魔女は、人間よりも少しだけ寿命が長い。「少しだけ」というのは魔女の主観なので、人間が思う「少し」とはちょっと違う。
「時間がたっぷりあるから、皆それぞれに没頭できる趣味を持っているわね」
「魔女が趣味?」
「そうよ。たとえば、これ」
ヴィオレッタが、木製の台を指さす。
「レジ台がどうしたんだ?」
ふかふかボディの白い犬が、ダルそうに顔をあげる。
「この敷物を見て。きれいなレース編みでしょう? クロッシェレースというんだけれどね」
ごく細かいレース糸で緻密に編みあげられた四十センチほどの敷物は、シックで落ち着いた木目調のレジ台と調和していた。
「これも趣味の一環なの。かぎ針でレースを編むのに凝ってる魔女がいてね。アナベルというんだけれど」
モン・プチ・ジャルダンを開いたとき、開店のお祝いとして貰ったものだ。
「やたら細いレース糸だな」
「魔女の暇つぶしには、このくらいがちょうど良いのよ」
なんといっても魔女は寿命が長い。時間がかかればかかるほど、魔女の趣味にはピッタリなのだ。
カラン、コロン。
少しだけ鈍いドアベルの音が、店内に響いた。
「いらっしゃいませ」
ヴィオレッタが微笑むと、若い女性客がぺこりと頭を下げた。
「こんにちは」
常連のお客様だ。週に一度のペースで、モン・プチ・ジャルダンにやって来る。
彼女は小柄だから、上段のケーキはそっと背伸びをする。下段のときは、少し屈んで。
ショーケースの中をじっと見ているその姿をこそっと眺めるのが、ヴィオレッタは好きだった。
「どれにしようか悩む気持ち、とってもよく分かるわ! どれも美味しそうだし、最高に可愛いんだもの」
ヴィオレッタが、心の中ではしゃいでいると。
「おい、ヴィオレッタ。自画自賛が過ぎるぞ。それに、あまりチラチラ見るなよ。そんなつもりがなくても、彼女の場合……」
「分かってるわよ」
頭の中に流れ込んでくるモネの言葉を、ヴィオレッタは制止した。
彼女は、顔にアザがある。
顔の右側、頬から耳にかけて。青くなっている部分があるのだ。ひと目で分かるくらいには、目立つアザだった。
たぶん、かなり気にしているのだと思う。
モン・プチ・ジャルダンに来店するようになったころ、彼女は帽子を目深に被っていた。大きめのマスクをして、さらにスカーフで覆うという徹底ぶりだった。
「そういえば、当初は完全武装だったな」
「でも、彼女は少しずつ鎧を解いていったわ」
帽子を取り、スカーフをやめ、最後にマスクをはずした。
「自分にとって、安全な場所だと思えたのね」
「安全?」
「そうよ。心の安全。むやみに傷ついたり、落ち込んだりする心配がない場所だって思ってくれたんだわ」
自分の大切なお店が、誰かの心安らぐ場所であること。ヴィオレッタにとっては、この上ない喜びだった。
「まぁ、そういう意味ではモン・プチ・ジャルダンは安全な場所だな。悪意を持った人間はいない。悪魔も寄り付かない。ちょっと変わった魔女がいるだけだ」
舌をのぞかせながら、モネがニヘリと笑う。
「それと、口うるさい使い魔もいるわね」
肩をすくめながら、ヴィオレッタがちらりとモネを見下ろした。
「あの、すみません」
すみかが、おずおずとヴィオレッタを呼ぶ。
「はい! ご注文、お決まりですか?」
「いちごのミルフィーユをください。それから、フィナンシェをふたつお願いします」
「かしこまりました。お持ち帰りの時間は、いつもと同じでよろしいですか?」
すみかがうなずくのを確認して、ヴィオレッタは保冷剤をふたつ箱に入れた。
保冷剤は、時間に応じて入れる数を変える。三十分程度ならひとつ。彼女の自宅は、ここから一時間ほどと聞いている。
少しくらいなら傾けても問題がないように、緩衝材でケーキを固定する。それから、封蝋のようなシールで箱を留める。
「いつも、モン・プチ・ジャルダンをご利用くださり誠にありがとうございます」
