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第3話:異界送り

§


 レオンは異界に続くトンネルの中を漂っていた。色彩豊かなトンネルであった。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と変化していき、最初の赤へと戻る。


 不思議な光景を見ていると、時間の感覚は段々と薄れていく。その中で、レオンは賢者アイリスとの思い出に浸っていた。


「そう言えば、アイリスって泣き虫だったよな……」


 レオンはその時の情景を思い出す。半壊した村で逃げ遅れた子供たち。彼らを守るために戦士とともに自分は魔物の前に立った。魔物を討ち果たすことには成功したが、犠牲になったひとは数多くいた。


 泣き崩れる子供たちをあやしながら、アイリスも一緒に泣いていた。なんて、優しい女性なのだろうとレオンは胸を打たれた。


 そんなアイリスを手伝おうと自分も子供たちを励まそうと、十八番おはこの妖しいダンスを踊ってみた。おかしなことに子供たちがもっと泣き出した。


 アイリスのあの時の冷たい視線が心地よかった……。


 次にレオンは違うシーンを思い出す。


「アイリスは本当に努力家だった。俺も負けてはいないと思ってたけど、アイリスには遠く及ばなかったな……」


 アイリスは元は魔法使いであった。しかし、魔王討伐の旅を続けるうちに、彼女は自分の力の足りなさを痛感するようになった。レオンはそのままでも十分に皆の役に立っていると、彼女に告げた。


 だが、彼女はその言葉に満足することなく、日々、鍛錬を積んだ。そして、若干16歳だというのに、悟りを開き、賢者へとランクアップした。


「これでもっと皆の役に立てるって、喜んでたな……。そんな彼女に負けないようにと、俺も修行に力を入れたな……」


 レオンはどんな時でも慌てない心の強さを手に入れようと努力した。そのおかげで明鏡止水の領域にまでたどり着き、戦闘中でも立ったまま寝れるようになった。


 奥義を習得し、それを披露したというのに、その戦闘が終わるとガミガミと仲間たちが自分に向かって文句を言ってきた。しかし、アイリスだけは優しく自分に回復魔法をかけてくれていた。


 全てが懐かしい。同時にアイリスの全てが愛おしい。だが、今はもう彼女をこの腕で抱くことはできない。自ら進んで異界送りされることを望んだ。


「俺はやっぱりバカだよ。ただの格好つけなだけだな……」


 レオンの独白は誰にも届かない。


「ふとんがふっとんだ」


 つまらないダジャレすらも異空間に吸い込まれていくだけであった。トンネルの出口はまったく見えない。


「なんだか、動きがカクカク……するぞ?」


 念のため、異空間の中で妖しい踊りをしてみた。しかし、拍手はどこからも湧いてこない。


 やはり、この異空間には自分以外、誰もいない。その中を横たわって、ただ流されていく。


◆ ◆ ◆


 時間の感覚はまったくもってなかった。新しい踊りを会得するためにひとり遊びをしながら一人旅を満喫していた。


 そんなレオンにふと声が聞こえてきた。聞いたことのある女性の声であった。


「ありがとうございます、勇者レオン。あなたのおかげで、世界は真に平和になります」

「大精霊ロビン様……俺はやり遂げたのですね?」

「はい、安心してください


 レオンは安堵した。大精霊の声が聞こえた時、緊張感が走った。自分の奇行を見られていた可能性があった。


「つかぬことを聞きますけど……見てました?」

「いいえ? 何の話ですか?」


 杞憂であった。彼女の慈愛に満ちた声によって、落ち着きを取り戻した。


「一人、異界に向かう貴方に最後のお別れにやってきました」

「ありがとう、ロビン様。でも、ひとつだけ心残りがあります。皆がこれからどうなっていくのかが……あとダッチが俺のアイリスに手を出してないか」

「それを伝えにやってきました。ほんの先の未来となりますが、貴方に見せましょう」


 大精霊の姿が朧げながらも、この異空間に出現した。女性のシルエットをしていることだけがわかる。


 顔ははっきりとはわからない。だが、雰囲気だけでも、彼女の慈愛と神々しさが伝わってくる。


 彼女は異空間へといくつかのシャボン玉を飛ばしてくれた。レオンは横になりながら、そのシャボン玉のひとつに視線を向けた。


「ああ……。大地が蘇っていく」

「はい。魔王によって腐れた大地に新たな命が芽吹き始めています」


 腐った沼地から毒気が抜けていく。ふっくらとした大地の下からモグラが顔を出した。モグラたちが大地を耕す。植物の芽が次々と大地に姿を現した。それはぐんぐんと育ち、若木へと変化していく。


