驚きからか、ゆっくりと流れるように見えた時は何かが床に落ちた音で通常のものへと戻る。
同時に頭のない晋以の首から血が噴き出した。
「っ!」
「ひぃっ!」
目の前の光景に、流石に明凜も喉を引きつらせる。
翠玉などは悲鳴を上げ明凜の胸に顔を埋めた。
晋以の体は血を流しながら臥床の上に倒れ、皇帝は毒に苦しみながら遺体となった晋以と返り血を浴びた令劉を交互に見つめる。
見つめられた令劉は一つ安堵するような息を吐くと、とても申し訳なさそうに明凜へと微笑んだ。
「……すまない、遅くなった」
見慣れぬ格好でも、返り血を浴びていても、その顔と表情は紛れもなく明凜の知っている令劉だった。
久々に見た愛する男の存在を実感し、喜びに涙が滲む。
死なずに済んだという安堵も相まって、力が抜けた。
「れい、りゅう……貴様、何をしているっ」
呼吸も荒く、皇帝が令劉を睨み上げる。
そんな皇帝の姿に、令劉は動揺することなく淡々と告げた。
「何、か……。そうですね、反乱軍の長をしています」
「なん、だと……反乱軍など、そのような報告は受けておらんぞ!?」
皇帝の驚きは最もだろう。
通常、反乱があったとしてもはじめは軍と言えるほどの人数ではない。
徐々に規模が大きくなってから軍と呼ばれるようになるのだ。
今までは令劉自身がその反乱を鎮めてきたと言っていた。
なのに何故、この数日で反乱軍を率いるようになったのか。
皇帝だけでなく、明凜も困惑した。
「今までこの儀国の反乱は私が鎮めてきました。その度に私は彼らに告げていたのです。『いつか来る滅びの時を待て』と」
その時がいつ来るかも分からない状態では、反乱を起こした者達は納得しなかっただろう。
だが、どうあっても成されず鎮められる結果にしかならない状況では、その時を待つしかなかった。
「此度、私は彼らに告げただけです『時が来た』と」
それだけで、令劉を中心に人が集まりだした。
それだけ、儀国を変えたいと思う者が多かったのだ。
「陛下……いえ、儀雲嵐。儀国はとうに滅びの時を迎えている。新たな時代にお前の血は不要だ」
「な、ぜ……お前には契約が……」
「私と儀国との契約は終了した。……番と結ばれたからな」
ちらっと視線をよこされ、明凜は場違いにも頬を朱に染める。
自分と肌を合わせたと明言している様なものなため、単純に恥ずかしい。
「番? そう、か……血が気に入ったのではなく、番だったとは……ぅぐっ」
悔しさからか、体を蝕む毒の苦しみのためなのか、その両方か。
脂汗を滲ませながら、皇帝は苦しげに呻く。
「だ、としても……お前にこの国への、情はないのかっ! 今まで守ってきた、この国をっ」
憎々しく睨む淀んだ目を令劉は真っ直ぐ受け止める。
静かな凪いだ目は、強い感情を内に秘めた深い青をしていた。
「あるに決まっている……あるからこそ、この手で滅ぼすのだ」
静かに令劉は語る。
契約をした初代皇帝は友だったのだと。
家臣の策略のせいで不当な契約となってしまったが、初代皇帝は番を見つけたのならすぐにでも会いに行く許可を出すと誓ったと。
代が変わり、状況やその時代の皇帝の意思によりそれは叶わなかったが、初代皇帝との友情は変わらずあったのだと。
「だが、その友に言われたのだ。『いつかこの国が理想郷ではなく腐りきってしまったら……そのときまだお前がこの国にいたならば。お前の手でこの国を滅ぼしてくれ』と。……友の願い、今こそ叶えよう」
語り終え、剣を振り血を払った令劉は皇帝の首にヒタと刃を当てる。
「毒か……そのままでは辛かろう、雲嵐。今楽にしてやる」
「ぐ、うぅぅ……」
唸る皇帝に、令劉は柔らかな笑みを向ける。
そして、子守歌でも歌うかのような優しい声で最後の言葉を告げた。
「もう何も恐れなくて良いのだ……ゆるりと眠れ」
「っ!」
揺れる目を大きく見開いた皇帝は、ゴフッと大きく咳き込んだ後僅かに笑みを浮かべる。
死を受け入れるように瞼が閉じ、首が刎ねられた。
また血しぶきが上がるが、明凜は目を逸らさない。
大きく、栄華を極めた儀という国の終わりをしかと見届ける。
国を愛し、守り、滅ぼした令劉という名の吸血鬼の姿を目に焼き付けた。
愛する人の、長い生を受け入れたいから。
令劉という一人の男の全てを受け入れたいから。
受け入れて、この先の生を共に過ごしたいから。
皇帝の体も臥床の上に横たわると、令劉は様々な感情を呑み込む様にグッと目を閉じる。
心を切り替えるかのようにゆっくりと瞼を上げた彼に、明凜は片腕を伸ばした。
「令劉様」
「明凜……」
伸ばした手を取った令劉は、すがるように自身の頬に明凜の手のひらを当てる。
愛したひとの慰めになるよう、明凜は頬に付いた血を拭うように撫でた。
「これからは、私がずっとあなたのお側にいます」
「ああ……頼む」
皇帝よりもこの国を思う吸血鬼。
哀れで優しく、全てを背負う彼の癒やしとなろうと、明凜は心に決めたのだった。