君主を失った儀国は滅びた。
権力を持っていた貴族達も反乱軍に捕らわれ、かつて栄華を極めた斜陽の国は新たな君主を戴くことなく消えたのだ。
令劉は蘭とも連絡を取っていたようで、雲嵐を討ち取った数日後には使者が来た。
蘭の使者はすでに周辺国との話し合いの場を用意してあると告げ、令劉は反乱軍の主要人物達と共に議会で一週間かけての話し合いに臨んだ。
その間に儀国後宮は解体され、多くいた妃や宮女達はほとんどが実家へと帰っていった。
残ったのは帰る場所がない者達と、ことが落ち着くまでは留まれと命じられた翠玉。
そして令劉の帰りを待つ明凜だけだった。
話し合いの一週間は明凜も慌ただしく、動き回っている間に話し合いが終わり反乱軍の主要人物達と令劉が帰ってきたのだった。
「……なんだか、令劉様不機嫌だったわね?」
「やはり、そう見えました?」
帰城した者達の様子を翠玉と共に離れた場所から見ていた明凜は、眉を下げながら翠玉の言葉に答えた。
「色々と想定外な事があったのでしょう。あの方は結構顔に出ますからね」
二人の側に付き従っていた香鈴が切れ長な目を閉じため息を吐く。
令劉のことをよく知っているかのような口調の香鈴。
何でも彼女は幼い頃に両親を亡くし後宮に宮女として放り込まれたところ、令劉に気に入られ侍女として育てられたのだそうだ。
令劉は契約で儀国に縛られていながらも、信頼の置ける侍女や女官、宦官をこっそり育てていたらしい。
香鈴が翠玉の初夜前に『早まるな』と言ったのは、令劉から知らせがあったため早まった真似をしないようにと釘を刺したつもりだったらしい。
結果としては早まった真似をしてしまったが、二人が無事だったのだから問題ないだろう。
「まあ、何があったのかは分からないけれど……蘭の
「はい。何か重要な知らせでもあるのでしょうか?」
翠玉の問いに香鈴が頬に軽く手を添え答える。
蘭の
細身で頬のこけた白髪交じりの男だが、目が怖いくらい鋭いのでとても印象に残っている。
(一国の宰相が話し合い後に滅びた国へ来るなんて……令劉様の不機嫌の原因も同じ理由なのかしら?)
二人の会話を聞きながら、明凜は同じ疑問を抱きつつ令劉を思った。
忙しくて寂しさを感じる暇もなかったが、愛しい相手に会いたかったのは変わりない。
(今日中に会えるかしら? おかえりなさいと、一言くらいは言いたいのだけれど……)
礼宰相まで来訪しているのだから忙しくて無理かもしれない。
そう諦めに似た思いでいたが、数刻後明凜は翠玉と共に令劉に呼ばれ
養心殿の前殿は皇帝が政務の処理や大臣の接見などのための執務室として使われていた場所だ。
反乱の折にもあまり荒れていなかったこともあり、そのまま反乱軍主要陣の執務室として機能している。
そんな場所に呼ばれたと言うことは何か大事な話があるのだろう。
(と言っても、翠玉様に帰国するようにと指示があるのではないかということくらいしか思いつかないのだけれど……どうして私も名指しされたのかしら?)
香鈴と共に翠玉に付き従いながら、明凜は内心はて? と首を傾げていた。
***
「呼びつけて済まない。そなた達に大事な話があったのだ」
殿の一房に入り簡易な礼をした後、令劉が早速本題に入った。
少々疲れた様子はあるものの、数刻前に見た不機嫌さはない。
むしろ疲労で妙な色気が増しているようにすら思え、明凜はうっかり大事な話とやらを聞き逃すところだった。
(っと、見蕩れている場合ではなかったわね)
「――というわけで、国境沿いの街や村は多くが隣接する国へ取り込まれることになった。まあ、それらはすでに事実上他国の支援を受けている様な状態だったからな、問題はないだろう」
周囲の補足もありつつ、令劉が代表として議会の報告をしてくれる。
「そして、元儀国であるこの国は一先ず共和国となることが決まった」
共和国。
君主を持たない国のあり方だ。
儀国は広大な国なため、周辺国が分割統治したとしても持て余すだけになる。
今後また状況が変わったときに対応出来るように、共和国となるのは納得出来た。
「そうですか……ですが国家の長――代表となる者がいなければ困りますよね? どなたが代表となるのですか?」
説明を聞き終えた翠玉がコテンと頬に手を添えながら首を傾げる。
途端に主要陣の視線が令劉に集中し、言葉がなくとも彼が代表なのだと分かった。
だが、当の令劉は一気に不機嫌な顔になり黙り込む。
代表となることは不服だと顔にありありと書かれていた。
「令劉殿、諦めが悪いですよ?」
皆が黙り込む中、今まで見定めるかのような目で場を見守っていた蘭の礼宰相が口を開いた。
「だがな、今まで私こそが反乱の目を潰してきたのだぞ? 時間がなかったため旗印になったが、国家の代表となれば不満も出るだろう」
「ですが、長く儀という国を見てきた貴方が一番この国を把握していらっしゃる。他に適任がいないのですよ。……それに、貴方の望むものを手に入れるにはそれしか方法がありませんよ?」
「うぐっ」
礼宰相の言葉に黙り込む令劉。
その場にいる他の主要陣からも「貴方が一番ふさわしい」「自分では纏められない」などと声がかかる。
「分かった、分かっている。それが一番丸く収まるのだということも」
言い募る周囲に令劉は眉間にしわを刻んだままあしらった。
そうして静かになった場へ、翠玉の鈴のような声がまた疑問を落とす。
「不満はありつつも納得はしているということですね。……令劉様の望むものとやらのためでしょうか? それは何なのです?」
「……」
翠玉の問いに令劉は答えなかった。
代わりに礼宰相が困り笑顔で告げる。
「明凜公主ですよ」
「……へ?」
思わず間抜けな声が出た。
(今、なんと?)
