モン・プチ・ジャルダンの二階、仕事を終えたヴィオレッタが、ソファでゴロゴロしていると。
同じく仰向けでゴロゴロしていたモネが「そういえば」とつぶやいた。
「勇馬が言ってた『俺にしかできない仕事』とは、一体何だったんだろうな? そんな仕事は、この世に存在しないよな?」
「もうっ! さすがに失礼よ」
太くて短いモネの前足を、ぺんっと叩く。
「あれは、彼女の連絡係としての仕事だと思うわ」
「連絡係?」
「モネには聞こえなかったのかもしれないけど、あのとき間木様の心のが聞こえたの」
ヴィオレッタは、そのときの声を思い出した。
『クレーム対応したお客様が、また注文してくれてること。香椎さんは知らなかったんだよな……。これからは、俺が逐一報告しよう。そのほうが絶対、香椎さんだって嬉しいだろうし。やる気にもなるよな……。あれ、これってもしかして、俺だけが出来る仕事じゃないか? 別館が怖くて、逃げるように去っていく社員もいるくらいなんだから……』
勇馬の心の声は、とても嬉しそうだった。
ヴィオレッタは思い出しながら、じんわりと満たされた気持ちになった。
魔法を使って、良かった。
こんがらがった糸を、ちゃんと解くことができた。
「ま、あいつも一ミリくらいは社会人として成長したかもな!」
上から目線なモネが、ニヒヒと笑っている。
ふかふかのソファに身を沈めながら、ヴィオレッタは真っ白な物体を見つめた。
呑気そうな顔つき。丸くて黒い瞳。かなり太めの首回り。短い足。いつ見ても、全身から愛嬌を感じる。
可愛い。可愛くないけれど、最高に可愛い……!
「モネ」
「なんだ」
「抱っこさせて」
仕方ないな、という表情でモネが鼻を鳴らす。
嬉しいことがあると、犬を抱きたくなる。柔らかで、温かくて、そういうものを胸に抱えていると、身体の中の「嬉しい」が逃げていかない気がする。
ずっと自分の中に、留まり続ける気がするのだ。
「モネって、可愛いわね。性格は、ちょっとわるいけど」
「失礼だな。まぁ、俺は愛らしい姿形をしているからな」
フゴッと満足気に鼻を鳴らす。
「それに、モネの体ってモチモチしているから抱きしめていると癒されるわ」
「俺の存在価値の高さが分かるだろ?」
「そうね。モネの匂いを嗅ぐと、安心するし……」
こうやってゴロゴロしながらモネを抱きしめる時間は、ヴィオレッタにとって大切なご自愛タイムなのだ。
「俺の匂い……? どんな匂いだ?」
「説明がむずかしいわね。ちょっと香ばしいような……。決して良い匂いじゃないけれど、何度もでも嗅ぎたい感じよ。この匂いがあると妙に落ち着くの」
「そこはお世辞でも素敵な香りですって言うところじゃないか?」
ヴィオレッタの腕の中で、イヤイヤをするみたいにモネが小さく暴れる。
「ふふ。モネがハリネズミじゃなくて良かったわ」
「なぜだ?」
「こんな風に、顔をうずめて匂いを嗅げないもの。針が刺さってしまうじゃない」
「ときどき針を出したくなるときはあるぞ」
「そうなの?」
「抱き着きが長いときはな」
「あら、良いじゃない」
「俺は使い魔であって、抱き枕じゃないんだからな!」
フガフガと鼻息を荒くしながら文句を言う。そんなモネを胸に抱いて、ヴィオレッタは目を閉じた。その瞬間、頭の中にイメージが流れ込んできた。
勇馬と史緒の映像だった。
「あら……!」
思わず、ヴィオレッタが声が漏れる。
「どうしたんだ?」
ヴィオレッタの腕の中で、ジタバタしながらモネが訊ねる。
「未来が見えたわ」
「みらい……?」
「ふたりの未来よ」
「どうなってた!?」
モネが興味津々な表情になる。
「間木様は、ちょっと出世したみたい」
さんざん愚痴を吐いていたけれど、結局は香椎社を退社することなく、仕事を続けたようだ。
「あいつが出世……?」
モネは、かなり懐疑的らしい。眉間のあたりをギュッと寄せている。
「東京支社にいる映像が見えるわ。でも、定期的に神戸に来ていて。支社に顔を出しているみたいよ?」
「それって、迷惑な先輩社員になってないか?」
「どうやら、うちにも寄ってくれているみたいよ」
すっかり、モン・プチ・ジャルダンの常連のお客様になっているようだ。
さすがに少しは落ち着いたようだ。スーツが馴染んでいるし、大人びた雰囲気を漂わせている。
庭のハーブを避けながら、店へと続く石畳を歩いている勇馬の姿が確認できた。
「なんか、意外だな。あいつ、そんなに甘いものが好きだったのか……」
「違うわよ。自分で食べるんじゃなくて、手土産ね」
「まさか……」
モネが驚いた顔で、ヴィオレッタを見上げる。
「そうよ。あの別館に通っているの。相変わらず坂道はキライみたいだから、タクシーに乗ってね」
「運動不足が祟って、スタイルの良さが台無しになって欲しいな」
ニヒヒ、とモネがわるい顔で笑う。
けれど残念ながら、ヴィオレッタに見えている勇馬は相変わらずイケメンで、スタイルも良いままだった。
「扉一枚を隔てて、おしゃべりしてるふたりが見えるわ。モン・プチ・ジャルダンのお菓子を食べながら、コーヒーを飲んで。すっごく楽しそうよ」
「ふうん」
「たぶん、もっと先の未来になると、扉を開けられるんじゃないかしら」
「なんだよ。ハッピーエンドかよ」
「とっても、素敵な未来だわ……」
つまらなさそうに言うモネを抱え直し、ヴィオレッタはうっとりとつぶやいたのだった。