わたしと音々ちゃん。ふたりで並んだら、姉妹みたいで素敵かなって思ったんだけどね」


 ふかふかのソファの上。ヴィオレッタの膝掛けを布団代わりにしたモネが、ゆっくりと顔をあげる。


「ヴィオレッタと姉妹? それは、さすがに厚かましいんじゃないか?」


「うるさいわね。この際、実年齢は関係ないの! だって、外見だけならじゅうぶん音々ちゃんの姉で通用するじゃない?」


「……まぁな」


「でも、わたしと音々ちゃんだと、髪の色がぜんぜん違うから。同じ色のワンピースにするのはやめたの。彼女の黒髪が映えるように、ちょっと深いグリーンにしたのよ!」


 裁断した生地をモネに見せる。


 白い肌、濡れたように美しい黒髪。それから、この深いグリーンのワンピース。


「ぜったいに似合うわ~~!」


 彼女が袖を通す瞬間のことを考えると、ときめきが止まらない。


「髪の色が違う姉妹! 複雑な家庭環境だな!」


 ニヒヒと笑うモネの声は、聞こえないふりをする。


 ヴィオレッタは、ランプのそばにあるガラスの器に手を伸ばした。チョコレート菓子をひとつ摘まんで、ぽいっと口に放り込む。


「ん~~! 美味しい! すっご~~く甘いわ!」


 針仕事の疲れを、一気に吹き飛ばすほどの甘さだ。


「俺にも!」


 モネがせがむので、ヴィオレッタはひとつ摘まんで、その口に押し込んだ。


「これは……甘い爆弾だな」


 モネの言う通り。見た目は小さくて可愛いのに、その甘さは暴力的。


「疲れたなーー! っていうとき、甘いものが欲しいとき。これ一粒で満足できるわね!」


「確かにな。でもこれ、初めての味だ……」


 モグモグしながら、モネが甘い爆弾を堪能している。


「コンデンスミルクとココアパウダーを混ぜ込んで作ってるのよ」


 粘り気が出るまで加熱して、冷ましてから小さな球状にする。そして、チョコスプレーをまぶしたら出来上がり。


「ブラジルのお菓子なの」


「またブラジルか……。このあいだの、ほら、やたらカラフルなゼリーのやつもそうじゃなかったか?」


 ジェラチーナ・コロリーダのことを言っているのだろう。


「そうよ。ちなみにこれは、ブリガデイロという名前らしいわ。アナマリアが新しいレシピを送ってくれたのよ。それで試しに作ってみたの」


「例の魔女友?」


「そうよ」


「アナベルじゃなかったか?」


「違うわよ。アナベルは清里に住んでる魔女で、アナマリアがブラジル在住なの」


「ややこしいな。レース編みが得意なのが……どっちだ?」


「そっちがアナベル」


「名前が似てるから、余計にややこしいぞ」


「双子なのよ」


 レース編みが得意なのがアナベル。お菓子作りが好きなのがアナマリア。容姿は瓜二つだ。ふたりの写真を見せると、モネは「ますます、分からん」と言った。


 そうして、ブリガデイロをまたひとつ、ヴィオレッタにせがんだ。


「甘いものをつまみながら、ゆったり針仕事をする。とっても素敵で、贅沢な時間よね……」


 チクチクと針を動かす。


「ご自愛とかいうやつか?」


「そうよ」


「しっかり寝るのがいちばんだけど、たまには夜更かしをするのも悪くないわ。楽しいことをすると、元気が出るじゃない?」


「ふうん。……俺は、もう寝るぞ」


 さっきから、モネの目はショボショボしている。


 ぽすっとクッションに頭を置いて、それから間もなく、ぐうぐうと気持ち良さそうなモネの寝息が聞こえてきた。





 糖分補給のおかげで、夜の針仕事はすいすいと進んだ。


 無事、音々のワンピースが出来上がった。糸の始末をして、最後にハサミで「じょきんっ!」と切る。この瞬間が好きだ。


 カーテンを開けると、空が白み始めていた。すっかり明け方だ。


 ヴィオレッタは少しだけ仮眠をとった。それから、いつもより少し濃いめのブラックコーヒーで目を覚ます。


「今日も一日が始まるわ~~!」


 ぐいぐいと身体を解すように軽い体操をしてから、身支度を整える。


 まだ半分眠っているモネを抱っこして一階に降りる。しばらくすると、大夏がやって来た。


「おはようーー!」


「おはようございます!!」


 いつもより元気いっぱいな大夏に、ヴィオレッタはちょっと驚く。


 どうやら、大夏の心配事が杞憂に終わったらしいのだ。


「俺のこと、ぜんぜん怖がっている様子がないんです!」


 大夏は嬉しそうだ。切れ長の瞳がキラキラしている。


「お前の勘違いじゃないのか? どう見てもデカいし、怖いぞ?」 


 ふわぁ……! とあくびをしながら、モネがいじわるを言う。


「すっごく良い子ですよ! 怖がらずに俺と話してくれましたし」


