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「あんやー? お兄さん、どこから来なすった?」
「……?」
男は老人に声をかけられた。老人は藁を大量に乗せた荷馬車を馬にひかせていた。その
男は思い出そうとした。自分がどこか来たのかを。辺りを見回す。木々が生い茂る。そこに陽光が差し込んでいる。そして、自分は往来のど真ん中に立っている。
だが、老人から聞かれた質問に対する答えは出ない。代わりに頭の中に浮かんできたキーワードを口に出す。
「俺は……レオン……」
「ほほぉ。レオンって言うんかいな。うちの村のもんではなさそうだ」
「俺は……思い出せない。それ以外……」
「記憶喪失ってやつなのかねえ。どうだい? 村まで乗っていくかい?」
レオンは頷く。このまま一人でいても、どうにもならない。それならば、親切な老人を頼ったほうがいい。
レオンは老人に言われるがまま、荷台に乗る。藁の山をソファー代わりにして、背中を預ける。
馬に引かれた荷馬車がゆっくりと動く。林を抜ける。すると、背の低い草が生い茂る草原へと出る。
(俺はここに見覚えがない。俺はいったい、どこからやってきたんだ?)
馬を操る老人からは何も言われない。それもあって、自身の状態を確認する時間に充てた。下半身は鋼鉄の脚絆を身に着けている。ブーツの底には申し訳ない程度に土が付いているだけだ。
(俺は歩き回っていたわけじゃない? あの場でずっと立っていた?)
レオンは次に上半身を確認した。布地が丈夫な服を着ている。見たところ、鎧下に着る服だ。右腕だけ何故かアームカバーに包まれている。
それに対して左腕は剥き出しだ。服の袖も引きちぎったかのように左肩が申し訳ない程度に隠れているだけだ。
剥き出しの左腕をかざす。じっと見つめる。手を閉じて、開くを何度も繰り返す。
(自分の記憶がないことに関係しているのか?)
左手を頭に持っていく。赤毛を撫でまわす。何も思い出せなかった。だが、不思議と思い出せないことに不快感はなかった。
(普通はこういう時って、不安が押し寄せてくるものじゃないのか? 俺は思い出せないことに、むしろ、安心感を覚える……俺は狂っているのか?)
◆ ◆ ◆
「ほら、見えてきただよ。オダーニ村だ」
背丈の低い草に覆われた、なだらかな丘陵に村があった。荷馬車が村の中を進む。村の中でも1番大きな家の前で荷馬車が止まる。
老人が御者台から降りた。自分も荷台から降りると、老人がこちらに手招きしてきた。老人のやや後ろに立つ。
老人は目の前の家のドアをノックしている。扉が開かれて、家の中から小太りの中年も半ばを過ぎた男が現れた。
「おお? ドグラ爺さん、どうしたんだい? それとそこの若者は?」
「記憶喪失の若者を道端で拾っただ。なかなかの男前だから、村長のところの娘さんの旦那にどうかと思ってな?」
「ははは、何を言っている。いや、しかし……本当に男前だな」
村長と呼ばれた白髪交じりの中年の男がまじまじと、こちらの顔を覗き込んできた。彼の丸鼻がこちらの顔に接近してきたため、思わず、後ずさりしてしまう。
村長は次にべたべたと手でこちらの身体を触り出してきた。首、肩、胸、腹と手が移動していく。最後に左腕を入念に触ってくる。
気色悪さを感じたが、村長の表情からは悪意を感じない。村長の顔には好奇心の色が出ているのが見て取れた。
「ふむ……今すぐに娘の婿とはいかんが、こちらで世話をしよう」
「あんがとな、マグリ村長。じゃあ、レオン。マグリ村長に世話をしてもらうんじゃぞ」
レオンはオダーニ村のマグリ村長に預けられた。その後、オダーニ村の家々を一軒ずつ回った。
村長の遠い親戚の子として紹介された。オダーニ村に住む人々は最初は驚きの表情を見せた。
(当然だな。村長とは似ても似つかないし……)
しかしながら、次の瞬間には村民たちは柔和な表情となる。村長と和気あいあいと世間話に花を咲かせていた。
