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第14話 彼女の名前

 ヴィオレッタとモネが、旧居留地へ赴いた日からちょうど二週間後。


 勇馬がモン・プチ・ジャルダンにやって来た。


 ヴィオレッタは庭の裏手でハーブの手入れをしていて、店に戻ると大夏が勇馬の接客中だった。


「製菓の世界は、上下関係が厳しいですから」


 真剣な面持ちで、大夏がショーケースからケーキを取り出している。


「マジですか~~!」


「はい」


「意外ですね」


「店舗にもよるのかもしれませんが。自分のいた店では、先輩に『マジですか~~!』はNGだと思います」


「げ。堅苦しいですねーー!」


 丁寧に箱詰めしながら、大夏が厳しい上下関係の逸話を勇馬に明かしている。


 勇馬の愚痴に付き合っているうちに、気づけば大夏自身の話になったようだ。


「じゃあ、製菓はムリっすね。俺は、ゆるーーい感じの職場が合うと思うんで」


 レジ台に寄り掛かりながら、勇馬がヘラヘラと笑う。


「とりあえず、今の会社で良いかなーー」


「不満があるんじゃなかったんですか?」


「ありますよ! でも、普通に良い会社かなとも思って。同族会社だけど、やりにくさを感じたことはないし、そもそも新人は出来る仕事が少ないから、雑用が多くなるよなって、気づいたというか……」


「気づくの遅いな」


 勇馬と大夏の会話を聞きながら、モネがボソリとつぶやく。


「あ、ヴィオレッタさん!」


 勇馬がヴィオレッタに気づいた。


「間木様。いらっしゃいませ」 


「俺の忘れ物、別館に届けてくれたんですよね? ありがとうございました」


 勇馬が、ぺこりと頭を下げる。


「とんでもございません」


「……俺、香椎さんの病気のこと聞きました」


 勇馬が病気のことを知ったのは、つい三日ほど前らしい。どうりで、彼の口から病気のことを聞かなかったわけで。


「広場恐怖症というらしいです」


「そのようですね」


「ヴィオレッタさんよりも、先に知りたかったんですけどね。俺、毎日のように別館に行ってりんですよ? 俺のほうが、ずっと付き合いが長いのに……」


 勇馬の表情が、徐々に曇っていく。


 最終的には駄々っ子のような、かなりの膨れっ面になった。


「思いのほか、話しが弾んでしまったんです。とても楽しい時間でした。でも、間木様のほうが彼女のこと、ご存知だと思いますよ。わたしなんて、お名前を今、知ったくらいですから」


 縁故採用の話は聞いたけれど、だからといって必ずしも香椎姓だとは限らない。


 お互いの名前も知らずに、よく話が続いたなぁとヴィオレッタが苦笑いする。


「同じ名字が多いから、紛らわしいんですよね。だから『謎の社員』って呼ぶのが便利なんです。ただの『香椎さん』だと、誰のことか判別できないんで」


 同族経営ゆえの事象だ。勇馬の部署だけでも、香椎姓の社員が数人在籍しているという。


「他の香椎姓の方は、どんな風に呼ばれているんですか?」


「役職があれば、それで。なければフルネームとかですね。仲が良ければ、下の名前で呼んだりとか」


 なるほど、とヴィオレッタがうなずいていると。


「そういえば香椎さん、同期のひとにはあだ名で呼ばれてましたね」


 勇馬が、思い出したように言う。


「あだ名ですか?」


「彼女、下の名前が『史緒』というんです。それで『かしいしお』を略して『カシオ』って、同期の社員から呼ばれているのを聞いたことがあります」


 カシオ……。


 どこかで聞いたことのある名前だ。


 ヴィオレッタは「う~~ん」と唸った。


 思い出せそうで、思い出せない。


「SNSのヤツだろ」


 モネが、ヴィオレッタを見上げながら「庭のファン」「庭マニア」と言葉を続ける。


「あ!」


 そうだ!


