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第17話 魔女の社会貢献

 今日から五月に入った。ヴィオレッタは、レジ台の横にある壁掛けカレンダーをめくり、ビリリと破る。


 来週から、モン・プチ・ジャルダンに女の子がやってくる。期間限定で、いわゆる職業体験をしてもらうのだ。


 兵庫県では、県内の公立中学校に通う二年生を対象に、職場体験などを通して地域について学ぶ活動を実施している。


 期間は一週間で「トライやる・ウィーク」と呼ばれる。一九九八年度から始まったらしい。


 地元民を自称するヴィオレッタは、残念ながらつい最近までこの活動を知らなかった。


 屈んでレジ台の下をのぞくと、昼寝をするモネの姿があった。ヴィオレッタはしゃがみ込んで、モネを揺り起こす。


「モネ、来週から女の子がひとり来るからね! ちゃんとお利口にしててよ?」


 ユサユサと揺らされたモネが、薄目を開ける。


「わたしは人間で、普通のお姉さん。モネは、わたしに飼われているごくごく一般的なわんこだからね。魔法使いだとか、使い魔だとか。ぜったいにバレちゃダメだからね!」


 ヴィオレッタは、モネに念を押した。


「ん? なんだ? 女の子……?」


 眠たい目を前足でこすりながら、モネが訊ねる。


「もう! 来週の月曜日から働いてもらう話、ちゃんとしたでしょ?」


「き、聞いてないぞ! 新たにバイトを雇うのか?」


 モネは飛び起きて、ヴィオレッタに詳細を確認する。


「働いてもらうのは、一週間だけだけどね」


「なんだそれ。短期バイトか? 一週間だけ雇って、何か意味があるのか?」


「ぜったいにあると思うわ! トライやる・ウィークは、素晴らしい取り組みだと思うの」


 ヴィオレッタが腕組みしながら、うんうんと納得していると。


「なんだ? とらい……?」


「トライやる・ウィークよ。簡単に言うと職業体験ね。毎年、この時期になると実施されているみたいなのよ。わたし、すっかり神戸を地元だと認識していたけど、知らないことってまだまだたくさんあるのねーー!」


「そ、その職場体験とやらで、人間の女の子がうちに来るのか……?」


「そうよ!」


「冗談だろ?」


「あら、わたしは大真面目よ。なんかね、最近は受け入れ先の企業を探すのがたいへんみたいなの。先生方も、とっても苦労されているみたいでね」


 常連のお客様に、中学の先生がいるのだ。


 あれは、先々月のこと。先生が来店した際、職業体験の話題になった。受け入れ先を見つけるために奔走していると聞き、それならとヴィオレッタは立候補したのだった。


「すごくお困りのようだったし、話を聞いていると興味もあって。受け入れても良いかなって。ほら、うちはお菓子を作ったり、接客をしたり、ハーブのお世話をしたり。たくさん仕事があるじゃない? とりあえず、ひとりなら受け入れ可能かなって思って!」