10件ほど村長と一緒に家を回り、村長の家へと戻ってくる。その家の前で村長が立ち止まり、こちらに振り向いてきた。
「さて、これで村人への紹介は済んだ。恰好はアレだが、怪我は見当たらない。良い身体をしているんだ。明日から仕事をしてもらうぞ?」
「何の仕事ですか? もしかして……踊り子?」
「踊り子?」
自分でもわからないが、何故か口からその言葉が出た。
つま先で地面を軽く叩き、リズムを作る。そして、腕をクラゲのようにゆらゆら揺らす。興が乗ってきたので、身体全体をクラゲのように柔らかにして踊ってみた。
「やめろ、やめろ。そんな踊りで銭が稼げるか」
「あ、あれ? 結構、自信あったんですけど」
どうやら、マグリ村長にはこの踊りの良さが伝わらなかった。村長が疲れたような顔をしていることから、何かしらの効果がありそうだった。
何かに使えるかもしれないと思い、妖しい踊りと命名しておくことにした。
「ちょうど羊の世話をしてもらっている者が膝に羊のタックルを喰らってしまってな? 代わりにやってもらえるか?」
「やったことはないですけど、教えてもらえるなら……」
村長は笑顔に戻っていた。家の中に招かれて、彼の家族を紹介された。すんなりと受け入れられ、家族の一員として迎えられた。空いた一室を与えられる。眠る場所が得られたことに安堵した。
◆ ◆ ◆
それからの日々はあっという間に過ぎていく。村長たちに羊飼いの仕事を教えてもらってから、早1年が経とうとしていた。
オダーニ村は穏やかで親切な人ばかりだ。記憶を失くし、素性がわからぬ自分を村の一員として迎え入れてくれた。
しかし、そんな村民たちでも、決して、自分の発明した妖しい踊りを認めてくれることはなかった……。それでもこそっり毎晩、妖しい踊りを練習し続けた。
皆に自分の踊りを堂々と披露できない点は残念であったが、それでも自分はオダーニ村の一員として、ずっとこのまま、この村に住んでいたいと思えた。
「ピーター、ピエール、ピーナッツ。ほら、群れから離れるんじゃないぞ」
今ではオダーニ村に住む人々だけでなく、羊の名前も全て覚えた。羊飼いの仕事は自分の天職だとも思えた。
羊たちを牧草地に連れていく。羊たちがメェ~と鳴きながら、草をもしゃもしゃと食べている。自分も村長の娘に持たされた手づくり弁当を広げ、昼食にありつく。心地の良いお昼時だ。
弁当箱の中にある卵焼きをフォークで刺し、それを口の中に運ぶ。出汁の中に甘さを感じる。幸福感で胸がいっぱいになる。
「このまま、流されるようにマグリ村長の娘と結婚しようかな……」
村長の娘は今年で22歳。名前はマリーだ。自分は村長の見立てでは18歳くらいだろうと言われた。
結婚すれば彼女は姉女房となる。気立ての良いひとだ。きっと良い奥さんになるだろう。
羊飼いの仕事を真面目にしていることもあって、村長も自分を気に入ってくれている。それでも自作の踊りを披露することは禁じられている。
最近、村長一家で囲む食卓で、村長は娘のマリーに自分を旦那にと推してくれている。マリーの様子から見て、彼女も自分との結婚にまんざらではなさそうだ。
「このまま……身を固めようかな。それでマリーとの間に子供を……。んで、子供たちに俺の発明した踊りを後世に伝えていってもらおう」
レオンは幸せであった。そう、この時までは……。残酷な運命は決して、彼を逃しはしなかった。
◆ ◆ ◆
レオンは昼食を取り終えた後、立ち上がる。羊たちを移動させようとした。だが、彼の目には黒煙が映った。
「何が……起きているんだ!?」
太い黒煙が村から立ち上っていた。それも1本ではない。3本も天に向かって真っすぐに上っていく。
明らかに異様な光景だった。鼓動が早まる。呼吸が浅くなる。気が動転して、眩暈すらも感じる。
「マグリ村長! マリー!」
羊をその場に残したまま、村へと走る。丘を駆け上る最中、足がもつれて転んだ。口の中に土が入る。それをベッ! と勢いよく吐き出し、立ち上がる。もたもたしている時間はまったくない。
