――時を戻し、ここからは転生する前の勇者レオンのお話……
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「さすがは勇者……。ならばこそ改めて聞く。
魔王城の最上階。そこで勇者と魔王は最後の戦いを繰り広げていた。
「魅力的な話だ! だが断る! 俺は……世界の半分よりもアイリスが欲しい!」
「では、お前の愛しい女とともに世界の半分を支配しろ! どうだこれで!」
「卑怯だぞ、魔王! そんなの世界を欲しがっちゃうだろうが!」
アイリスとは勇者の恋人である女賢者の名前だ。
「レオン……。惑わされちゃダメ! 私は世界を平和にしたい!」
「ア、アイリス。迷った俺を叱ってくれるのか!?」
「そうよ! 魔王を倒せば、あなたは英雄よっ! あなたのおもいがままになるじゃない!」
「そうだな、おい、魔王! 俺はお前を倒して、世界の全部を手にいれる!」
アイリスの言葉を背に受けながら勇者レオンは両手でロングソードの柄を握り込む。それは大精霊の加護を受けた剣であった。魔王の身体に直接、傷をつけることができるこの世でふたつとない剣だ。
勇者と魔王の戦いの余波で最上階の天井は吹き飛んでいた。空は分厚い雲で覆われている。雷鳴が轟き叫ぶ。雷光が最終進化を遂げた魔王の姿を浮き彫りにしていた。
千年樹を思わせる両足が床を大いに揺らす。重低音が心胆を冷えさせる。
でっぷりと膨らむ腹には口がある。その口が放つ瘴気に触れるだけで、皮膚が焼けるような感覚がした。
魔王の3つの目に睨まれる。地上の全てを呪い殺すような眼力に、レオンは威圧感だけで吹き飛ばされそうであった。
魔王の額には鬼の角が2本飛び出していた。その角の先から真っ黒な球体が2つ飛んできた。
すかさず女賢者アイリスが魔法の杖を勇者レオンの背中へと向ける。レオンの前にマジック・バリアが展開された。
「ぐぬぅ……小癪な!」
「レオンはやらせはしないわ!」
「ならば、貴様から始末してやろう!」
魔王は丸太のような腕をぶん回す。
「アイリスをやらせるか!」
レオンはアイリスの前に立ち、剣を斜めに構える。剣で魔王のパンチを防ぐ。
「ぐあっ!」
だが、勢いを止めきれず、レオンは吹っ飛ばされた。魔王がニヤリと口の端を歪ませている。レオンは剣の切っ先を石畳に突き刺し、剣を杖代わりに起き上がろうとした。
「そこで寝ているがよい。お前の大事なものを引き裂いてくれよう!」
「ダッチ! アイリスを……頼む!」
「任された!」
レオンの代わりに男戦士がアイリスの前に立つ。巨大なハンマーで迫りくる魔王のパンチを殴ってみせた。しかし、ハンマーが砕け散る。続けての左のアッパーカットで戦士が宙を舞っていく。
「ダッチーーー! もう少し粘ってくれよ!」
「す、すまねえ! でも、お前も吹っ飛ばされたじゃねえかよ!」
ダッチはぶっ飛ばされていく最中でも、レオンに一言、返してみせる。そんなダッチに勇気をもらえた気がした。
レオンは左へと顔を向ける。そこには僧侶服に身を包む男が立っていた。彼はこちらへとこくりと頷いてくれた。
「ダッチ殿は自分が回復しておきます! あなたは魔王をっ!」
レオンは戦士ダッチの姿をちらりと見る。ダッチが入れ替わるように自分の後方へと石畳の上でバウンドしながら転がっていく。
自分の後方に控える男僧侶がここは任せろと背中を押してくれた。
レオンは身体を起こして走った。
勇者は後ろへと振り向かなかった。仲間を信じたからだ。
愛するアイリスが前方で孤立していた。杖を構え、ひとりで魔王と対峙している。剣を構え直し、真っ直ぐに魔王へと接近する。
こちらの剣が魔王の身体に届こうとした。まさにその時、魔王がこちらへと腹にある口を大きく開いてきた。
「地獄の猛火を喰らうがよいわっ!」
