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第7話 彼女の後悔

「いらっしゃいませ」


「庭仕事の途中でしたか。邪魔したかな」


「とんでもないです。少し、外の空気を吸いたくなっただけですから」


 ヴィオレッタに抱かれているモネにも、倉知は軽く微笑んで挨拶をする。


「こんにちは」


 モネは、ブシュッと鼻を鳴らして返事をした。


 実際は「胡散臭いくらいに紳士だな、相変わらず」と悪態をついているのだけど……。


「こら、お客様に何てこと言うの」


 倉知に聞こえないように、ヴィオレッタは頭の中でモネを叱る。


「相変わらず、素敵な庭だね」


 庭のあちこちに視線をやりながら、倉知が感嘆している。


「ありがとうございます」


「どのハーブも青々として、元気そうだ」


「毎日、一生懸命にお世話していますから」


 庭に出ない日はない。種類ごとに、微妙に肥料の配合を変えたり、土づくりにこだわったりして、愛情をこめて育てている。


 おかげ様で、どの株もグングンと成長中だ。ちょっと足の踏み場もないくらいに、ハーブたちでいっぱいになっている。


 一面が緑の庭だけれど、よく見ると色んな緑がある。質感もそれぞれ違う。ツヤツヤしていたり、ザラザラしていたりする。表面に産毛が生えている品種もある。


 入口から店へと続く道は、歩きやすいよう石畳になっている。


 庭から店内に戻ると、大夏とすみかが談笑していた。すっかり打ち解けた雰囲気に安堵する。


 どうやら、すみかはウィークエンドシトロンを購入してくれたようだ。


 大夏がていねいに箱に詰めている。


 それを見た倉知が「おや」と反応を見せる。


「ウィークエンドシトロンですか」


「新商品なんです。よろしかったら、試食しませんか?」


「とっても、おいしかったですよ」


 すみかが、遠慮がちに倉知に告げる。


 彼女と倉知は、モン・プチ・ジャルダンで何度か顔を合わせたことがある。


「それは楽しみだな。ぜひ、お願いします」


「かしこまりました」


 ヴィオレッタが、試食の準備をしていると、倉知は少し改まった雰囲気で「実は」と話し始めた。


「少し、ご相談がありまして」


「なんでしょう?」 


「古書店のほうで、子ども向けのおはなし会を開催しようかと考えているんです」


 耳馴染みのない「おはなし会」というワードに、ヴィオレッタは少し首をかしげる。


「えっと、そのおはなし会というのは、いわゆる『読み聞かせ』みたいなものですか?」


「そうです。最近、少しずつ子ども向けの絵本を仕入れるようになりまして。それで、販促もかねて何かイベントをしようと考えていたんです」


 倉知が経営する古書店は、めずらしい古書を多く取り扱っている。


 ベストセラーの初版本や、有名作家のインディーズ作品。詩集や短歌はもちろん、紀行やエッセイ本まで。書籍だけではなく、雑貨まで店頭に並んでいる。こじんまりとした店内に、所狭しと商品が並んでいるのだ。


「素敵なイベントですね」


「ありがとうございます。それで、来てくれた子どもたちにお菓子をプレゼントしたいと思いまして。ぜひ、モン・プチ・ジャルダンのお菓子を渡したいなと考えているんです」


 ヴィオレッタの胸が、ドキンと高鳴った。


 焼き菓子をひとつひとつ袋詰めして、子どもたちに配る計画らしい。


 可愛い焼き菓子を作りたい。受け取ったとき、子どもたちが笑顔になるような。素敵でおいしいお菓子を作りたい。できたら、パッケージにもこだわって……!