 SNSを更新すると「よき」のハートをくれたり、丁寧なコメント送ってくれるフォロワーの「カシオ」さん。


 そういえば、自由に外出が出来ない事情があるようだった。だから、太陽をいっぱい浴びて元気なハーブを見ていると癒されるって……。


「まさか、同一人物だったなんてね。どうりで、話が弾むはずだわ」


 彼女は、以前からヴィオレッタのことを知っていて、だから病気のことも打ち明けてくれたのだろう。


「ずっと会いたいと思っていたから、たくさんお話できて嬉しいわ!」


 胸が、ぎゅーーっとなる。ドキドキして、そこらじゅうを駆け回りたい気分だった。 


「また、わたしが持って行こうかしら……?」


 ケーキの箱詰めが完了したらしく、大夏の手の中にある包みに視線をやる。彼女とまた、たくさんおしゃべりがしたい。


「でも、お仕事の邪魔になってしまうかしらね」


 ヴィオレッタが考え込んでいると。


「今日は、俺が持って行きますから」


 ヴィオレッタの手中から、勇馬が包みを奪っていく。


「なんかこいつ、ちょっと不機嫌になってないか……?」


 勇馬の顔を見ながらモネがつぶやく。


「やっぱり、モネもそう思う?」


 勇馬の膨れっ面を見ながら、ヴィオレッタがモネに確認する。


「カシオの病気のことをヴィオレッタのほうが先に知ってたから、面白くないんだな」


「それだけで怒るかしら?」


「疎外感だよ。自分のほうが仲が良いと思っていたのに、そうじゃなかったと分かったら辛いだろ。おまけに、ヴィオレッタとしゃべって楽しかったとか、自分の想いを素直に言えたとか。そんな話をカシオから聞いたらさ」


「……素直になれる魔法をかけたの、マズかったかしら」


 良い未来になるよう、祈ったのだけれど……。


「というか、モネ。あなた、やけに事情を知ってるわね?」


 ヴィオレッタにの言葉に、モネが「いけね」と顔を顰める。


「間木様の心の声。聞いてるのね?」


 モネが分かりやすく狼狽える。


「ま、魔法を使わないと、力が錆びるんだよ。だ、だから、たまには使わないと……」


 視線をさまよわせながら言い訳をするモネをヴィオレッタが軽く睨む。


「他にも力の使い道があるでしょ? むやみに他人様の心の内をのぞいたらダメよ」


「分かってるよ……」


 ヴィオレッタに叱られて、モネはしょぼんと肩を落とした。


「じゃあ、俺は帰ります。また来るんで」


 そっけなく言って、勇馬が店を出て行く。


「わたし、嫌われちゃったのかしら……?」


 勇馬の後ろ姿を見ながら、ヴィオレッタはモネにたずねた。


「心配しなくても、どうせ明日には忘れてるだろ。それにしても、お子様なヤツだな」


「ケーキを持って行ったけれど……。険悪な雰囲気にならないかしらね」


 今日も、勇馬は彼女が注文したケーキを受け取っていた。桜のチーズケーキだった。


 ヴィオレッタが心配していると、モネがニタリと笑った。


「……どうしたの?」


 こういう顔をするとき、モネは何か企んでいる。


「ふたりが仲違いしないように、見守ってやらないとな? な?」


 ズンズンと鼻ぺちゃ顔が圧をかけてくる。


「わ、わたしにどうしろと言うの……?」


 あまりにも圧がすごいので、ヴィオレッタは思わずあとずさる。


「見守るんだよ。それで、もしものときに備えるんだ」


 ものすごーーく、したり顔のモネを見て、ヴィオレッタはピンときた。


「なるほど。モネは、ふたりの会話を聞きたいのね」


 近距離にいる相手の心の声は聞き取れるモネだけど、少しでも対象が離れると力が及ばなくなってしまう。だから、ヴィオレッタの力が必要なのだ。


「モネ、あなた。本当は、ふたりが仲違いするのを期待しているみたいね? ちょっと諍いが起こってくれたほうが、面白いと思ってるんでしょう?」


 モネがわるい顔をしている。ヴィオレッタがカマをかけると、モネはあわあわと慌て出した。


「な、な、俺は! ふたりが心配で……!」


 なんとも分かりやすい使い魔だ。


「さっきも言ったでしょ? ダメよ」


「うぅ……」


 モネが、ガクッとうなだれる。


「……と、言いたいところなんだけど。万が一、本当にふたりが仲違いしちゃったらいけないから、様子を見るわ」


「本当か!?」


 パァッとモネの表情が光り輝く。


「魔法をかけたのは、わたしだもの。素直になったせいでふたりの仲がわるくなるなんて……。責任を感じるわ。だから、ほんの少しだけ。本当に、すこーーし、だからね。大丈夫だと判断したら、すぐにやめるわよ?」


「もちろんだ」


 満足そうにうなずくモネを、ヴィオレッタは苦笑いしながら見下ろしていた。

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