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第16話 未来のこと

 モン・プチ・ジャルダンの二階、仕事を終えたヴィオレッタが、ソファでゴロゴロしていると。


 同じく仰向けでゴロゴロしていたモネが「そういえば」とつぶやいた。


「勇馬が言ってた『俺にしかできない仕事』とは、一体何だったんだろうな? そんな仕事は、この世に存在しないよな?」


「もうっ! さすがに失礼よ」


 太くて短いモネの前足を、ぺんっと叩く。


「あれは、彼女の連絡係としての仕事だと思うわ」


「連絡係?」


「モネには聞こえなかったのかもしれないけど、あのとき間木様の心のが聞こえたの」


 ヴィオレッタは、そのときの声を思い出した。


『クレーム対応したお客様が、また注文してくれてること。香椎さんは知らなかったんだよな……。これからは、俺が逐一報告しよう。そのほうが絶対、香椎さんだって嬉しいだろうし。やる気にもなるよな……。あれ、これってもしかして、俺だけが出来る仕事じゃないか? 別館が怖くて、逃げるように去っていく社員もいるくらいなんだから……』


 勇馬の心の声は、とても嬉しそうだった。


 ヴィオレッタは思い出しながら、じんわりと満たされた気持ちになった。


 魔法を使って、良かった。


 こんがらがった糸を、ちゃんと解くことができた。


「ま、あいつも一ミリくらいは社会人として成長したかもな!」


 上から目線なモネが、ニヒヒと笑っている。


 ふかふかのソファに身を沈めながら、ヴィオレッタは真っ白な物体を見つめた。


 呑気そうな顔つき。丸くて黒い瞳。かなり太めの首回り。短い足。いつ見ても、全身から愛嬌を感じる。


 可愛い。可愛くないけれど、最高に可愛い……!


「モネ」


「なんだ」


「抱っこさせて」


 仕方ないな、という表情でモネが鼻を鳴らす。


 嬉しいことがあると、犬を抱きたくなる。柔らかで、温かくて、そういうものを胸に抱えていると、身体の中の「嬉しい」が逃げていかない気がする。


 ずっと自分の中に、留まり続ける気がするのだ。


「モネって、可愛いわね。性格は、ちょっとわるいけど」


「失礼だな。まぁ、俺は愛らしい姿形をしているからな」


 フゴッと満足気に鼻を鳴らす。


「それに、モネの体ってモチモチしているから抱きしめていると癒されるわ」


「俺の存在価値の高さが分かるだろ?」


「そうね。モネの匂いを嗅ぐと、安心するし……」


 こうやってゴロゴロしながらモネを抱きしめる時間は、ヴィオレッタにとって大切なご自愛タイムなのだ。


「俺の匂い……? どんな匂いだ?」


「説明がむずかしいわね。ちょっと香ばしいような……。決して良い匂いじゃないけれど、何度もでも嗅ぎたい感じよ。この匂いがあると妙に落ち着くの」


「そこはお世辞でも素敵な香りですって言うところじゃないか?」


 ヴィオレッタの腕の中で、イヤイヤをするみたいにモネが小さく暴れる。


「ふふ。モネがハリネズミじゃなくて良かったわ」


「なぜだ?」


「こんな風に、顔をうずめて匂いを嗅げないもの。針が刺さってしまうじゃない」


「ときどき針を出したくなるときはあるぞ」


「そうなの?」


「抱き着きが長いときはな」


「あら、良いじゃない」


「俺は使い魔であって、抱き枕じゃないんだからな!」


 フガフガと鼻息を荒くしながら文句を言う。そんなモネを胸に抱いて、ヴィオレッタは目を閉じた。その瞬間、頭の中にイメージが流れ込んできた。


 勇馬と史緒の映像だった。


「あら……!」


 思わず、ヴィオレッタが声が漏れる。


「どうしたんだ?」


 ヴィオレッタの腕の中で、ジタバタしながらモネが訊ねる。


「未来が見えたわ」


「みらい……?」


「ふたりの未来よ」


「どうなってた!?」


 モネが興味津々な表情になる。


「間木様は、ちょっと出世したみたい」


 さんざん愚痴を吐いていたけれど、結局は香椎社を退社することなく、仕事を続けたようだ。


「あいつが出世……?」


 モネは、かなり懐疑的らしい。眉間のあたりをギュッと寄せている。


「東京支社にいる映像が見えるわ。でも、定期的に神戸に来ていて。支社に顔を出しているみたいよ?」


「それって、迷惑な先輩社員になってないか?」


「どうやら、うちにも寄ってくれているみたいよ」


 すっかり、モン・プチ・ジャルダンの常連のお客様になっているようだ。


 さすがに少しは落ち着いたようだ。スーツが馴染んでいるし、大人びた雰囲気を漂わせている。


 庭のハーブを避けながら、店へと続く石畳を歩いている勇馬の姿が確認できた。


「なんか、意外だな。あいつ、そんなに甘いものが好きだったのか……」


「違うわよ。自分で食べるんじゃなくて、手土産ね」


「まさか……」


 モネが驚いた顔で、ヴィオレッタを見上げる。


「そうよ。あの別館に通っているの。相変わらず坂道はキライみたいだから、タクシーに乗ってね」


「運動不足が祟って、スタイルの良さが台無しになって欲しいな」


 ニヒヒ、とモネがわるい顔で笑う。


 けれど残念ながら、ヴィオレッタに見えている勇馬は相変わらずイケメンで、スタイルも良いままだった。


「扉一枚を隔てて、おしゃべりしてるふたりが見えるわ。モン・プチ・ジャルダンのお菓子を食べながら、コーヒーを飲んで。すっごく楽しそうよ」


「ふうん」


「たぶん、もっと先の未来になると、扉を開けられるんじゃないかしら」


「なんだよ。ハッピーエンドかよ」


「とっても、素敵な未来だわ……」


 つまらなさそうに言うモネを抱え直し、ヴィオレッタはうっとりとつぶやいたのだった。

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