 レオンは別のシャボン玉に視線を移した。そこでは人々が祭りを開き、楽しんでいる様子が見えた。


 紙吹雪が舞う。大歓声がこちらにまで聞こえてきそうであった。その中をアイリス、ダッチ、セルベンスが手を振りながら歩いている。


 魔王を倒した勇者の仲間として、国中から歓迎されていた。満足感がレオンを包み込む。


「あはは……。セルベンス、出世したくないって言ってたのに、結局、大神官にされちまうんだな」


 僧侶セルベンスが大神官の位を示す冠を神官たちの手によって、無理矢理、被らされている映像が見えた。


「彼は何度も断ったようです。それでも、あのクソバカ勇者レオンが魔王を倒すまでに成長したのはセルベンス・イノセントあってのことだと」

「はっ! 俺のおかげかよ! まあ、セルベンスには嫌というほどお尻を蹴飛ばされたからなぁ」


 レオンは苦笑した。セルベンスがほとほと困ったという顔になっている。それでも彼は大神官としての仕事をしている。


「まあ、セルベンスは俺を導いてくれるほどクソ真面目だからな。さてと、次は……って、ダッチのやつ、田舎に帰ったのかよっ、もったいないな」


 戦士ダッチの趣味は畑いじりであった。魔王討伐の旅を続けている最中、皆で魔王討伐後はどうするか? という話題をたびたびしていた。


 その中でも異質な回答をしていたのがダッチである。魔王を倒した勇者パーティの戦士となれば、王国の将軍になることも容易いであろう。だが、映像の中にいるダッチは汗水を垂らして、畑を耕している。


「ダッチらしいと言えば、ダッチらしいな。てか、子供もいるのか」


 ダッチに駆け寄っていく男の子たちがいた。見た目は3歳と5歳といったところだ。ひとりは黒い髪。もうひとりは浅葱あさぎ色の髪であった。


 その瞬間、レオンの心は一気にざわついた。可愛らしい3歳児には面影があった……。髪の色だけではない。愛くるしさが賢者アイリスと瓜二つなのだ。


「なん……だと!? 大精霊ロビン様!?」


 レオンは急いで大精霊ロビンを見た。だが、大精霊ロビンの顔はこちらを向いていない。


 眉に皺を寄せて、じっと彼女を見つめる。大精霊ロビンは首の骨が折れそうなほどにあちらへと顔を背けていた。どうやっても、こちらの視線を躱そうとしていた。


 何か言いづらそうにしているのがわかる。


 レオンは再び、シャボン玉のほうへと向けた。何かの間違いだ。だって、アイリスは「いつまでも貴方のことを思い続ける。そして、生涯、独身を貫く」と言ってくれていたのだ。


