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第6話:慈愛の女神

 女神はようやく、みぞおちの上から右足をどけてくれた。それによって、身体に自由が戻る。レオンは上半身だけを起こし、オダーニ村へと視線を移す。


「ああ、女神様……なんとも美しい」

「んだんだ。見ているだけで幸福感に包まれるわい」


 女神ユピテルを一目見ようと、村人たちが集まり始めていた。着ている服はところどころ破けている。だが、体には目立った傷はない。


「レオン……」

「マリー! 目が覚めたのか!」

「うん。女神様のおかげ……」


 レオンは身体を起こし、マリーの下へと駆け付ける。地面に膝をつけて、マリーを抱きかかえる。


 服にはべっとりと血がついていたが、傷は癒えているようで、彼女の顔には血色が戻り始めている。


 レオンは心底、ホッとした。だが、マリーの身体が冷えていることをいち早く感じた。身体の傷は癒えても、失った血までは完全に戻っていないと予想できた。


 その証拠に視線を合わせてきた女神ユピテルがこくりとこちらに頷いてきた。


「誰か! マリーを温めてほしい!」

「おお……マリーちゃんを運ぼう!」


 今は4月の終わり。陽は高くてもまだ肌寒さを感じてしまう時期だ。村人たちがマリーに肩を貸して、彼女を一軒家の中へ連れていく。


 自分もマリーの後を追いかけようとした。だが、女神がこちらに錫杖を向けてきたため、足を止めざるをえなかった。


「俺はマリーの看病をしたい。こうなったのは俺がこっそり妖しい踊りを練習してたからだっ」


 素直に今の自分の心境を吐露した。しかし、女神は静かに首を振った。「ぐっ……」と唸るしかできなかった。


「あなたに大事な話があります」

「ええ……俺の出自と妖しい踊りについて……ですよね」

「踊りのことはもう忘れなさい。わたくしがわかる範囲であなたのことを教えます。まずはあなたの名前を聞かせてちょうだい」

「レオンです。姓は覚えていません」


 本当のことであった。魔王としての記憶が蘇った。人として擬態する時に使っていた名前なのであろう、レオンというのは。自分の名前に忌々しさを感じた。


 名乗る名前を改める必要があるのだろう。だが、それでも自分の名に愛着がある。


「レオン……良い名前ね。大事にしなさい」


 目が皿のようになってしまった。まるで自分の心の中を読み取られたかのようであった。こちらが驚きの表情を作っているが、女神は柔和に微笑んでいる。


 ホッとしてしまった。これからも『レオン』と名乗っていいことに。


「踊りは……」

「ダメです……」


 グッと唸ってしまった。二度と妖しい踊りは踊れない。


「レオン、改めて言うわ。あなたのことについて」

「覚悟はできています」

「そんなに緊張しないで。これから言うことはあなたにとって、喜ばしいことよ」


 女神には悪いが眉間に皺を寄せてしまった。自分は魔王そのもの、もしくは魔王の生まれ変わりのはずだ。自分は女神の敵に違いない。


 そうだというのに女神の身体からは神々しいオーラが立ち上っている。威圧感を感じて、後ずさりしてしまった。


「あら、ごめんなさい。敵対する気はないのよ」


 女神からの威圧感がスッ……と消えた。代わりに自分を包み込むような温かさがやってきた。


 レオンはその温もりで、警戒心を少しだけ解く。こちらの態度に合わせて、女神がにっこりとほほ笑んできた。


「あなたは今からでも人生をやり直せるわ」

「それはどういうことですか?」


 女神の言葉をそのまますんなり受け入れることができなかった。自分たちを囲む村人たちが、こちらに聞こえぬようにひそひそと何かしゃべっている。


 きっと、自分に対して、悪口の類を耳打ちしているに違いない。自然と手を握り締めてしまう。村人たちに合わせる顔がない。視線が自然と下を向いてしまった。


 そんな自分の顔にふわっと温かい風が下から上へと吹いてきた。それにつられて、顔をあげる。


 視線の先には女神の顔があった。彼女の顔は穏やかそのものである。春の化身のように見えた。


「まずはお詫びをさせてちょうだい」

「なんの……ですか?」

「そもそも、あなたが記憶を失っていたのは、三大神の1柱があなたの記憶を消したからなの」