「い、いえ! こちらこそ、いつも可愛くておいしいお菓子をありがとうございます……! わたし、甘いものを食べると癒されるんです」
「癒しですか?」
すみかが、ケーキとフィナンシェの入った小箱を大事そうに抱える。
「はい……。仕事を終えて、ひとりになった瞬間。ふと、小さな棘が刺さっていることに気づくんです。不思議ですよね、皆といるときは分からないのに。ひとりになると、急に傷みだしたりして。そういうときに甘いものを食べると、その棘が抜けていく気がするんです」
繊細に整った顔立ちが、ふわりと緩む。
「分かります。わたしも、甘いものを食べてストレス解消していますから」
ヴィオレッタが、うなずきながらすみかを見る。
「ストレスって……。ヴィオレッタは、そんなものとは無縁だろ」
足元にドテッと寝そべったモネが、すみかには聞こえないよう頭の中に語りかけてくる。
ヴィオレッタは、聞こえないふりをして、モネの声を無視した。今はそれどころではない。
彼女から、素晴らしい言葉を受け取った。
『棘が抜けていく気がするんです』
すみかの華奢な背中を見送りながら、ヴィオレッタは胸がいっぱいになった。
✤
「疲れたわね~~! 今日もたくさん働いたわ!」
モン・プチ・ジャルダンの二階。
住居スペースのソファに倒れ込みながら、ヴィオレッタは体をぐいっと伸ばした。
「たくさん動き回ったし、もう一歩も歩けないわ」
エプロンを外して、グリーンのワンピースを脱いで。ルームウェアに身を包んだヴィオレッタは、猫のように丸くなった。
レースがふんだんにあしらわれたルームウェアは、一見ドレスのようにも見える。しばらく瞼を閉じたあと、ヴィオレッタはパチリと目を開けた。
「さてと。お菓子作りでも始めようかしら」
「……おい、ヴィオレッタ。言動と行動が一致していないぞ。『一歩も歩けない』と言ったばかりじゃないか」
ソファの下で寝そべっていたどっしり体型の小型犬が、呆れたように顔をあげる。
「それくらい、骨惜しみせず働いたってこと。だからこそ自分へのご褒美が必要なの」
へとへとで、身体の中が空っぽになってしまった感覚がある。完全なエネルギー不足だ。その不足分を埋めるためには、甘いものが必要になる。
「ありがたいことに、お店で作った分はすべて売り切れてしまったし……。新たに作るしかないわね」
ソファから下りて、ヴィオレッタはキッチンに向かう。
「ご苦労なことだな」
モネがフシュッと鼻を鳴らした。
今夜のご褒美スイーツは、ジェラチーナ・コロリーダ。
濃厚な甘さの白いゼリーと、さっぱりしたカラフルなゼリーとの組み合わせが、目にも鮮やかな一品だ。
「少し前に教わってね、作るのは初めてだから楽しみなの」
厚手のスポッと被るタイプのエプロンをして、ヴィオレッタは準備にとりかかる。
「誰に教わったんだ?」
「ブラジルに住んでる魔女よ。いわゆる『
「ふーん。それで、そのジェラ? なんとかいうのは、ブラジルのお菓子なのか?」
「ええ、そうよ。わりとポピュラーなデザートみたい。子どもにも大人にも人気なんだって」
まずは、カラフルなゼリーからこしらえる。
今日は、イチゴ、メロン、オレンジのゼリーの素を用意した。何味かというより、とにかくカラフルな色のゼリーにすることが重要らしい。
ボールにゼリーの素を入れ、お湯でよく溶かす。そのあとに水を入れてしっかりと混ぜ合わせる。少し冷ましてから、バットに流し入れる。
冷蔵庫で冷やして固めたら、取り出して二センチほどにカットする。三色のゼリーを小さい四角形にできたら、カラフルゼリーは完成。軽く混ぜて大きめの容器に入れていおく。
続いて、ボールにゼラチンを入れ、お湯でよく溶かす。さらに水を加えてしっかりと混ぜたら、コンデンスミルクと生クリームを入れる。
これをカラフルゼリーが入った容器に流し入れ、冷蔵庫で冷やし固めたら、ジェラチーナ・コロリーダの出来上がり。