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第4話 強面男子の憂鬱

 結局、大夏は面接の翌週からモン・プチ・ジャルダンの一員となった。


 彼の働きぶりは真面目で、ケーキ作りの腕は確かだし、彼を採用して良かったとヴィオレッタは大満足だった。


 大夏の「可愛いもの好き」は、どうやら筋金入りのようだ。


 初日は、店の至るところを見て感動していた。目をキラキラと輝かせながら「アンティーク調のレジ台が素敵ですね」とか「敷物のレースが繊細で美しいです」とか「ショーケースは商品が入っていなくても最高だと思います」とか、とにかく感激しっぱなしだった。


「おまけに力持ちだしね」


 床で寝転がっているだけの、モチモチした犬とは比べ物にならないほど役に立つ人材だ。


「フゴォ……」


 いびきをかきながら気持ち良さそうに昼寝するモネを、ヴィオレッタはため息を吐きながら見下ろす。


「そろそろ休憩にしようかしら」


 ヴィオレッタがちらりと時計を見る。


 モン・プチ・ジャルダンでは毎日、休憩時間を設けている。


 だいたい夕方になる前、お客様が途切れたタイミングでハーブティーを飲むのが習慣だ。


 もちろん、ハーブティーには庭で採れたフレッシュハーブを使う。 


「大夏くん! 悪いんだけど、少しだけ店舗のほうにいてくれない? わたし、庭でハーブを採ってくるから」


 ヴィオレッタは、奥の作業スペースにいる大夏に声をかけた。


「わ、分かりました……!」


 大夏が、ちょっと慌てた様子でうなずく。


 東京で勤めていたパティスリーでのことがあって、彼は接客が苦手なのだ。レジの使い方や保冷剤の説明等、念のため一通りのことは教えたけれど……。


「お客様がいらっしゃったら、わたしを呼んでいいからね」


「はい……!」


 ヴィオレッタがそう声をかけると、大夏はホッと息を吐いた。


 店を出て、庭を歩きながらヴィオレッタは適当なハーブを見繕う。小さめの籐のバスケットを片手に、今日はどのハーブにしよう? とウキウキしながら庭を歩くこの時間が、ヴィオレッタにとっては至福のときだった。


「今日はレモンの気分ね」


 細長く真っすぐ伸びるレモングラスの葉が目についた。それから、レモンバーム、レモンバジル、あとはローズマリーも。カゴの中から、爽やかなハーブの香りが漂ってくる。


「早くハーブティーが飲みたいわ!」


 軽やかな足取りで石畳を歩き、店に戻ると。


「あら、朝野様? ようこそ、いらっしゃいませ」


 店内には、すみかがいた。


「こ、こんにちは」


 大夏はケーキを箱詰め中だ。こちらに背を向け、大きな身体を縮めるようにして、慎重な手つきですみかのケーキを箱に入れている。


 保冷剤はふたつ。封蝋を模したシールで箱を留め、すみかに手渡す。


 どうやら、ヴィオレッタを呼ぶまでもなかったらしい。


「商品です。あ、ありがとうございます……」


「ど、どうも」


 すみかが箱を受け取る。


 ふたりとも微妙に動きがたどたどしい。大夏は背中を丸めながら、もごもごと小声だった。すみかは、それ以上に声が小さかった。そして俯き加減のまま、店をあとにした。


「平気だった?」


 大夏に声をかけると、彼は浮かない顔をしていた。


「は、はい。それが……」


 気まずそうに、大夏が何かを言いかけたとき。奥の作業場から、オーブンの音が聞こえた。出来上がりを知らせるメロディだ。


「いけない! すっかり忘れてたわ」


 ヴィオレッタは、慌てて作業場のほうへ向かう。


 新商品の試作をしていたのだ。休憩のときに皆で味見ができるように、タイマーをセットしていた。


「そろそろ休憩時間か……?」


 太い足でのっしのっしと歩きながら、モネが作業場にやって来る。


 どうやら目が覚めたらしい。完全に覚醒していないのか、目がほとんど閉じたまま。寝ぼけた顔ともともとの鼻ぺちゃ顔があいまって、いつもより余計にぶちゃいくな表情だった。


