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第2話 洋菓子店のお客様

 魔女は、人間よりも少しだけ寿命が長い。「少しだけ」というのは魔女の主観なので、人間が思う「少し」とはちょっと違う。


「時間がたっぷりあるから、皆それぞれに没頭できる趣味を持っているわね」


「魔女が趣味?」


「そうよ。たとえば、これ」


 ヴィオレッタが、木製の台を指さす。


「レジ台がどうしたんだ?」


 ふかふかボディの白い犬が、ダルそうに顔をあげる。


「この敷物を見て。きれいなレース編みでしょう? クロッシェレースというんだけれどね」


 ごく細かいレース糸で緻密に編みあげられた四十センチほどの敷物は、シックで落ち着いた木目調のレジ台と調和していた。


「これも趣味の一環なの。かぎ針でレースを編むのに凝ってる魔女がいてね。アナベルというんだけれど」


 モン・プチ・ジャルダンを開いたとき、開店のお祝いとして貰ったものだ。


「やたら細いレース糸だな」 


「魔女の暇つぶしには、このくらいがちょうど良いのよ」


 なんといっても魔女は寿命が長い。時間がかかればかかるほど、魔女の趣味にはピッタリなのだ。


 カラン、コロン。


 少しだけ鈍いドアベルの音が、店内に響いた。


「いらっしゃいませ」


 ヴィオレッタが微笑むと、若い女性客がぺこりと頭を下げた。


「こんにちは」


 常連のお客様だ。週に一度のペースで、モン・プチ・ジャルダンにやって来る。


 朝野あさのすみかというこのお客様は、いつもじっくりと吟味しながら商品を選ぶ。


 彼女は小柄だから、上段のケーキはそっと背伸びをする。下段のときは、少し屈んで。


 ショーケースの中をじっと見ているその姿をこそっと眺めるのが、ヴィオレッタは好きだった。


「どれにしようか悩む気持ち、とってもよく分かるわ! どれも美味しそうだし、最高に可愛いんだもの」


 ヴィオレッタが、心の中ではしゃいでいると。


「おい、ヴィオレッタ。自画自賛が過ぎるぞ。それに、あまりチラチラ見るなよ。そんなつもりがなくても、彼女の場合……」


「分かってるわよ」


 頭の中に流れ込んでくるモネの言葉を、ヴィオレッタは制止した。


 彼女は、顔にアザがある。


 顔の右側、頬から耳にかけて。青くなっている部分があるのだ。ひと目で分かるくらいには、目立つアザだった。


 たぶん、かなり気にしているのだと思う。


 モン・プチ・ジャルダンに来店するようになったころ、彼女は帽子を目深に被っていた。大きめのマスクをして、さらにスカーフで覆うという徹底ぶりだった。


「そういえば、当初は完全武装だったな」


「でも、彼女は少しずつ鎧を解いていったわ」


 帽子を取り、スカーフをやめ、最後にマスクをはずした。


「自分にとって、安全な場所だと思えたのね」


「安全?」


「そうよ。心の安全。むやみに傷ついたり、落ち込んだりする心配がない場所だって思ってくれたんだわ」


 自分の大切なお店が、誰かの心安らぐ場所であること。ヴィオレッタにとっては、この上ない喜びだった。


「まぁ、そういう意味ではモン・プチ・ジャルダンは安全な場所だな。悪意を持った人間はいない。悪魔も寄り付かない。ちょっと変わった魔女がいるだけだ」


 舌をのぞかせながら、モネがニヘリと笑う。


「それと、口うるさい使い魔もいるわね」


 肩をすくめながら、ヴィオレッタがちらりとモネを見下ろした。


「あの、すみません」


 すみかが、おずおずとヴィオレッタを呼ぶ。


「はい! ご注文、お決まりですか?」


「いちごのミルフィーユをください。それから、フィナンシェをふたつお願いします」


「かしこまりました。お持ち帰りの時間は、いつもと同じでよろしいですか?」


 すみかがうなずくのを確認して、ヴィオレッタは保冷剤をふたつ箱に入れた。


 保冷剤は、時間に応じて入れる数を変える。三十分程度ならひとつ。彼女の自宅は、ここから一時間ほどと聞いている。


 少しくらいなら傾けても問題がないように、緩衝材でケーキを固定する。それから、封蝋のようなシールで箱を留める。


「いつも、モン・プチ・ジャルダンをご利用くださり誠にありがとうございます」


「い、いえ! こちらこそ、いつも可愛くておいしいお菓子をありがとうございます……! わたし、甘いものを食べると癒されるんです」


「癒しですか?」


 すみかが、ケーキとフィナンシェの入った小箱を大事そうに抱える。


「はい……。仕事を終えて、ひとりになった瞬間。ふと、小さな棘が刺さっていることに気づくんです。不思議ですよね、皆といるときは分からないのに。ひとりになると、急に傷みだしたりして。そういうときに甘いものを食べると、その棘が抜けていく気がするんです」