「えっ?」

「だけど、それだけでは足りなかった……。根本的な対処をしなかった、わたくしたちの責任なの」


 今、自分の顔を鏡で見なくても、怪訝な表情になっているのがわかる。女神の言っていることに理解が追いつかなかった。


「信じられないって顔をしてるわね?」

「それは……まあ……」

「仕方ないわ。こんなこと、いきなり言われて、はい、そうですねと答えられるほうがおかしいもの」


 女神の言う通りだ。自分の身体の中には魔王の力が宿っている。それは先ほどの山羊の悪魔との戦いで嫌というほど思い知った。


「その……俺の身体に宿る魔王の力を女神様たちは封印していてくれたのですか?」

「その通りよ。貴方の記憶も一緒に封印してしまったことは、お詫びしますわ」

「いえ! 俺はこの力がとてつもなく禍々しいことに気づきました、お詫びどころかお礼を言わせてください!」


 女神の笑みが強まったのが目に映った。まるで望んでいた言葉をこちらが紡ぎだしたことに喜んでいるかのようにも見えた。


 そのため、女神に対して失礼ではあるが、警戒心が強まってしまう。


 そんな自分に対して、女神が錫杖を元の位置に戻した。さらには空いた左手を自分の頬へと添えてきた。彼女の温もりが直接、肌に触れた。自然と涙が零れてしまった。


 彼女を疑った自分に罰を与えたい気持ちになってしまう。


「そんな顔しないで。あなたじゃなくて、あなたの中に宿る魔王が悪いの。あなた自身が悪いわけじゃないのよ」

「そう……言われても」

「ただし、覚悟はしてほしい。貴方には世界をも滅ぼすことができる力が宿っている。その力によって、あなたはいつしか魔王と呼ばれる存在になる可能性がある。これは忘れないで」

「ぐ……」


 またしても顔を下へと向けてしまった。魔王という言葉が胸に突き刺さる。やるせない気持ちで身体から力が抜けていく。身体の芯が冷えてきた。


 だが、そんな自分に対して、またしても女神が自分の頬に手を当ててくれた。その手からは希望が伝わってくる感じがした。同時に自分の身体の奥底からも熱が湧いてくる。


「ここからが重要な話よ。この世界には三種の神器があるの」

「それと魔王がどう繋がるの……ですか?」


 顔を上げて、女神と視線を合わせた。女神の銀色の目がこちらを優しく見てくれる。


 まるで、泣きじゃくる幼子に心配させまいとする母親のような目だ。その目で見つめられているだけで、彼女に抱かれているような安心感がやってくる。


「竜皇の珠玉、海皇の三叉槍、白銀狼の牙を集めなさい。その3つのアイテムを用いれば、貴方の中から魔王を切り離すことができるわ」

「ほ、本当ですか!? 魔王を切り離せば、俺は趣味のダンスを捨てなくてもよくなるんです!?」

「そ、そうね。でもなんでそこまで踊りにこだわるの?」

「ソウルが震えるからです!」

「あ、はい」


 力強く、女神と受け答えした。趣味を捨てなくていいという希望を与えられた。どんよりと黒雲がかかる心に春の日差しが差し込んだかのように感じた。


 だが、その日差しはすぐに黒雲によって遮られた。


「ぐっ……俺は……」


 女神が提示した希望にすがりたい。だが、それと同時に強烈な不安感が襲ってきた。左腕が妙に熱い。さらにはドクン……と筋肉が波打った。


「静まれ、俺の左腕!」


 左腕を右手で抑えつけた。左腕は抗うかのようにもう一度、ドクン……と波打った。それと同時に、山羊の悪魔を滅した時の光景がフラッシュバックした。悪魔ごと、村を破壊する自分の姿に恐怖した。


「ぐあああ……!」


 呼吸が浅くなる。動悸が激しい。眩暈も覚えた。胃液がせりあがってくる。吐き気を催した。地面に膝をつき、げほっ! と勢いよく、胃液を地面にまき散らしてしまった。


「恐れることはないわ。さあ、立ちなさい」

「だけど……俺は怖いんです!」

「何故?」

「俺の中の魔王が暴れたがっているのがわかるんです! 三種の神器は集めたい……でも、それまで俺が俺の中にある魔王の力を抑えつけれる自信がないんです!」


 正直に言った。自分の心の中にある不安感をぶちまけた。慈愛に溢れる女神なら、こんな情けない自分も許してくれると信じたからだ……。

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