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暗殺②

 更に数日経っても令劉の姿は見なかった。

 余暇に探してみても会えず、もはやこの後宮にいないのではないかとすら思う。


 信じてはいるが、会えない不安は増すばかり。

 そんな中、とうとう明凜達が儀国へ来てひと月となる日がやってきた。

 この後宮に入宮してひと月、翠玉の初夜の日だ。


 少し前の、頓挫した予定外の訪問とは違う。

 はじめから予定されていたお渡り。

 前回とは違い、別の妃のもとへ行くなどと急遽変更されることはない。


「今度こそ、ね」

「はい……失敗は出来ませんから」


 明凜は密かに翠玉と頷き合い、前回と同じ場所に隠れ潜む。

 香鈴のみが側に控える臥房で、以前にも増した緊張感が房中を支配していた。


「貴妃様……」


 張り詰めた空気の中、皇帝を待つ間香鈴がぽつりと話し始める。

 冷たい印象を受ける切れ長な目。

 いつもは確固たる意思があるその黒い目には、僅かに焦りのようなものが見えた。


「どうか、早まらないで下さいませ」

「早まる? 何を言っているの、香鈴?」


 唐突な言葉に翠玉はコテンと首を傾げ目を瞬かせる。

 密かに聞き耳を立てていた明凜も動きはしないが頭の中に疑問符を浮かべた。


(早まる、とは? 聞きようによってはあの肉達磨皇帝に触れられるのを嘆いて、自害など選ぶなとも受け取れるけれど……)


 だが、このひと月仕えていて知っているはずだ。

 儚げに見える翠玉だが、その内面はかなり気が強いのだと。

 少なくとも嘆き悲しみ死を選ぶなどと言うことはしないと分かっているだろう。


(ということは、まさかこちらが皇帝暗殺を企てていることを勘付いている?)


 どちらかというとその可能性が高い。

 だが、もし本当に勘付いているのだとしたら何故おおやけにしないのか。

 香鈴は聡明だ。情だけで敵をかばうようなことはしないだろう。


 ならば、敵ではないということか。

 勘付いているのに報告していないことで、明凜達の手助けをしているのかもしれない。

 ただ、それならそれで今『早まるな』と口にする理由は何なのだろう?


「今夜中には来られるという知らせがありました。ですから、お辛いかもしれませんが何とか耐えて下さいませ」

「だから何を言っているの? 今夜中に来るとは誰のこと?」


 疑問ばかりが募る香鈴の言葉に翠玉が問い質す。


「それは――」

「失礼致します」


 だが、言いかけた香鈴は先触れの宦官の声に口を噤んでしまった。

 皇帝がこちらに向かっているという宦官の知らせを聞いた香鈴は、もう答えを口にすることはなかった。



 香鈴の言葉は大いに気になるが、皇帝が来てしまうのだからもう余計なことは口に出来ない。

 翠玉がもの言いたげに見ても、香鈴は人差し指を立てて口元に寄せるだけだった。


(香鈴様は何が言いたかったの? 皇帝が来るから言えないというのであれば、それはこちらにとって良い知らせと言うこと?)


 ならば、『早まるな』とは皇帝を害するなということだろうか?


(どうなの? 情報が少なすぎて分からないわ)


 息を潜めつつ困り果てているうちに、ついに翠玉の臥房に儀皇帝・雲嵐が訪れてしまった。

 ずっしりと重そうな体躯の肉達磨。

 だが、腐っても皇帝と言うことだろうか。

 その威圧感を肌で感じ、明凜は息を止めた。


 何にせよ、皇帝暗殺は果たさなければならない。

 香鈴の意図が分からない以上、『早まるな』という忠告を聞くわけにはいかなかった。



「お待ちしておりました、陛下」

「長く待たせてしまい申し訳ない、貴妃よ。今宵は良き勤めをしてくれるよう願っている」


 闇に消えるような柔らかな声音で挨拶をした翠玉に、皇帝はひとまず謝罪しつつも傲慢な願いを口にする。

 自らは友好のために嫁いできた公主をひと月放っておきながら、翠玉には妃としての勤めをしっかりこなせと言っているのだ。

 傲慢にもほどがある。


「はい、未熟ながら出来る限り勤め上げたく存じます」


 翠玉も内心怒りが沸いただろうが、上手く微笑みに隠し殊勝な言葉を口にしていた。


 挨拶が終わり香鈴含め皇帝のお付きの者達も退出していく。

 二人きりとなると、皇帝はすぐに翠玉に手を伸ばした。


「あっ」

「ふむ、なかなかに美しい。体は貧相だが、まあ楽しめそうだな」

「っ!」


(……誰が貧相よ! という声が聞こえてきそうだわ)


 翠玉の息を呑む音は文句を呑み込んだものだろう。

 皇帝に暴言を吐く訳にはいかないのだから。

 だが、皇帝は何を勘違いしたのか楽しげに嗤う。


「震えておるのか? まあ、たまにはこのような趣向も良いだろう。畏れ、泣きながら身を捧げるが良い」

「……」


 今の翠玉が震えているとするならば畏れよりも怒りからだろう。

 だが、それを訂正する必要もない。

 翠玉は無言で皇帝の意に従った様だ。



 ギシリと臥床の軋む音がする。

 翠玉だけならば鳴ることのない音は、肉付きの良い皇帝も共に乗った証拠。

 明凜は音を立てぬようそっと動き、皇帝の姿をしっかりと捉えた。


 翠玉の上に覆い被さり、彼女の姿を隠してしまうほどの肉塊。

 この男がいる限り、民は飢え、苦しみ、死を待つばかり。

 周辺国も搾取されるばかりなのだ。

 確実に、命を奪わなければならない。


 意を決し、明凜は毒の塗られた小刀を握る。

 翠玉に夢中になっている隙を突くのだ。


「滑らかな肌だ。慣れた妃の方が抱き心地は良いが、この吸い付くような肌ばかりは若さがないとな……」

「あっ陛下……」


 言葉通り翠玉の肌に手を這わせ、吸い付く。

 そのまま無心で翠玉の白い肌にむしゃぶりつく様子に、今だと思った。


「っ!」


 短く息を吸い、最速で動く。

 握った小刀の刃を皇帝の首へと狙いを定める。

 確実に当てる――はずだった。


「くっ!」


 キィン、と鋼の交わる音。

 寸前に察知し、自身に迫る刃を防いだ。


 気付かなかったが、どうやらこの房には四人目がいたらしい。

 何とか攻撃を防いだ明凜は、受けた刃を弾き跳んで距離を取る。

 四人目の姿を確認し、軽く驚くと共に嫌な記憶が呼び起こされぞわりと鳥肌が立つ。


 皇帝の暗殺を邪魔したのは、皇帝子飼いの暗殺者だという晋以だった。

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