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第15話 扉越しの想い

 目を閉じて、神経を集中させる。


 頭の中に香椎舎の別館が見えた。レトロな社屋。二階に意識を向けると、かすかに話し声が聞こえてきた。


「どうして、俺に言ってくれなかったんですか……。ヴィオレッタさんには言えて、俺に言わなかったのはなぜですか」


 勇馬の声だ。


「……ちょっと、怒ってるな」


 モネの言う通りだった。勇馬の声色には、わずかに怒気が含まれている。


「病気のこと? それなら、間木くんの耳には入っていると思ったから」


 それで、彼女はあえて言わなかったようだ。


「あんまり言うと『配慮しろ』って押し付けているみたいじゃない? それがイヤだから」


 少しずつ、語尾が尻すぼみになっていく。


 ヴィオレッタは、ふたりのやり取りを聞きながらヒヤヒヤした。


 もしもふたりが仲違いして、前よりももっと気まずい関係になってしまったら……。


 自分の魔法のせいだ。やはり魔法というものは、気安く使うものではない。ヴィオレッタは激しく後悔した。


 それなのに、モネは興味津々といった感じで聞いている。瞳を輝かせている鼻ぺちゃ犬。どこか憎めないその風貌に、普段は癒されているけれど。今は、とっても憎らしい。


「それ以外にも、思っていることとか……。これからは、俺に言って欲しいです」


「間木くんに?」


「俺が、運び屋なんですから」


「運び屋って……。なんだか、外国の映画みたい」


 くすりと彼女が笑う。


 ほっとしたのも束の間。カシオは、真面目なトーンで話を続けた。


「……わざわざ、ここまで運んでくれているもんね。面倒な仕事をさせてしまって、間木くんには申し訳ないと思ってる」


「俺は、仕事が出来るひとのサポートをしているだけです」


「仕事が出来る……? そんな、わたしなんて。皆に迷惑をかけてるだけで」


「香椎さんが、サポートを受けてるのは事実ですけど。でも『迷惑をかけてるだけ』なんて、どうやったらそんな認識になるんですか」


「認識もなにも、本当のことだよ」


「卑屈にならないでくださいよ。支店で手に負えないクレームを処理してるのは、香椎さんなんですよ? 迷惑どころか、助かってるに決まってるじゃないですか」


「でも、わたしは縁故採用だし……」


「だから何ですか。きちんと仕事をしているんだし、それで良いじゃないですか。会社だって、香椎さんを雇ってプラスになってますよ」


「プラスに……? ど、どういうこと……?」


 彼女は、信じられないといった感じで勇馬に問う。


「香椎さんに話を聞いてもらったお客様たち、また注文してくれるんですよ。こっちのミスが原因でのクレームもありますから。普通なら、もう二度と香椎舎で買物をしたくないって思うじゃないですか。でも、また注文してくれる。それは香椎さんが、ちゃんと仕事をしているからです」


 カシオが、思わず顔を覆った。


 小刻みに身体が震えている。その映像が、ヴィオレッタには見えた。


「わたし、ここにいてもいいの……?」


 カシオの声が濡れている。


「ここにいる意味が、ちゃんとあるの……?」


 縋るように、カシオが勇馬に問いかける。


「そこにいて良いですし、いてもらわないと困ります。ガチでヤバいクレームの対応できるの、香椎さんしかいないんですから。いや、本当に。ガチのクレームは難易度が高すぎます」


 ちょっとおどけるように、勇馬が言った。 


「……仕方ないわね」


 カシオが流れる涙を拭う。


「間木くん」


「なんですか?」


「辞めないでね」


 カシオの声に、勇馬が息を飲む。


「お客様の気持ちは、いつも声から汲み取っているんだけれど。ちょっと難しいなと思うこともある。でも、ここに来る社員の気持ちはいとも簡単に分かる」


「か、簡単……? どうして分かるんですか」


「足音でね、分かるんだ。歩き方に顕著に出るみたい。ダルそうに歩いているのは、きっと別館に来るのが面倒なんだろうな、とか」


 言い当てられた勇馬は、気まずそうにうつむく。


「間木くんの前の運び屋さんは、いつもやけに急いでいたな」


「……そんなに、忙しくはないはずなんですが」


「たぶん、この別館が怖かったんだと思う。一刻も早くここから出たい! という感じで、書類や商品を置いたら、慌てて逃げて行くのよ」


「……『謎の社員』の話は、ちょっとホラーでもありますから」


 苦笑いしながら、怖がりな社員を勇馬がフォローする。


「辞めそうな社員も、分かるんだ」


「……足音で?」


「うん。イヤなんだろうなって。つまんない仕事だもんね、こんなところに来るのは」


「間木くんも、そうでしょう? ごめんね……」


 ぽつりと、彼女が寂しそうに言った。


「辞めませんよ」


 きっぱりと、勇馬が扉の向こうに向かって宣言する。


「香椎さんの言う通りです。ここに来るの、『めんどくせーー!』って思ってました」


「うん」


「でも、辞めませんよ」


「……本当?」


「俺にしかできない仕事を見つけたんで」


 勇馬が、ちょっと自慢気に胸を張る。


「そんな仕事、この世に存在するのか?」


 モネが首をかしげている。失礼すぎるわんこだ。


「香椎さんにしかできない仕事があるように、俺にしかできない仕事があるんです」


「そうなの? どんな仕事?」


「……秘密です。そのうち教えてあげますよ」


「そのうちね」


 ふたりの声が、とても柔らかい。


 扉越しに会話するふたり。ちょっとだけ名残惜しかったけれど、ヴィオレッタは目を開けた。


 その瞬間、ふたりの声がプツリと切れる。


「あぁ……! もうちょっと聞きたかったのに~~!」


 モネが不満そうな声を漏らす。


「約束したでしょ?」


「そうだけどさ……」


 残念そうに、しょんぼりとモネが肩を落としている。


「盗み見と盗み聞きが好きだなんて、まったく。しょうがない使い魔ね」


 呆れながらヴィオレッタは、モネのふかふかな毛並みをサラリと撫でた。

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