 相手が怖がっているのか、いないのか。大夏には、なんとなく分かるらしい。


「お前さ『良い子』の基準が低すぎないか?」


「俺が説明すると、毎回きちんとメモを取ってるんですよ! めちゃくちゃエライです!」


「そうしろって、学校で指導されてるんだろ」


「ちゃんと『おはようございます』とか『失礼します』とか、挨拶もできるし」


「そんなのは当たり前だろ」


「良い子が来てくれて本当に良かったですね! ヴィオレッタさん!!」


 モネの声は、大夏には聞こえていない。なので会話は成立していないはずなのだけれど、奇跡的に成立している気もする。


 そんなことをしていたら、音々がやって来た。


 ヴィオレッタは、明け方に完成したばかりのワンピースをサッと広げて音々に見せる。


「可愛いでしょ?」


「は、はい……」


「モン・プチ・ジャルダンの制服です」


「そうなんですか?」


 音々は驚いている。本当に制服なのであれば、初日から準備していないのはおかしい。


 更衣室で体操服からワンピースに着替えてもらう。


 着替えているあいだ、ヴィオレッタは魔法を使いたくてうずうずした。


 一瞬で着替えを完了させたい。音々がワンピースに袖を通した姿を、一刻も早く見たい……!


 しばらくすると、更衣室の扉がガチャリと音を立てて開いた。


「天使……!」


 あまりの可愛さに、ヴィオレッタはクラリとなった。


「すっごく、似合うわーー! 可愛い! とっても可愛い~~!」


「あ、ありがとうございます」


 ちょっと恥ずかしそうに、音々が頭を下げる。


 褒めすぎな自覚はあるけれど、許して欲しい。


 やはり、それぞれに似合う色というのは存在する。深いグリーンにして正解だった。ものすごく映えている。音々の良さをすべてかき消していた、あの体操服とは雲泥の差だ。


「そのワンピース、実用的で良いですよね。ヴィオレッタさんを見ていて気づいたんですが、ちょっと大きめに作られてて。いろいろ作業もしやすそうですし」


「そうなのよーー! これ実は、すっごく動きやすいの。着ていて楽チンだし!」


 大夏の言葉を聞いて、意外にちゃんと見ているのだなとヴィオレッタは感心した。


 音々には、昨日に引き続き作業場でお仕事をしてもらった。果物の皮を剥いたり、コーヒーゼリーにクリームのしぼったり。


 もともと先生からも「お菓子を作るのが好きな子」と聞いていたので、接客よりも作業場メインのほうが良いかなと判断した。


 ちらりと作業場をのぞくと、ケーキにデコレーションしている音々の姿があった。大夏に指導してもらいながら、真剣な表情で仕事をしている。


 音々は、どうやらかなり大人しい性格のようだ。表情もほとんど変わらない。なかなか笑顔を見せてくれない。初めは緊張しているのかも? と思ったけれど、どうやら違うようだ。


 でも、自分から大夏に指示を仰いだり、テキパキと動いたり。とても勤労意欲に溢れているのが見て取れる。


 そんな音々の姿を見て、ヴィオレッタは感涙していた。


「中学生なのに、お仕事してるわ……」


「なんとかウィークでここに来てるんだから、そりゃ仕事するだろ」


「何度も言わせないで、トライ・やるウィークよ。」


「はいはい」


「尊いわね……」


 ひたすら目頭が熱い。


 袖口で涙を拭いながら、ヴィオレッタは音々の姿を眺める。


「台を拭いてるだけだぞ?」


 モネは、ヴィオレッタを見てちょっと呆れている。


「わたし、こんなに涙もろかったかしら……?」


「年のせいじゃないか?」


 失礼極まりない犬のことは無視だ。無視に限る。


「若い子が一生懸命な姿って、とても感動するのね。知らなかったわ……」


 ぎゅうぎゅうと胸が締め付けられる。


「それにしても、最近の女子中学生というのは、ああいうもんか?」


「どういう意味?」


 足元にいるモネに、ヴィオレッタは訊ねる。


「暗すぎないか? 子どもというのは、もっとキャンキャンしてるもんだろ?」


「キャンキャンって……。子犬じゃないんだから。それに、音々ちゃんは暗いんじゃなくて、物静かというのよ」


「ワンピースだって、もっと喜んでもいいのに」


「じゅうぶん喜んでたわよ」


「あれで?」


「そうよ。だって、心の中の『嬉しい』っていう彼女の気持ち、すごく伝わってきたもの」


 本当に、とても嬉しそうな声が聞こえた。


 でも同時に、音々の心の中にある澱のような存在にも、ヴィオレッタは気づいてしまったのだ。

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