 繊細に整った顔立ちが、ふわりと緩む。


「分かります。わたしも、甘いものを食べてストレス解消していますから」


 ヴィオレッタが、うなずきながらすみかを見る。


「ストレスって……。ヴィオレッタは、そんなものとは無縁だろ」


 足元にドテッと寝そべったモネが、すみかには聞こえないよう頭の中に語りかけてくる。


 ヴィオレッタは、聞こえないふりをして、モネの声を無視した。今はそれどころではない。


 彼女から、素晴らしい言葉を受け取った。


『棘が抜けていく気がするんです』


 すみかの華奢な背中を見送りながら、ヴィオレッタは胸がいっぱいになった。





「疲れたわね~~! 今日もたくさん働いたわ!」


 モン・プチ・ジャルダンの二階。


 住居スペースのソファに倒れ込みながら、ヴィオレッタは体をぐいっと伸ばした。


「たくさん動き回ったし、もう一歩も歩けないわ」


 エプロンを外して、グリーンのワンピースを脱いで。ルームウェアに身を包んだヴィオレッタは、猫のように丸くなった。


 レースがふんだんにあしらわれたルームウェアは、一見ドレスのようにも見える。しばらく瞼を閉じたあと、ヴィオレッタはパチリと目を開けた。


「さてと。お菓子作りでも始めようかしら」


「……おい、ヴィオレッタ。言動と行動が一致していないぞ。『一歩も歩けない』と言ったばかりじゃないか」


 ソファの下で寝そべっていたどっしり体型の小型犬が、呆れたように顔をあげる。


「それくらい、骨惜しみせず働いたってこと。だからこそ自分へのご褒美が必要なの」


 へとへとで、身体の中が空っぽになってしまった感覚がある。完全なエネルギー不足だ。その不足分を埋めるためには、甘いものが必要になる。


「ありがたいことに、お店で作った分はすべて売り切れてしまったし……。新たに作るしかないわね」


 ソファから下りて、ヴィオレッタはキッチンに向かう。


「ご苦労なことだな」


 モネがフシュッと鼻を鳴らした。


 今夜のご褒美スイーツは、ジェラチーナ・コロリーダ。


 濃厚な甘さの白いゼリーと、さっぱりしたカラフルなゼリーとの組み合わせが、目にも鮮やかな一品だ。


「少し前に教わってね、作るのは初めてだから楽しみなの」


 厚手のスポッと被るタイプのエプロンをして、ヴィオレッタは準備にとりかかる。


「誰に教わったんだ?」


「ブラジルに住んでる魔女よ。いわゆる『魔女友まじょとも』というやつね」


「ふーん。それで、そのジェラ? なんとかいうのは、ブラジルのお菓子なのか?」


「ええ、そうよ。わりとポピュラーなデザートみたい。子どもにも大人にも人気なんだって」


 まずは、カラフルなゼリーからこしらえる。


 今日は、イチゴ、メロン、オレンジのゼリーの素を用意した。何味かというより、とにかくカラフルな色のゼリーにすることが重要らしい。


 ボールにゼリーの素を入れ、お湯でよく溶かす。そのあとに水を入れてしっかりと混ぜ合わせる。少し冷ましてから、バットに流し入れる。


 冷蔵庫で冷やして固めたら、取り出して二センチほどにカットする。三色のゼリーを小さい四角形にできたら、カラフルゼリーは完成。軽く混ぜて大きめの容器に入れていおく。


 続いて、ボールにゼラチンを入れ、お湯でよく溶かす。さらに水を加えてしっかりと混ぜたら、コンデンスミルクと生クリームを入れる。


 これをカラフルゼリーが入った容器に流し入れ、冷蔵庫で冷やし固めたら、ジェラチーナ・コロリーダの出来上がり。

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