魔王は大きく開いた腹の口から灼熱の炎を扇状に吐きだした。最上階のフロアの3分の1を覆うほどの広がりを見せている。
炎の荒波に勇者は飲み込まれた。それだけにとどまらず、仲間たちも波にさらわれた。
「熱ぅい! だが、俺が着ているのは大精霊の加護が施された勇者の鎧だ!」
レオンは大精霊の加護が施された勇者の鎧によって高熱の炎を耐えきった。だが、炎自体を防いだとしても、その炎に宿る魔力によって、体力をごっそり持っていかれてしまう。
勇者は片膝をつきながら、ちらりと仲間たちの状態を確認した。後方にいた戦士と僧侶が石畳の上で倒れている。死んではいないはずだと信じた。
自分の身体は白くて温かい光で覆われていた。回復魔法だ。それを発動しているのは床に倒れ伏しながらも、こちらに魔法の杖の先端を向けているアイリスであった。
「アイリス、無茶をするなっ」
「貴方を死なせはしないっ。私がどうなろうとも!」
アイリスが懸命に自分に向けて、回復魔法を施してくれる。レオンはよろよろとその場で立ち上がる。目の前には勝ち誇って高笑いしている魔王がいた。
「もう一度、聞く。我と手を結べ。さすれば、世界の半分をやろう」
「黙れ! 俺が欲しいのは世界の全部だ!」
「この強欲がっ!
「勇者が清廉潔白な時代は終わったんだ! 俺は全部欲しいんだ! 悪いかっ!」
レオンは剣の柄を両手で握り込む。さらには剣を高々と振り上げた。空を覆いつくす鈍重な黒雲からさらに雷鳴が轟いた。勇者の強欲が天に通じたかのように雷光が勇者へと真っ直ぐに降り注いだ。
「魔王! お前の敗因はたったひとつだ! 俺の世界を欲したことだっ!」
空から降り注ぐ雷光の全てが勇者の剣に集まる。光が剣から溢れた。あまりのまばゆさゆえか、魔王が左腕で顔をカバーしている。
レオンはその左腕に向かって、光り輝く剣を振り下ろす。斬撃が半月状のエネルギー波となった。魔王の顔面へと飛んでいく。魔王の左腕にそれが縦にぶち当たる。
「なん……だと!?」
魔王が驚愕の表情となっている。魔王の顔面にはエネルギー波は届かなかった。だが、魔王の左腕の腕先部分が斬り落ちていた。
勇者は間髪入れずに跳躍する。もう一度、剣を頭上高く振りかぶりながらだ。それと同時に黒雲から雷光が勇者の剣に向かって降り注いだ。
「ライトニング・スラッシュ!」
勇者の力に雷の力が乗った。魔王がすぐさま右手を大きく開く。防御の体勢を取った。レオンは構わず、剣を振り下ろす。
魔王の右手を雷が焼く。レオンは手に抵抗を感じたが、剣を振り切った。魔王の右手が半分、消し飛んだ。
だが、そこで止まらない。剣から発せられたエネルギーは魔王の右肩から真っ直ぐ下方向へと流れていく。
「ライトニング・スラッシュ・Vの字斬り!」
地面に着地したレオンは最後の力を振り絞った。すさまじい雷光のエネルギーはレオンの身も焼いていた。
レオンは気付いていた。剣を振る力はあと一度きりだと。それゆえにこの一太刀に全てを込めた。
「うおぉぉ!」
剣を振り上げていく。同時に多大な魔力とぶつかった。剣が魔王のみぞおちあたりで止まる。
「うがぁぁ!」
反発し合う魔王と勇者の力が拮抗していた。沈んでいく両足に力を込める。無理矢理に立ち上がる。姿勢の変化を利用して足の力を腰へと伝搬させる。さらには背中をのけ反らせる。
「世界中の皆! 世界の王となる俺に力をくれぇぇぇ!」
レオンは叫んだ。これでもまだ力が足りないと感じたからだ。魔王の力は絶大であった。剣からはミシリッと嫌な音が聞こえてきた。このままでは魔王の力に屈してしまうことになる。
「レオンーーー!」
アイリスがこちらに反応してくれた。次の瞬間、自分の身体から熱があふれ出した。アイリスが攻撃力を倍加する魔法をかけてくれた。感謝の念が胸に溢れた。
