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吸血鬼③

「っ」


 心の奥底からと思えるほどの怒りを目にし、明凜は息を呑む。

 その怒りを向けられているのが自分ではないと分かっていても、恐ろしさに身がすくんだ。


「契約の内容は、私が番と結ばれるまで儀国のために尽力すること。それだけならば、時が来れば番を探しに行けたのだ」


 語りながら怒りは増す一方なのか、湯飲みを持っていない方の手がきつく握られる。

 血管が浮かび、爪が食い込みそうなほど手を握る令劉は、怒りを全身から発するように続きを告げた。


「だが、彼奴らは寸前で契約内容を書き加えたのだ。皇帝の命は絶対である、と」


 そうして歴代皇帝の命で令劉は大長秋として後宮に留め置かれ、宮城の外にも皇帝の許可がなければ出られなくなった。

 番を探しに行くことなど、出来ない状態にされたのだという。


「契約は道術によって縛られている。皇帝の命に背こうとすると身体が動かなくなるのだ」


 令劉は憎々しげに吐き捨てるように話すと、いったん落ち着こうとでもするように細く長く息を吐く。

 幅広の肩がゆっくり下がり、また上がると同時に上げられた顔は穏やかさを取り戻していた。


「ともかく、そういうわけで私はどんなに求めても番を探しに行けなかったのだ」


 だが、と続ける令劉は表情をほころばせる。憧憬を映す瞳が、晴れ渡った空の色となって明凜を見つめた。


「今世は番であるお前が私の元に来てくれた。この機会、どうあっても逃したくはない」

「令劉、様?」


 優しい眼差しであるのに、どこか恐ろしく感じてしまう令劉の瞳。

 視線が真綿で出来た縄にでもなったように、優しく明凜を縛り付けているようだった。

 ゆっくりと、捕らえられていく感覚にこれは良くないと思う。


 令劉の話が事実なのかどうかは分からないが、かなりの執着を持って求められていることは確かだと分かった。

 このまま捕らわれてしまえば、使命すら全うできなくなるかもしれない。

 なんとかこの良くない雰囲気をなくしたくて、明凜は口を開いた。


「あ、その……ですが令劉様は宦官でしょう? その……子を作ることは出来ないのではないのですか?」


 昨夜の出来事である・・ことは分かっている。

 だが、何も知らないはずの明凜であるならおかしな質問ではない。

 それに、なぜ切ってもいないのに宦官として後宮に出入り出来ているのかの理由も分かるかもしれないと思った。


「昨夜のことで知っていると思ったが、まだ知らぬふりをするのか?……まあいい、その問いの答えは簡単だ。私は男のものを取っていないからだ」

「ならばどうして宦官になれたのですか?」

「それは私が番以外の女と交わっても子が出来ないからだ。それに、契約で縛られているため皇帝が後宮の女に手を出すなと命じれば事足りるからな」

「そう、なのですか……」


(ということは、皇帝は令劉様が宦官でないことも吸血鬼だということも知っているということね。そして大長秋として置いているのならば契約の話自体は事実の可能性が高い)


 曖昧な返事をしながらも、明凜は冷静に分析する。

 だが、次の瞬間また令劉の雰囲気が一変し冷静でいられなくなった。


「だから後宮にいる女は私にとって血を提供してくれる相手でしかない……番以外は」

「え?」


 最後の言葉と共に令劉の空気が一変する。

 憧憬しかなかった眼差しに欲の炎がちらついた。


 コトリ、と持っていた湯飲みを机に置き、明凜に近付く様に身体を倒す。

 結わえていない艶のある黒い髪がサラリと肩から落ちるのをそのままに、令劉は腕を伸ばしてくる。

 視線に捕らわれていた明凜は警戒するのが遅れ、その手から逃れられなかった。

 伸ばされた手は頬に触れ、親指が耳の縁を撫でる。


「後宮の女に私は手出ししないし、出来ない。例外は番だけだ……明凜、私はお前と交わりたい。そうすれば契約は破棄されるし、お前の望みも叶えてやれる」


 交わりたい、などという直接的な言葉に明凜の頬に朱が差す。

 頬に触れる手は優しいが熱く、昨夜を思い起こさせる硬い手に鼓動が早まった。


「私の望み、とは?」


 甘く誘うような声に捕らわれないようにと問いかける。

 自分の何を知っているのだという反抗心で抵抗するかのように。

 だが、令劉は事もなげに答えた。


「お前が蘭国の間者であるなら大体の想像は付く。儀国の重要機密を盗むのか、儀皇帝の暗殺か。何にせよ、儀を滅ぼすのが望みだろう?」

「っ!?」


 言い当てられ息を呑むが、事実儀国の現状を理解しているのならばそのように考えてもおかしくはない。

 それほどに、儀は膿み過ぎている。


(この男は、本当に味方になってくれるの?)


 人とは思えぬ身体能力を持つ吸血鬼。

 血を啜っていたところを見てもそれは事実だろう。

 そして本当に二百年という長い時を生きてきたのかは分からないが、長く儀国に仕えているのは確かだ。

 そのような相手が味方となり得るのならばこれほど心強いことはない。


 だが、全てを信じ切れるほど令劉という男のことを明凜は知らない。

 使命のことを話しても良いとまでは思えず、令劉の熱い眼差しを受けても応えることが出来ない。


 かといって、これほどまでに求めてくる相手を拒絶することも躊躇われた。

 濃くなる空色の目に、頬に触れる熱く硬い手に、早くも心が捕らえられてしまっているのだろうか。

 困惑し、困り果ててはいるが、不思議と嫌だとは思わなかった。


 息が止まりそうな沈黙の中しばらく見つめ合っていたが、先に令劉が目を閉じ視線を遮る。

 明凜から手を離し、フッと小さく笑みを浮かべた令劉の瞳は澄んだ青へと戻っていた。


「流石にすぐには信じられないか。だが私が明凜を想い求めていることだけは覚えておいてくれ。他のことは、またいずれ話をしよう」


 ひとまずこの場は解放してくれるという令劉に、明凜は「はい……」と頷くことしか出来なかった。

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