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第8話 古書店のおはなし会

 すみかが引き受けてくれたおかげで、おはなし会の日程が決まった。


 いろいろと準備を重ねて、明日の日曜日、いよいよ本番のおはなし会が開催される。


 ヴィオレッタは、子どもたちのために可愛いクマの形をしたクッキーを作ることにした。素朴だけれど、さっくりとした食感がおいしいクッキーだ。


 そのクマのクッキーをひとつずつ透明な袋に入れて、カラフルなリボンで結ぶ。子どもたちへのプレゼントを、ヴィオレッタは早朝から作業場でこしらえていた。


 今は、ひと段落ついたところ。粗熱がとれたクッキーを、大夏と一緒に袋詰めしている最中だった。


「可愛いわ~~!」


 クッキーを袋に詰めながら、あまりの可愛さにヴィオレッタは悶える。


「子どもたちにプレゼントするのが楽しみですね。きっと喜んでくれますよ」


 大きな手で器用にリボンを結びながら、大夏が笑う。


 明日は、モン・プチ・ジャルダンは臨時休業にする。皆で、すみかのおはなし会に駆けつける予定なのだ。


「ふん! なにがクマのクッキーだよ。クマなんかより、ぜったいに犬のほうが良かった!」


 モネの不満が、ヴィオレッタの頭の中に流れ込んでくる。


「そう? このクッキーすごく可愛いわよ?」


「犬のほうが可愛い」


「まぁ、モネがそこまで言うなら、次はわんこにしようかしら。おはなし会は、定期的に開催するみたいだから」


「よし!」


 モネが舌を出しながら、うれしそうにエヘヘと笑う。


「わんこね……。やっぱり、トイプードルとかかしらね。ふわふわの可愛い感じのクッキーになりそうだわ」


 ヴィオレッタは、頭の中でモネと会話を続ける。


「トイプードル!? そんなのは却下だ。もっと可愛いのが他にいるだろ」


 モネが太めの前足で、ダンッと床を蹴る。


「え、他に……? あっ、そうね。ポメラニアンなんかも可愛いわね」


「違う!」


「じゃあ、マルチーズ?」


「ぜんぜんダメだ!」


 ダンダンダンッと両方の前足で地団駄を踏む。


 ヴィオレッタは仕方なく手を止め、大夏に聞いてみる。


「ね、大夏くん。可愛いわんちゃんでイメージするのって、どの犬種かしらね」


「犬はどの子も可愛いですよ!」


 満面の笑みで答える。


 いかにも大夏らしい答えだ。


「一般的には、小型犬が飼いやすくて人気だと思うんだけれど」


「俺は大型犬が好きですね。思いっきり抱き締めてモフモフしたいです。小さいわんこだと、なんか怖がられそうな気がするので」


「犬は人間の本質をすぐに理解するから、大夏くんを怖がる子はいないと思うわ」


「そうなんですか! 犬って良いですね!」


 ヴィオレッタと大夏が盛り上がっていると……。


「俺だよ!」


 ヴィオレッタの頭の中に、プンプンと怒ったモネの声が響いた。


「え、ペキニーズ……?」


「そうだよ! まったく、薄情な魔女だ。使い魔の姿形を一番に候補として挙げるべきなのに……! よりにもよって、くるくるくせっ毛のトイプードルなんかを真っ先に思い浮かべるなんてな」


 フンフンと鼻息を荒くしながら、モネが憤る。


「モネ、どうしたんだ? 腹が減ったのか?」


 やさしい大夏が、モネの様子を見かねて声をかける。


「おい、大夏! お前ちょっと人間のくせに生意気だぞ! 俺を犬扱いしやがって! 俺は犬の格好をしているだけで、中身は使い魔なんだからな! 魔法だって使えるんだからな」


 フガフガとさらに鼻息が荒くなる。


「大夏くん、大丈夫よ。構ってもらえないから怒ってるだけ。まったく、仕方のないわんちゃんね」


 ヴィオレッタが肩をすくめる。


 ぷんすか怒るモネを放置したまま、ヴィオレッタは大夏と一緒に、引き続き作業を進めたのだった。





 神戸には古書店が多く存在する。


 店ごとに趣が違っており、古書店巡りを楽しむひともいるくらいなのだ。


 レトロなビルの二階に店を構えていたり、まるで迷路みたいな細い路地裏に店があったり。店構えはもちろん、取り扱う商品もそれぞれにも個性が光る。


 糸で閉じられた和綴り本や、版画を置く店。古い映画のパンフレットを取り揃える店。神戸にまつわるありとあらゆる書物を扱う店。カフェを併設している店や、定期的に個展を開催する店など。