「ええ。ちょうど良いタイミングよ。今からハーブティーを淹れるわ」


「俺はいつも通り『ぬるめ』で頼む」


 ふわぁっと大きなあくびをしながら、モネが前足で顔を掻く。


 モネは猫舌なのだ。


「ん……? 何か、良い匂いがするな」


 クンクンとモネが鼻を動かす。


「お店でね、ウィークエンドシトロンを出そうと思って。それで今日、初めて試作品を作ってるの」


 ウィークエンドシトロンは、フランスの伝統菓子だ。レモン風味のバターケーキで、たっぷりのアイシングがたまらなくおいしい。


 フランス語でウィークエンドは週末、シトロンはレモンを表す。「週末に食べるお菓子」という意味らしい。


 アイシングは「グラス・オ・シトロン」と呼ばれ、ケーキの表面全体を覆ったり、側面は垂らしたままにしたり、バリエーションは様々だ。


 ヴィオレッタは、側面を垂らしたままの状態が好きだった。ひとつひとつが唯一無二だし、何となくそのほうが美しい感じがする。


 オーブンを開けると、ふわりと甘い匂いが部屋中を満たす。

 両手には、ふかふかのオーブンミトン。慎重に取り出し、型から外す。


 それから、網にのせて十分に冷ましておく。ちなみに、この網はケーキクーラーと呼ばれる。焼き上げたケーキを冷ますための道具だ。


 焼き上がったケーキをじっくりと眺める。


 中央に入れた切り込みの部分が、きれいに盛り上がって割れている。


 この割れ目も唯一無二だ。全て同じ形になることはあり得ない。魔法を使わないからこその芸術品だと、ヴィオレッタはいつも思う。


 ケーキを冷ましているあいだに、レモンアイシングを作る。ボウルに砂糖を入れ、レモンの絞り汁を加える。レモンアイシングは、固さを調節するのがむずかしい。少しずつ慎重に、レモン汁を足していく。


 アイシングは時間が経つと固まってしまうので、手早く塗ることが大切だ。ケーキの上からたっぷりとかけ、アイシングが垂れていく様を確認する。


 真ん中に、刻んだピスタチオとレモンの表皮を散らしたら完成だ。


 ナイフを入れ、好みの厚さに切り分ける。


「モネは、どのくらい食べる?」


 頭の中でモネに確認する。


「たっぷり。分厚めで」


 モネは食いしん坊なのだ。


 ちなみに、ヴィオレッタもよく食べる。


「大夏くんは?」


「え……?」


「これくらい?」


 だいたいの目安でケーキにナイフをあてる。


「あ、はい」


 大夏の元気がない。そっと覗き込むと、浮かない顔をしていた。


 そういえば、彼は何か言いかけていた。


「どうかしたの? 疲れた?」


「いえ、あの。さっきの、俺が接客をした女性のお客様なんですが……」


「彼女が、どうかしたの?」 


「ちょっと、オドオドしているというか、やたら怖がっているような気がしたんです」


 大夏はしょんぼりしている。


「たぶん、知らないひとがいたから緊張しちゃったのね。お店にいるのは、いつもわたしだけだったから」


「おい! 俺を忘れてるぞ!」


 お怒りモードなモネの声が、頭の中に響く。


 大夏には聞こえないように、ヴィオレッタは「わたしと、モネね」と訂正する。


「……知らないひとがいると、ああいう感じになるんですか?」


「彼女の顔にアザがあるの、気づいたでしょ」


 決して、小さくはないアザだ。


「はい」


「初対面のひとだと、気になってしまうじゃないかしら。見られることに対して。見られて、相手がどう思うのか。どんな態度を取られるのか。わたしとは、何度も顔を合わせていて。だから、彼女も慣れてくれたんだと思うの。でも今日は、初めての相手だったから。驚いたというか、つい身構えちゃったのね」


 ヴィオレッタの説明に、大夏は納得していない表情を見せた。


「……あのひとは、綺麗な顔じゃないですか。俺とはぜんぜん違います。確かに、アザはあるかもしれないですけど。あの程度のアザなんて、まったく気にする必要はないと思います」


「こいつ、自分の顔がコンプレックスだと言うわりに鈍いな」


 太めの前足で顔をグシグシと掻きながら、モネが大夏を見る。


 ヴィオレッタは腰に手を当てて、短くため息を吐いた。


「確かに、彼女はきれいよ。顔立ちはもちろん、ちょっとした所作もね。でも『あの程度のアザ』というのは、彼女には言わないほうが良いと思うわ。たとえ励ますつもりの言葉であっても。優しい言葉のつもりでも。あなただって、自分の顔のことを気にしているんでしょう? それなのに、いきなり他人に『その程度』なんて言われたらイヤじゃない?」


 大夏は、ハッとした表情になった。


「彼女は傷つかないために、鎧を纏っているの。それだけなのよ。決して、あなたが怖いわけでも、あなたを傷つけたいわけでもないわ」


「……また、来店してくださるでしょうか」


 しばらく考え込んだあと、大夏がぽつりと言った。


「もちろんよ!」


「俺のことも、少しずつ慣れてもらいたいです」


 大夏が、ゆっくりと顔をあげる。


 ほんの少しだけ、彼の背筋が伸びている気がした。 


「きっと、そうなるはずよ!」


「はい」


 大夏の瞳の中に、何か力強いものを感じた気がして、ヴィオレッタはにっこりと微笑んだ。

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