 他人の空似だと信じたい。だから、シャボン玉に映る光景を見つめた。願いを込めてだ。


 そして、レオンは見つけてしまった……。ロッキングチェアに身体を預けた浅葱あさぎ色の髪の女性を。その女性は髪を伸ばしていた。


 だが、ひと目でアイリス本人だということがわかる。さらにアイリスは妊娠していることがわかるほどに、お腹が大きくなっていた。


「どういうことなんだよぉぉぉ!?」

「2人はあのその……」

「どうなったら、こうなるんですかぁぁぁ!?」

「お見せしましょう……」


 大精霊ロビンは新しいシャボン玉を作り出した。レオンは泣きそうなのをこらえながら、そのシャボン玉に映る光景を見た。


「ダッチのやつ! やっぱり俺のアイリスを狙ってやがった!」

「し、親友だからこそ、貴方の残していった彼女を守ろうとしたのでは……?」


 シャボン玉にはキッチンで泣き崩れるアイリスの姿が映し出されていた。


 キッチンの手前側からダッチが現れる。ダッチがアイリスの肩を抱き、彼女をダイニングにあるテーブル席へと移動させている。


 ダッチは一生懸命、アイリスを慰めている。


「こっちが慰められてえよ! ひとのカノジョに何してんだよ!」

「な、仲間のことを放っておけなかったのでしょう……」


 アイリスがようやく泣き止んだ。ダッチがダイニングからひとり去っていく。だが、その背中にアイリスが抱き着いたのだ。驚愕の事態を見せつけられて、レオンは頭を抱えた。


「ダッチ、そこで振り向くんじゃねえ! そして、俺のアイリスを抱きしめてんじゃねーぞ! 殺す、絶対にダッチは殺す!」


 レオンは怒りの矛先をダッチに向けた。だが、こちら側から元の世界には干渉できなかった。いくらシャボン玉を殴ろうが、拳はすり抜けてしまう。


 さらに場面が変わった。アイリスとダッチが酒場で楽しそうに飲んでいる。これ以上は耐えきれない。アイリスの頬は紅潮している。ダッチの鼻の下が伸びている。


 お酒と会話を楽しんだ2人は会計を済ませ、酒場から外に出る。ダッチがアイリスの腰に腕を回している。さらにはアイリスがダッチに身体を寄せた。


「大精霊様! 元の世界からダッチを異世界へと飛ばしてくれ! 今すぐだ! 俺のアイリスがけがされる、その前に!」

「それは無理……です」


 レオンの心からの叫びは届かない。アイリスとダッチがこじんまりとした宿屋へと消えていく。


「あああ……あああ……あああ!!」


 シャボン玉の映像は場所を戻した。先ほどのダッチが畑仕事をしている場面だ。


 ダッチは2人の息子をたくましい筋肉で抱きかかえている。


 その光景を幸せそうにアイリスは眺めていた。


「畜生、畜生、こんちくしょおおお!」


 この光景を血涙を流しながら見るレオンだった……。


◆ ◆ ◆


 永遠とも思えるほどの時間が経つ。レオンはぴくりとも動けなかった。


 全てを無かったことにしたい。アイリスが生きる元の世界がこのまま永久に平和であってほしいとは願うが、自分の存在は無かったことにしてほしい。


 今の俺様、最高に格好いい! で浮かれていた自分をぶん殴ってやりたい。アイリスのくれた言葉を信じていた自分を呪いたい。


 色々な感情が渦巻く。そこに虚無感が訪れる。胸の中にぽっかりと開いた空洞が、全身を飲み込もうとしている。虚無の底で、ただひとつの願いだけが浮かび上がる。


「消えたい」

「今、なんと?」

「このまま消えたい」

「……」


 レオンと大精霊ロビンとの会話は止まってしまう。レオンは体育座りとなり、さらには目の光を自らの意思で消した。


 そうでなければ辛すぎる。それほどにショックな映像を見せられた。


「勇者レオン。貴方の辛い記憶を消してあげましょう」

「はい……。二度と思い出せないくらいに、しっかり消してください」


 レオンは願った。心の底からだ。


「では……。勇者レオン、貴方のおかげで世界に平和が訪れました」

「はい……」

「貴方は異界で新たな人生を歩むことになるでしょう。前の記憶は邪魔になるはずです」

「そうですね……アイリスのことはともかく、ダッチの記憶とあいつの存在は絶対に消して下さい」

「いえ、それだと色々と世界に齟齬が起きますので……貴方の記憶の全てを消します。どうか、次の人生で幸福に恵まれますように……」


 大精霊からの言葉はここで終わった。それ以上は何も言ってくれない。でも、それこそが慈愛だと思えた。


 親友に彼女を寝取られた事実を考えたくもない。白い光が自分を覆う。それと同時に自分というものが消え失せていく。


「ありがとう、大精霊ロビン様……。俺、今度こそ自分を裏切らないカノジョと出会います」

「はい……。素敵な女性だといいですね。新たな旅路での幸運を願っています」


 トンネルを流れる光が次第に遠ざかっていくような錯覚に陥った。まるで、全てを手放していく感覚だった。


 レオンは新しく生まれ変わる準備を終えた。何も思い出せない。それと同時に何の感情も生まれない。


 色彩豊かなトンネルの中を白い光に包まれながら流されていく。やがてトンネルの出口が見えてきた。


 トンネルの向こうには新しい何かがあるのかもしれないと思えた。真っ白な光の中に、一筋の温かな気配が感じられる気がしたからだ。


「あったかいな……」


 それが何なのかは、今のレオンには分からない。異界での新しい人生が待っていることだけは確かだ。


 レオンはあちら側へと移動した……。

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