 想像するだけで、ヴィオレッタのドキドキは増していく。


「とっても、嬉しいです! ぜひ、お引き受けします!」


「良かったです」


 倉知が、ホッと表情を緩める。


「ただ、少し困ったことになっていまして……」


「困ったこと?」


「実際に絵本を読んでくれる予定だった方が、体調を崩されてしまって。日程がなかなか決まらないんです。毎月一度は開催したいと考えていたんですが……」


 倉知は、すっかり困り果てているようだった。


「そうなんですか」


 日程が決まらなければ、具体的な話合いができない。


 どうしたものかと、ヴィオレッタが頭を悩ませていると……。


 ブシュッと鼻を鳴らしながら、モネが足元にまとわりついてきた。


「どうしたの?」


 頭の中で、モネに語りかける。


「ふたりの様子、見てみろ」


「ふたり……?」


 ぐるりと店内を見わたすと、明らかにソワソワした様子の大夏がいた。すみかのほうに視線をやったり、外したり。また彼女を見たかと思えば、天井を見上げたり。


「明らかに挙動不審ね」


「だろ?」


 すみかは、何かを迷っているような感じだった。言いかけてはやめ、しばらくして意を決したかと思えば、ぎゅっとくちびるを噛み締める。


 ヴィオレッタは、思い切ってすみかに声をかけた。


「朝野様、どうかなさいましたか?」


「え? あ、あの……」


 すみかが、ビクリと大きく肩を揺らす。


「わ、わたし……。その……」


 なかなか次の言葉を言い出せないすみかに代わって、大夏が口を開いた。


「朝野様、以前は図書館に勤務していたそうなんです。それで……」


 大夏が、ちらりとすみかのほうを見る。


「わ、わたし、図書館司書をしていたんです……。」


 すみかが、ポツリとつぶやいた瞬間。


 倉知の表情がパッと明るくなった。


「だったら、ぜひ読み聞かせの代役をお願いできませんか?」


「でも、わ、わたし一度も、やったことはなくて……。だから、う、上手くできないと思います……!」


 すみかが慌てて首を横に振る。


 そんなすみかに、そっと大夏が語りかけた。


「さっき、ふたりで話してたとき、俺に教えてくれたじゃないですか。本当は読み聞かせをしたかったって。出来なかったこと、すごく後悔してるって。他の司書さんみたいに、自分だって読み聞かせをしたかった。でも人前で話すことが怖くて、どうしても勇気が出なくて。逃げてしまって……。それで結局、図書館司書もやめてしまって。大好きな仕事だったのにって……」


 彼女の顔を覗き込むようにして、必死に訴えている。


「小さな子たちに、たくさん絵本を読んであげたかったんですよね……?」


 すみかは口を閉ざしたまま、じっとうつむいている。


「やっぱり、不特定多数の人間に見られるのはダメみたいだな」


 モネの声が、頭の中に流れ込んでくる。


 本当に、そうだろか。


 それが彼女の本心なのだろうか。


 ヴィオレッタは、そっと目を閉じた。


 心を穏やかにして、頭の中を空っぽにする。耳を澄ましながら声を探す。


 しばらくすると、頭の中に音が流れ込んでくる。かすかな音。それは、すみかの声だ。


『わたし、上手にお話できるのかな』


『大夏さんとお話して、怖いっていう気持ちは薄れたけど……』


『ずっと人前に出ること避けてきたから、うまくお話ができる自信がない』


『失敗したらどうしよう』


 不安そうな声。それから、怖がっている声。 


 心の声を聞きながら、すみかの本当の気持ちを探す。


『わたしのせいで、お店に迷惑がかかっちゃうかもしれない』


『せっかく来てくれた子どもたちを、ガッカリさせちゃうかも』


『本当は、本当は、すごくやりたいけど……!』


 見つけた。彼女の気持ち。


 ヴィオレッタは人差し指を立てた。そして、タクトを振るみたいに小さく円を描く。


 うつむいていたすみかが、そっと顔をあげた。そして……。


「わたし、やりたいです。子どもたちの前で絵本を読んでみたい……!」


 はっきりと、すみかが言った。


 大夏が、大きく息を吐いた。ホッとしながら肩で息をしている。


「魔法を使ったな」 


 モネの指摘に、ヴィオレッタは小さくうなずく。


「自分の気持ちを言葉にして伝える魔法よ」


 ごくわずかな魔力の消費で済んだ。


 とても小さな魔法だったのは、彼女の気持ちが強かったから。ヴィオレッタは、ほんの少しだけ背中を押すだけで良かったのだ。

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