村へとたどり着く。レオンは目を皿のようにした。信じられない光景が広がっていた。オダーニ村の人々が魔物に襲われていた。
村を襲っていたのは2本足で立つ山羊の魔物であった。おとぎ話で聞く悪魔そのものの姿だった。
見えるだけでも10体はいる。悪魔たちの表情は愉悦で歪んでいた。火の魔法を唱え、村を焼いている。
がくがくと足が震えた。恐怖で歯がカチカチと鳴る。
それでも勇気を振り絞り、妖しい踊りの構えを取った。腕を広げ、それをL字に曲げる。足は肩幅の2倍に広げた。
ポーズは完成だ。あとは自分の勇ましい妖しい踊りを見せつけるだけだ。
「俺のソウルが震える妖しい踊りを見ろ!」
レオンは足でタンタンと地面を踏み鳴らす。リズムを作って、腰をくねらせ、両腕をせかせかと動かした。ダンスを山羊の悪魔に向かって見せつける。
山羊の悪魔の群れが一斉にこちらを見てきた……。訝しい目が自分に集中する。
その瞬間、ぞくりと嫌な汗が噴き出した。まるでバカを見ている気配が体中に伝わってくる。
「逆に俺のソウルが恐怖で震えている!? そんなバカな!」
ダンスを止めてしまうほどの恐怖を感じた。自分の妖しい踊りで勝てる相手ではないと、奴らの鋭い視線で感じ取ってしまった。
「ぶもぁ!」
山羊の悪魔の1匹が激昂した。そいつに殴り飛ばされた。勢いよく地面を転がされた。痛みで意識が朦朧となった。
それでも奴の怒りは収まっていない。鼻息を荒くし、顔を真っ赤にしている。蹄で地面を削りながら、こちらに向かって頭から突進してくる。
それでも勇気を振り絞り、もう一度、妖しい踊りの構えを取った。
「俺の妖しい踊りを見ろーーー!」
自分の妖しい踊りは万人のソウルを震わせることができる。狂暴な山羊の悪魔のソウルにも通じると信じてだ。
しかし、奴は止まらない。目には山羊の勇壮な角が映る。恐怖に心を支配され、目を閉じることさえできない。
「レオンーーー!」
「マリー!?」
動けぬ自分の前へと女性が覆いかぶさってきた。その女性が誰なのかはすぐにわかった。だからこそ、彼女の名前を呼んだ。
マリーとともにレオンは山羊の悪魔に突き飛ばされた。地面に倒れ伏せる。体中が痛みで軋んだ。それでも、近くで倒れているマリーへと這って近づき、彼女を抱きかかえた。
「マリー、どうして俺を庇ったんだ!?」
「レオン……貴方だけでも逃げ……て」
マリーの口の周りは真っ赤に染まっていた。レオンは手にぬるっとした感触を覚えた。マリーの背中に回していた左腕を自分の目の前へと持ってくる。信じられないほどの血が付着していた。
「マリー! 何で!?」
「貴方の……ことが……好き……だから」
マリーの左手が自分の頬に近づいてくる。涙が溢れた。彼女の左手を右手で力強く握った。彼女の手から熱が急速に失われていくのを感じ取った。
彼女はこちらの手を握り返してくる力すら、残っていないように感じた。次の瞬間、彼女は糸の切れた人形のようになった。
「マリーぃぃぃ!」
何かが心の中で弾けた。憎悪が心の奥底から溢れてくる。流れる涙の温度が一気に上がった。マリーを傷つけた山羊の悪魔を睨みつけた。
「マリー……少しだけ、待っててくれ」
マリーをそっと地面に置いた。その場で立ち上がる。顔をマリーから山羊の悪魔へと向けた。奴らはこちらをあざけ笑っている。のっしのっしと巨体を揺らし、無警戒で近づいて来る。
左手をまっすぐに山羊の悪魔へと突き出した。さらにはその左手をめいいっぱい広げた。右手を左の手首に添えた。
「お前たちは絶対に許さない!」
憎悪と言う名の力が左手に集まってくる。それとともに頭の中にある呪文が浮かんできた。山羊の悪魔だけでなく、全てを蹂躙できる魔法の名を思い出した。
「ライトニング……メガ・キャノン!」
左手の先から雷光が発せられた。しかしながら、それは白ではなかった。真っ黒な雷光の塊が真っ直ぐに山羊の悪魔たちをなぎ倒していく……。