「魔王! 今更だが訂正させてくれ……俺は世界よりもアイリスの愛が欲しいっ!」
「き、貴様! 今更、訂正してくるんじゃないっ!」
「へっ……やっぱ、最後に勝つのは愛だっ!」
「愛だとぉぉぉ!」
魔王のみぞおち部分には固い核があった。レオンは斜め上へと剣を振り切る。それを両断した。
「ぐぎゃぁぁぁ!」
魔王が断末魔をあげた。剣が半ばから折れた。レオンは「へっ……」と軽く微笑む。自分は背中から床へと倒れ込む。
未だに立っている魔王の身体から紫色のオーラが噴き出していた。床の上で大の字になりながら、魔王の身体が崩れていくのを見る。
「このおふざけ勇者が……これで勝ったと思うなよ。我は何度でも蘇る……次こそは我が勝つ!」
魔王はその言葉を最後に残す。肉がドロドロに溶け落ちていっている。身体の骨が剥き出しになる。しかし、その骨も魔王城の最上階に吹き付ける狂風によって、砂のように飛び散って霧散していく……。
魔王は倒された。勇者の手によって。だが、彼は不気味な予言を残した……。
◆ ◆ ◆
床の上で大の字になっていると、アイリスが寄り添ってくれた。アイリスの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「安心してくれ。俺は生きているよ……」
「レオン……」
視線を泣きじゃくるアイリスから真っ黒な空へと移動させた。空を覆いつくす黒雲群の隙間から光が差し込む。
その光がアイリスごと、自分を包み込んでくれていた。春の日差しのように温かい。
今までの旅路が全て報われた気がした。
だが、これで終わりではない。魔王が言い残した通り、魔王は何度倒しても蘇る。自分の使命は魔王を倒すだけでは終わらない。
「アイリス……。聞いてくれ。俺は真にこの世界に平和を取り戻したい」
「いや! これ以上、貴方が犠牲になる必要なんてないわっ!」
アイリスが幼子のように泣いている。彼女の頬に右手を当てた。今から自分は残酷なことを彼女に言う。それが彼女のためになると信じている。
「きみが見つけてくれたんだ。この世界から魔王を完全に消す方法を。俺はそれを実行したい」
「なんで! いつもの貴方なら、嫌がってるじゃない! なんで、こんな時だけ真面目なのよ!」
「なんでだろうな。今更、勇者ぶるような振る舞いをしてきたわけじゃないってのに。でも、俺は勇者なんだ。アイリスだけじゃなく、この世界の全ての人々を救いたいんだ」
「ばかっ! そんなの貴方以外の誰かに押し付けるって計画だったじゃない!」
アイリスが泣き崩れて、こちらに身体を預けてくれた。自分ができるのは彼女の
「アイリス、俺を異界送りしてくれ。魔王とともに……だ」
「やだよ、レオン……いつものように冗談だよーん! って言ってよ!」
「最後に真面目なこと言って、ごめんな。でも、俺は勇者なんだ。他の誰かを犠牲にしたくないって、思っちまったんだ」
「貴方がいない世界で生きていけない……」
アイリスを気遣いながらも、レオンは別の気を感じ取っていた。霧散したはずの魔王の魔力がとあるモノに集中していく。
魔王は死んだが、滅んではいなかった。切断した魔王の左腕だけはまだこの場に存在していた。そこに魔王の魔力の全てが凝縮していくのをレオンは感じ取っていた。
「魔王が次の戦いの準備を始めている。俺にはわかるんだ。だからこそ、俺はアイリスがこれから生きる世界、そして未来の世界を守りたい」
「レオン……」
「いっつも不真面目だったけど……俺はガラにもなく、勇者の務めを全うしたくなっちまった」
アイリスは何も言わなかった。その代わり、それ以上、何も言わないでほしいとばかりに、彼女は唇を近づけてきた。
レオンは為すがままにアイリスに唇を奪われた。それが2人の初めてのキスだった。そして、最後のキスとなった……。