 男子でも女子でも受け入れ可能。ただし、なにぶん初めてのことなので、受け入れる生徒はひとりとお願いした。


 結果、お菓子作りが趣味だという女生徒が来てくれることになったのだ。


 先生から連絡を受けたときは、とにかく嬉しかった。同時に責任を感じた。


「ちゃんとお預かりしなきゃね!」


 と、モネに話した記憶があるんだけど……。


 そういえば、あのときもモネは微睡んでいた。まさにここ、レジ台の下で。


「俺はムリだぞ。子ども相手なんて! ぜったいにお断り!」


 モネが地団駄を踏む。


「社会貢献にもなるのよ?」


「魔女が社会貢献なんてして、どうするんだよ!」


「もうOKの返事しちゃったもの。来週から、うちでも『トライやる・ウィーク』が始まるのよ!」


「な、そんな勝手に……」


「忙しくなるわ~~! とりあえず、大夏くんと詳しい打ち合わせしなくっちゃ!」


 モネのことはサクッと放置して、ヴィオレッタは大夏のいる作業場へと向かった。


「とりあえず、笑顔の練習をしています」


 作業場へ行くと、極めて真面目な顔をした大夏がいた。「笑顔の練習」とやらの真意が分からず、とりあえず話を聞いてみる。


「そんなもの練習して、どうするの?」


「女の子を怖がらせないようにするためです。顔の造形は変えられませんが、せめて愛想を良くすれば、好印象かと思いまして」


 そう言って、大夏が練習を始める。に、にこ……と笑顔を作った。


 残念ながら、顔が引きつっている。口角の上がり方も不自然だ。慣れないことをするものではないな……と、ヴィオレッタは心の中で思った。


「接客は、わたしが教えようと考えているんだけど。作業場のほうは、大夏くんにお願いできないかと思って。簡単な飾り付けとか、他にもいろいろ」


「分かりました」


 不自然な笑顔で大夏がうなずく。


「怖がらせたくないって思う大夏くんの気持ち、とても良いとは思うんだけど。一週間も作り笑顔でいるの大変じゃない?」


「実は、これかなりしんどいです。もうすでに表情筋が限界で……」


 不自然な笑顔から、悲しげな表情に変わる。


「大夏くんは、そのままの大夏くんで良いと思うわ! 心配しなくても、女の子は怖がらないと思う」


 ヴィオレッタの予感だ。


 魔法使いであるヴィオレッタの予感なので、間違いなく的中する。予知夢のようなものだ。


 自信満々のヴィオレッタに対して、大夏は「本当に大丈夫だろうか……」と落ち着かない様子だ。


「身体を小さくする方法ってないでしょうか? ちょっと威圧感があり過ぎますよね?」


 作業場にある鏡の前に立ち、大夏が筋肉もりもりな自分の身体をチェックする。真剣な顔つきで鏡を凝視している。


 さすがは「気にしぃ」な性格だ。


「人間の身体を小さくする方法なんて、あるわけないじゃない」


 魔法を使えば、できないこともないんだけどね……。またしても、ヴィオレッタは心の中でひっそりと思った。





 翌週、職業体験をする女子生徒がモン・プチ・ジャルダンにやって来た。


 少女の名前は、桐嶋音々きりしまねね


「よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる。ひとつに結んだツヤツヤの長い髪が、さらりと揺れた。


「こちらこそ、よろしくね! わたしは、店主のヴィオレッタ。こっちは常盤大夏くん。たいてい作業場にいて、お菓子を焼いたり、ケーキにデコレーションをしたり。ときどき接客もしてくれるの!」


 紹介をしながら、肘で大夏をつつく。


「よ、よろしく……」


 ヴィオレッタに促されて、ちょっとビクビクしながら大夏が挨拶をしている。


 怖がられないか心配するあまり、無愛想になってしまったらしい大夏を見て、ヴィオレッタは苦笑いする。


 気を取り直して、モネの紹介もする。


「この白いわんこは、モネといってね。うちの看板犬なのよ」


「お、俺が看板犬……? そんなの、初めて聞いたぞ!」


 ちょっと焦ったモネの声が、頭の中に響く。


「洋菓子店に意味もなく犬がいるなんて、よくよく考えたら変でしょ? だから、急遽看板犬ということにしたのよ。ちゃんと、普通の犬のふりをしてよ?」


「……分かったよ」


「看板犬なんだから、愛想良くして」


「うるさいな」


 文句を言いながら、モネが笑顔を作る。


 ニ、ニヘァ……。


 ちらりと舌をのぞかせながら、なんともいえない顔つきになる。ぎこちない笑みだ。


 モネといい、大夏といい、どうしてモン・プチ・ジャルダンの男子は笑顔が下手なんだろう。ヴィオレッタは、密かにため息を吐いた。


 音々のために準備していたエプロンを手渡し、ちょっとたどたどしく着用する彼女をヴィオレッタは見守る。


「……フリフリのエプロンだな」


「可愛いでしょ? わたしとお揃いよ」


 モネの声に、ヴィオレッタは満面の笑みで反応した。


 真っ白な生地にレースがついたお気に入りのエプロンなのだ。


「ちょっとチグハグじゃないか?」


「……確かに、そうね」


 音々は、ブルーの体操服を着用している。残念ながら、体操服は可愛さとは無縁だ。音々の可憐さをも失わせている。


「音々ちゃん。制服じゃなくて、体操服なんだね」


 彼女が通う中学は、公立だけれど制服がけっこう可愛い。シンプルだけど、クラシカルな印象もあるセーラー服なのだ。ヴィオレッタは、密かに「いいなーー!」と思っていた。


「ふん。良い年してなにが『いいなーー!』だよ。人間の制服? まったく! 魔女として恥ずかしくないのか?」


 モネが何やら言っているけれど、そんな戯言は、さくっと無視をして。


「決まりなんです」


 後ろに手を回して、エプロンを結びながら音々が答える。


「そっかーー!」


 かなーーり、残念だ。小柄で妖精みたいに可憐な音々には、もっと似合う服があるのに……!


 二階のクローゼットに眠っている洋服を着せたい衝動に駆られる。


 繊細で可愛いドレスとか! シルエットが美しいワンピースとか!


 あれ、ワンピース……?


 ヴィオレッタは、自分が来ている淡いグリーンのワンピースをまじまじと見た。自分で縫ったワンピース。お気に入りの、とーーっても可愛い洋服。


 これは、モン・プチ・ジャルダンの制服で、作業着で……。


「音々ちゃん。お店に制服があったら、それを着ることはできるの?」


 もしかしたら、彼女に可愛いワンピースを着てもらえるかも! 


 ヴィオレッタが、音々にたずねると。


「はい」


 こくん、と音々はうなずいたのだった。

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