礼宰相は今自分を公主と言っただろうか?
確かに自分は蘭皇帝の血を引いている。
だが、特殊な事情により皇族――公主とは認められていないはずなのだが……。
「共和国の代表……つまり統領ですね。その統領となる者には、周辺国を取りまとめた蘭皇帝の後ろ盾を得るという意味でも蘭の公主を伴侶にしていただきたいとお話しました」
後ろ盾という意味も間違いではないだろうが、蘭国との繋がりを置くことで統領の手綱を握っておきたいという思惑もあるのだろう。
「はじめは翠玉様をと思っていたのですが、是非とも統領にと望まれている令劉殿はご自分の伴侶は決まっていると言うではありませんか」
翠玉の名前が出た途端彼女の柳眉がピクリと動く。
何故か令劉を毛嫌いしている翠玉だ。
話の上だけとは言え令劉の伴侶にとされたことが不快だったらしい。
「そのまま統領の座も断られてしまいそうでしたが……話を聞いてみればお相手は第一公主である明凜様だというではありませんか。これは是非とも縁談をまとめなくてはとなりましてね」
「……それで、私が公主と認められたということでしょうか?」
驚きは残るが、納得もした。
要は都合が良かったのだ。
反乱軍主要陣も、おそらく蘭を含めた周辺国も、令劉が統領となることを望んでいる。
その令劉が望む伴侶は、蘭皇帝の血を受け継いではいるが公主と認められていない明凜だった。
ならば公主と認めさえすれば丸く収まる。
そういうことなのだろう。
だが礼宰相は鋭い目を緩め、意外にも優しげな笑みを浮かべ明凜を見た。
「元より此度の件が上手くいけば、貴方を皇族――公主として認めるつもりでした。……そのような理由でもなければ、あの情の厚い陛下が暗殺などという使命を貴女に与える訳がないでしょう?」
「そうよ? だから私も姐様の同行を許したのですもの」
礼宰相の言葉に翠玉も続ける。
と言うことは、翠玉もはじめから知っていたと言うことか。
「そういうわけで、令劉殿は蘭皇帝から直々に告げられたのです。『我が娘を伴侶としたければ共和国の統領として立て』と」
「……」
それはもはや脅迫ではないだろうか?
令劉が吸血鬼で、明凜が唯一の番であることを知らないとはいえ……。
だが、これで全てに納得出来た。
令劉が不満を抱きつつも統領という地位を受け入れた理由も。
結局は明凜のためなのだ。
公主と認められた以上その勤めも果たさなければならない。
情の厚い蘭皇帝ならば明凜が不幸になるような縁談を進めることはないだろうが、それでも何の地位もない相手に嫁がせる訳にはいかない。
令劉が統領として立たなければ、他の者との縁談を進められただろう。
令劉ならば明凜一人を連れ去ることなど容易いが、それを明凜自身が望まないだろうことも分かっている。
だから出来ない。
(ああ……本当に、愛しい)
溢れる愛情を感じた明凜は、不満顔の令劉を見つめ彼を支えようと思った。
***
「お前が蘭皇帝の娘だったとは……流石に驚いたぞ?」
その夜、明凜の元を訪ねた令劉は疲れ果てた様子で愚痴を口にした。
「申し訳ありません。正式には認められておりませんでしたし、お話する機会もありませんでしたから」
言い訳を口にしつつ、令劉が驚くのはもっともだと思うので明凜は苦笑いを浮かべることしか出来ない。
だが、特殊過ぎる明凜の事情は一通り聞いたのか、令劉は「それもそうだな」とだけ告げ不満顔を消した。
明凜の淹れた茶を飲み、湯飲みを机に置いた令劉は打って変わって焦がれるような眼差しで明凜を見る。
「これからはお前と共に安穏と生きていけると思っていたのだがな……統領にならなければ明凜との結婚を認めないと言われたらなるしかないではないか」
伸ばされた手が、明凜の頬に触れる。
宝物を扱うかのように、優しく長い指で撫でた。
「だから明凜、これからは統領として立つ私を支えてもらえないだろうか?」
控えめに告げる願い。
だが、その空色の目は深く青い。
言葉とは裏腹に強く自分を求める令劉の手に、明凜は自身の手を重ねた。
「もちろんです。あなたの側で、あなたを支え、あなたを癒やす。その役割を他の者に渡すつもりはありませんから」
「……そうか」
明凜の言葉を噛み締めるように頷いた令劉は、立ち上がり眩しいものを見る様に明凜の翡翠の目を見下ろす。
顔が近付き、どちらともなく瞼を閉じた。
唇が触れ、離れていたこの一週間を埋めるように抱き合う。
深くなる口づけを一度離した令劉は、多幸感溢れる美しい顔で告げた。
「愛している、明凜。この生まれ変わった名もない共和国と共に、お前と生きたい」
幸せすぎる言葉に、明凜も応える。
自分にだけ許された彼の名と共に。
「はい。あなたと共に……レイル様」
了