 倉知が営む古書店「ツナグ書林」は、乙仲通おつなかどおりにある本と雑貨の店だ。


 乙仲通は、神戸市中央区の栄町通と海岸通の間を東西に通っている約八百メートルの道のこと。


 実際に歩いていると、ふいに遠い昔にタイムスリップしたかの様な錯覚に陥る。レトロモダンな町並みが続いているのだ。


 アーチ窓がおしゃれなビルディングや、アクセサリーショップ、ビストロ、コーヒーショップ……。懐かしいような、思わず胸がときめくような通りになっている。


 乙仲通の名前の由来は、「乙仲」と呼ばれた海運貨物取扱業者が、ここに軒を連ねていたから。


 ツナグ書林は、レトロモダンなビルの一階にテナントとして入っている。間口は狭いけれど、奥行きがある。


 棚いっぱいに本と雑貨が並んでいる。おもちゃ箱をひっくり返して、ひとつひとつきれいに並べ直したようなお店だった。


 奥にはキッズスペースが設けられており、子どもたちが自由に本を読めるようになっている。そのキッズスペースに、今日は小さなイスがずらりち並べられていた。


 集まった子どもたちは、すでに着席している。皆がちんまりと座っている様子は、なんとも可愛らしい。


 保護者たちは、少し離れたところに座っている。ヴィオレッタと大夏の席も、大人たちのすぐ近くだ。


「緊張しますね」


 ヴィオレッタの隣で、大夏が落ち着かない様子でつぶやく。


「大夏くんが緊張してどうするの。絵本を読むのは朝野様なのに」


 モネを抱きながら、ヴィオレッタが苦笑いする。


「それは、そうなんですが……」


 かなり落ち着かない様子だ。キョロキョロと店内を見まわしたり、持って来たお菓子の袋を確認したりしている。


「こいつは、関西弁でいう『緊張しい』というやつだろ」


 モネが横目で大夏を見ながら、ブシュッと鼻を鳴らす。


「緊張しい」というのは、「緊張しやすいひと」という意味だ。ささいなことが気になるひとは「気にしい」、余計なことをしがちなひとは「いらんことしい」と呼ばれる。


「おそらくだけど『気にしい』でもあるわよね。大夏くんって」


「間違いない」


 モネが、ニヘッと口角をあげて笑う。


 ちなみに、このお店はペット同伴OKだった。マナーなので、もちろんモネは首輪をしている。リードで繋いで、いかにも「わんこ」という出で立ちだ。首まわりが太いので、ちょっと苦しそうではある。


 そうこうしているうちに、準備が整ったらしい。スタッフルームから、すみかが登場した。


 木製のチェアに腰かけ、ゆっくりと絵本を開く。 


 おはなし会が始まると、子どもたちは真剣な表情になった。落ち着きがなかった子も、今はじっとして、物語に集中している。


 すみかの緊張感が、ヴィオレッタにも伝わってきた。もともと伸びやかできれいな声をしているのに、今日はかなり上擦っている。ページをめくる手が、わずかに震えている。


 ヴィオレッタは、固唾を飲んですみかを見守った。それは大夏も同じらしかった。最初から最後まで、膝の上に置いた拳をぎゅっと固く握りしめていた。


 物語が終わって、子どもたちの拍手に包まれる。


 すみかは、大きくふっと息を吐いた。


 ヴィオレッタも緊張感から解き放たれた。何もしていないのに、ドッと疲れた気がする。


 放心状態になっていると、モネがヴィオレッタを「おい」と呼ぶ。


「なぁに?」


「ヴィオレッタと大夏は、難しい顔をし過ぎだ。せっかくの楽しい話だったのに」


「朝野様が心配だったのよ。モネは楽しめた?」


「もちろんだ!」


 すみかが選んだ絵本は、海の物語だった。魚たちが、楽しく冒険をするお話だ。


「さてと。持って来たお菓子を子どもたちに渡さなくっちゃね」


 ヴィオレッタが、席から立とうとしたとき。


 ひとりの男の子が、すみかのほうへ近づいていく。


「な、なんだ……?」


 トコトコ、と歩いて行くのを見て、モネが訝しげな表情になる


 男の子は、クリッとした大きな瞳ですみかを見た。そうして。


「いたい?」


 舌ったらずな声で、男の子がすみかにたずねる。


「お顔、いたい?」


 男の子の言葉の意味が分かって、周囲の大人は息を飲んだ。


 空気がピシッと張りつめる。


 ヴィオレッタは、心臓が止まりそうになった。


「痛くないよ」


 すみかが、男の子を見ながら微笑んだ。


「心配してくれてありがとう。痛そうに見えるかもしれないけど、ぜんぜん痛くないんだよ」


 おっとりとした彼女の声に、周囲の人々はホッと胸を撫でおろした。もちろん、ヴィオレッタも。


 安堵していると、ふいにすみかの声が、ヴィオレッタの頭の中に入ってきた。


『昔は、痛かった』


『アザのことを言われると、アザじゃなくて胸が苦しいくらいに痛かった』


『でも、もう大丈夫』


『痛くない』


『本当に、もう痛くない』


 とても優しい、穏やかな声だった。

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